茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1051回「ものまねと、印象派」

脳科学者・茂木健一郎さんの10月1日の連続ツイート。 本日は、今朝、お茶をのみながらふと思ったこと。
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茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート第1051回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、今朝、お茶をのみながらふと思ったこと。

2013-10-01 08:50:41
茂木健一郎 @kenichiromogi

もい(1)というわけで、英語をやるかどうかは、趣味の問題というか、オプショナルなことだという思いが強い最近の私だった。やりたいやつはやればいい(オレはやる)。でも、やりたくないやつは、別に英語なんて出来なくたって、生きていけるよと思う。グローバル化って、一つの幻想だしね。

2013-10-01 08:52:17
茂木健一郎 @kenichiromogi

もい(2)ただ、こういうことは言えるんだ。英語をやるって、やっぱり、実用的なこと以上に、異なる発想の網に触れることになる。今日、なんとはなしに思いだしていたのは、そういえば、英語では、「ものまね」は、do an impressionなんだよな、ということであった。

2013-10-01 08:53:09
茂木健一郎 @kenichiromogi

もい(3)例えば、「森進一のものまね」は、do an impression of 森進一となるわけで、私は時々、まあそのね、田中角栄さんのものまねをしますけどね、あれも、英語で言えば、田中角栄さんの「印象」をやっているということになるわけである。この言葉の違いが、ちょっと面白い。

2013-10-01 08:54:41
茂木健一郎 @kenichiromogi

もし(4)まーそのね、国民のみなさまにはね、まーそのー、と私が田中角栄さんの「ものまね」をやっているとすると、実際には私の顔は田中さんに似ていないし、声も違う。ところが、似たような「印象」を与えるから、「あー、角栄さん!」とわかるわけで、つまり印象を再現している。

2013-10-01 08:55:57
茂木健一郎 @kenichiromogi

もし(5)脳は、感覚入力に対して、内部モデルを立ち上げて当てはめるが、印象をやるということは、つまり、高次の印象回路が類似しているということになる。もちろん、もともとの日本の「ものまね」も、因数分解すればそういう意味なのだけれども、英語だとそこが際立つ表現となる。

2013-10-01 08:57:08
茂木健一郎 @kenichiromogi

もし(6)それで思い出すのは、「印象派」だ。当時のフランス画壇では、いわば「現実そっくりに描く」サロン展の画風が主流だったが、「プレネール」(En plein air)で、その場でさささと描くモネたちが最初は「落選作家展」みたいなかたちで出て来て、やがて美術史をつくった。

2013-10-01 08:59:55
茂木健一郎 @kenichiromogi

もい(7)「印象派」(impressionist)は、モネたち本人がつけた名前ではなく、当時の批評家が揶揄してつけたラベルだが、はからずも、その運動の本質をとらえることになった。つまり、物理的な意味でのそっくりなマッチングがあるというよりは、風景の与える印象を、絵が再現している。

2013-10-01 09:01:34
茂木健一郎 @kenichiromogi

もい(8)そう考えれば、いわゆる「ものまね」というのは、印象派の絵と似ているということになる。コロッケさんが美川憲一さんのものまねをやる時に、「ああ、似ている」と思うのは、物理的に同じ、というよりは印象が似ているということであり、その意味で印象派の絵のようなものだ。

2013-10-01 09:02:41
茂木健一郎 @kenichiromogi

もい(9)一番最初に戻れば、なんだか最近は教育の中で英語えいごとうるさくて、早く始めろ、どんどんやれ、とかごちゃごちゃ言うが、学びの本質はそこにはないと思う。ただ、(私のように)オプショナルに英語をやる場合は徹底的にやればいいし、英語の発想なんかを学ぶのも楽しいと思う。

2013-10-01 09:04:13
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート第1051回「ものまねと、印象派」でした。

2013-10-01 09:04:31