.@KenjiMtdさんによるスペイン20世紀美術史連投

国立西洋美術館で開催される「ソフィア王妃芸術センター所蔵 内と外―スペイン・アンフォルメル絵画の二つの『顔』」展をより深く理解するために。 会期:2013年10月3日(木)~2014年1月5日(日)http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2013artinformel.html
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kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連0】いよいよ明後日から「内と外―スペイン・アンフォルメル絵画の二つの『顔』」展が始まります。見所ってわけではないのですが、時代背景を踏まえてみると、見え方が確実に変わると思うので、背景となるスペインの20世紀美術史について連投します。

2013-10-01 13:35:50
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連1】一般に、スペインの戦後美術の知名度は相当に低いはずです。そもそもスペインの「戦後」が39年に始まることから説明が必要でしょうし、日本におけるスペインの20世紀美術史は大抵、ピカソ、ミロ、ダリの「三銃士」だけで終わってしまう。

2013-10-01 13:36:26
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連2】しかも、この三人、活躍して有名になっていったのはパリやニューヨークで、スペイン時代は序奏曲/エピローグ扱い。じゃあ、スペイン国内では何がどう展開していたのか、を把握するためには、歴史的な背景に目を凝らす必要があります。

2013-10-01 13:37:15
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連4】父ホセ・ブラスコが職業画家として期待していたのはもちろん、官展で賞を取ることでしか、画家として生きる道が存在しないに等しい環境があったからでした。その道を外れる「前衛芸術」を受け入れる土壌はまだ十分に整っていません。

2013-10-01 13:40:02
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連5】パリへ留学する画家たちを通して、少しずつ前衛芸術が浸透してくるようになります。1910年代後半から、とくに1930年代前半。全体として見れば明らかに遅れているものの、パリで名声を博す芸術家(前述の三銃士やフアン・グリス)を輩出することになります。

2013-10-01 13:41:06
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連6】それがブッツリ切断されるのがスペイン内戦。2年半に及ぶ血みどろの戦いのあと、枢軸国寄りの軍事政権が勝利し、その後ずっと存続してしまいます。ドイツ同様、40年代前半には前衛芸術を「退廃芸術」と切って捨てる美学が確立してしまったのです。

2013-10-01 13:41:31
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連7】スペインは中立を貫き、第二次大戦には参戦しませんでした。このため、枢軸国寄りであったにも拘らず、軍事独裁体制が戦後も温存される結果となりました。当然、国際社会から除け者にされ孤立します。国連のスペイン排斥決議です。

2013-10-01 13:41:57
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連8】スペインが国際社会に復帰するのは50年代でした。冷戦構造が成立し、軍事独裁体制のまま西側に取り込まれるのです。53年に米西協定を締結、米軍に基地を提供する代わりに経済援助を受けるようになります。55年には国連に加盟します。

2013-10-01 13:42:23
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連9】こうした背景のもと、50年代前半、フランコ政権は文化的な開放政策に転じます。われわれは血生臭い軍事独裁政権ではなく「前衛芸術も受け入れる、文化的にも進んだ政権なんですよ」と、国際社会にアピールする必要があったわけです。

2013-10-01 13:43:10
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連10】国内では検閲による厳しい思想統制を行いながら、国外では前衛性、国際性をアピールしなければならない。そういう時代の要請に、抽象絵画はピッタリ合致していたのです。当時はパリでもニューヨークでも新しい抽象絵画が勃興してきた時期でした。

2013-10-01 13:44:03
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連11】50年代から抽象画家として国際舞台で活躍し始める若い世代、その代表的な芸術家が今回の展覧会で展示されるサウラやタピエスです。サウラは荒々しい筆遣いで描きだすグロテスクな人物、タピエスは画面の物質性(素材の質感)を重視する作風が特徴です。

2013-10-01 13:45:04
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連11】で、僕にはこうした流れが、日本の20世紀美術(洋画史に限定する)の展開と酷似しているように見えます。たとえば戦前、フランスに渡り絵画の技法を学ぶ画家たちによって、少しずつ時差が縮まっていき、彼らのなかからパリで有名になる画家(藤田)が登場する。

2013-10-01 13:45:41
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連12】戦前の日本も、瀧口修造や山中散生、福沢一郎などの尽力によって、パリと同等とまではいかなくても、前衛の最前線でフランスと共闘するまでに至ります。でも、それが日中戦争から太平洋戦争へ向かう戦時体制によって、ブッツリ切断されてしまう。

2013-10-01 13:46:13
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連14】40年代前半は美術が戦争へ組み込まれ、後半は占領下で荒廃していて美術どころではありません。日本が国際社会に復帰するのはスペインと同じ50年代です。サンフランシスコ平和条約の発効によって日本が主権を回復するのが52年、国連加盟が56年。

2013-10-01 13:46:43
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連15】50年代には日本の美術も一気に国際化します。たとえば、堂本尚郎や今井利満がパリへ渡り抽象への道を進み、スタドラー画廊と契約してアンフォルメル画家として活躍します。スタドラー画廊はタピエスやサウラが契約していた画廊です。

2013-10-01 13:47:17
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連16】しかもその頃、ヨーロッパでは第二のジャポニスム(禅)が流行していました。こうした時代背景のもと、タピエスやサウラが日本と繋がっていくのです。ここから先は、カタログの論文をお読みください。

2013-10-01 13:47:51
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連17】50年代末までタピエスが住んでいた家。ここに瀧口修造、檀一雄が泊まりました。 http://t.co/tvtUJrZzdC

2013-10-01 13:48:48
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kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連18】60年以降のタピエス宅。勅使河原蒼風がここを訪れています。 http://t.co/o03qsTAbV7

2013-10-01 13:50:07
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kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連19】日本における学術的なスペイン美術史研究は神吉敬三先生によって約半世紀前に始まりました。それ以来、スペイン美術史研究者の夢はプラド美術館展を開くことでした。このプラド展は21世紀初頭に二度、実現します。

2013-10-01 13:51:02
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連20】次に実現すべき展覧会はレイナ・ソフィア展でした。個人的には、レイナ・ソフィア展こそが僕の学生時代からの夢でした。

2013-10-01 13:52:22
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連21】今回の展覧会は規模こそ小さいものの、レイナ・ソフィア(の4階)に常設展示されている作品を並べるため、部分的にですが、その夢が叶うことになります。しかも、大好きなサウラを数点まとめて展示できる絶好のチャンスなのです。

2013-10-01 13:52:58
kenji matsuda @KenjiMtd

スペイン・アンフォルメル展関連22】この展覧会は常設展のチケットで見ることができます。ピカソ、ミロ、ダリじゃない、スペインの現代美術に触れる絶好の機会ですので、期間中に足を運んでみてください。よろしくお願いします。 http://t.co/ke72t0NUlt

2013-10-01 13:54:34