「良識」さえあれば差別も戦争も起きない
歴史において(それは日本だけでなく、おそらく世界のどこにおいても)規範の違う集団が交流を絶たれた状態で併存していたこと、時代が下るにつれてそれが「主要集団と、特権と引き換えに差別される少数集団からなる社会」に編成されていったこと、はおそらく否定できない。しかし、近代社会は、
2013-10-02 11:09:12そのような近世までの原理の否定の上に成り立っているはずだ。そこではすべての人は平等に遇され、差異は多様性として理解される。これは綺麗事だ。だが、みんなが綺麗事を信頼しなければ現代の社会は成立しない。そこを見だすものは、誰であれ社会の敵だ。
2013-10-02 11:11:58反戦でもそうなんだけど、差別の問題でも、一番必要なのは知識じゃなくて良識だと思う。「人が死ぬの、だめじゃん」「人が差別されるの、だめじゃん」ということを充分強く思っていれば、そのほかの知識は実は必要ない。逆に言うと、そこがしっかりしてない人が知識をもってもろくなことにならない。
2013-10-02 11:23:24どう読んでもこのツイートにおける「良識」って「殺人の否定」と「差別の否定」やん。現代においてこれを「良識」としない民主主義国家が在るわけ無いし妥当な表現。特例とするケースについて論議する以前の「前提」でしょう。 @lematin
2013-10-03 00:55:31@LenyIza そうなんです。もちろん「良識」という言葉よりいい表現を見つけられなかった僕の未熟さでもあるのですが、「それを基本的な価値としない人もいるからダメだ」というのは、「知識だけ増えてもろくなことにならない」ということの典型例じゃないかと思っています。
2013-10-03 07:31:04@lematin 文脈じゃなくて言葉にいちゃもんつけてる方が楽だからじゃないですか?。文脈を理解する為の「知性」いらないですし、「知識」と云うよりも、紋切り型の良く見る応答をしているだけに見えました。
2013-10-03 09:35:35@LenyIza 相対主義って懐疑の姿勢としてはいいんですけど、「相対主義こそが神の視点」というふうになったら終わりだなあ、としみじみ。
2013-10-03 10:05:38@lematin 理解する=インプットする為のロジックと、行動する=アウトプットする為のロジックって、ぼくは方向が逆だと思っています。理解する為にはひとつひとつを細かく分けて見つめて行く必要があり、行動する為にはひとつひとつを丁寧に統合して行く必要がありますから。
2013-10-03 10:30:30@lematin 理解する為のロジックで、行動の為のロジックを批判しても分断と対立を強要するだけになります。言葉の扱い方を間違っているのですから、いくらその批判ロジック自体が正しくても意味がありません。ぼくの「彼ら」の「批判」は受け入れるけど「行動」を拒否するとはそう云う事です。
2013-10-03 10:35:07これは酷い。良識や正義がどんだけ人を殺してきたことか。問題になるのは良識それそのものだし、他の知識はさほど要らないとか、そんなわけあるかいな。
2013-10-03 00:58:55善意と良識と正義をもって「福島の農家は殺人者」というやつさえいるのに。
2013-10-03 01:00:30ヘイトスピーチ連中にとって「普通の」日本人ならやって当たり前のこと、というのは彼等にとって「良識」であって、それを断罪する側は別の「良識」でやってる。知識がなければその「良識」は軌道修正の余地あんのか?宗教じゃあるまいし。
2013-10-03 01:05:59戦争反対、介入反対、って連中がシリアのそれをまったく止めることも正すことともできなかったのは良識がなかったから?当事者だってそれぞれの良識でやりあってて、外野はその良識で断罪も介入も傍観もしてる。良識?
2013-10-03 01:08:19力の発現なくして正義も良識も圧倒的現実の前に無力だし、正義と良識はその時代、社会のコンセンサスの有り様で変わる。だからこそ、その中身が時代、社会で問われるわけで。差別はいけない。が良識として「何故」に応えられなきゃあかんでしょ。
2013-10-03 01:11:59その力はときに理論武装でありときに実力行使でもある。それを行使する「良識」が何に担保され、何に根拠を求めるのか。虐殺されている側に「相手を殺しちゃいけません、良識的に」とか言ったところで、何一つ救いにならねーよ。それを救いにできるのは宗教だけ。
2013-10-03 01:14:33良識とか正義なんてのは常にヘゲモニー闘争に晒されてるの。「だからこそ」ヘゲモニー闘争「が」目的にならないよう注意せにゃならん。良識があれば他は要らんて、その良識は感情でないと言えるか?言えるならその抗弁を形成するのは「知識」だ。それが拙かろうが立派だほうが、だ。
2013-10-03 01:21:13知識があれば良識は不要、でもその逆でもない。それは互いにそれぞれを担保し補い、それでさえなお相容れない物事は山ほどある。良識があれば、ってのは他に言うべき何事もないときに捨て台詞として使うならわかるが(自分もその使い方ならやることはある)。
2013-10-03 01:26:28そのデカルト的な普遍的良識ってのは時代で変わるんだろ。デカルトが一つの物事語るのに何万言費やして、そこ「知識」があればこそ「デカルト的」なんてことが思い浮かぶんだよ。知識教養なくデカルトなんて思い付くわけもなデカルト的なんて想像もできんの。インテリがインテリである時代に戻る?
2013-10-03 01:37:59普遍的に「人であれば」共有認識されてる「良識」なんてものが存在するなら戦争なんてなくなっとるわ。差別もなければ虐殺もなろう。時代がいつであろうが奴隷もなかろう。
2013-10-03 01:41:11知識もろくに持たないままに軍に入り、出自故に農村の惨状を肌で知り、それ故に社会を憎み、それを正義忠義とし、そこに確信犯でろくでもないこと吹き込むやつがいると、テロ万歳の青年将校を量産します。当たり前だが彼等は良心を信じ、それが良識として有り得るはずの社会を実現するためにああなった
2013-10-03 01:49:36自問できない良識は独善だし、自問するためには知識も必要だ。かつて大江健三郎が子供から「何故人を殺してはいけないのか」と問われ、「そう疑問に感じる心が悪い」みたいな解しか返せなかった。知識があってさえそれだ。知識がなかったら、それは信仰でしかない。
2013-10-03 01:53:49至極当たり前のことを言うと、「良識」「正義」が持ち出されるとき、それはほぼ間違いなくそれそのものが「共有されていない」事柄に対しての普遍性の付与でしかないの。分かってて使うなら構わんけどさ。それ「普遍」じゃないだろ、と。
2013-10-03 02:01:14だから、そういう「素朴な感情万歳」は結局「井戸毒デマ」や「撃ちてし止まん」に回収されるのだけど。つかれているのかなぁ。 https://t.co/brv6JQ1Vt0
2013-10-02 11:29:31「良識」だとか「良心」のようなものが、常に権力者に利用されるという歴史上の事実を、まず知る必要があると思うのですが...。https://t.co/1im5Y7bmD5
2013-10-02 11:30:11