茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1055回「ガーコンは、なぜ名作なのか」
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連続ツイート第1055回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、芸術の秋だから、昨日に続いて。。。
2013-10-05 07:43:13がな(1)寄席については、落語好きの祖父や父に連れられて子どもの頃から「英才教育」を受けた。間の取り方とか、今になって講演の時とか役立っている。そんな私が、寄席の前を通るとき、この名前があると思わずおっと立ち止まって入ろうかな、と思う芸人さんが三名いる。一人は林家ペー師匠。
2013-10-05 07:44:41がな(2)テレビで誕生日を言ったり写真を撮ったりしたりするイメージが強いかもしれないが、ペー師匠のピンの漫談は本当に面白い。浅草演芸ホールで、「客席を見ていると、プロレタリアートというか、マルクスレーニン主義というか、あっ、今笑った方大学出ていますよ」なんてくすぐり。
2013-10-05 07:46:02がな(3)二組目が、ボンボンブラザーズの師匠たち。紙のこよりを鼻の上に立てて、バランスをとる芸が本当に面白い。口ひげを生やした師匠が、オットセイのようにバランスをとっているうちに、おっとっと、と客席の方に歩いていってしまう。そして、三人目が、川柳川柳師匠。
2013-10-05 07:47:29がな(4)川柳師匠は、もともとは三遊亭円生のお弟子だったが、○○○○事件で破門になった。その代表作『ガーコン』は、寄席通いをする人なら誰でも知っている爆笑落語。寄席に行くか、何らかの方法でぜひ聞いてみて欲しい。これはつまり、「昭和歌謡史」なのだが、歴史に残る名作である。
2013-10-05 07:49:05がな(5)『ガーコン』を初めて寄席で聞いたときには、本当にびっくりした。川柳師匠が、戦前の軍歌を、大声で朗唱するのである。最初に聞いた当時は(おそらく今も?)軍歌を公衆の面前で、というのは何とはなしにタブー意識があって、そのタブーが破られる快感というものがまずはあった。
2013-10-05 07:50:32がな(6)川柳師匠は言う。「日本が勝って、調子が良かった頃は、軍歌も明るくえ前向きのものが多かった。それが、ミッドウェー海戦で敗れて、調子が悪くなった後は、軍歌も暗いものになった」そして、敗戦。それまで禁じられていたアメリカの曲が、ラジオから一斉に流れ始める。
2013-10-05 07:52:10がな(7)それで川柳師匠が初めて耳にしたのがジャズ。腰を抜かすほどびっくりする。ベースがぷんぷん、ぷんぷん、ぷぷぷぷっぷっぷん、トランペットがパララッパパララッパ、パラララララパッパ、ドラムスがシュン、タタタタン、シュン、タタタタン。それを全て口演するが、ほれぼれする見事さ。
2013-10-05 07:54:28がな(8)ジャズを聴いて、アーパーになっちゃったアホ息子が、東京で遊んでいるうちに、田舎のオヤジは息子は大学で勉強しているだろうと一生懸命仕送りしている。だから旧式の脱穀機しか使えない。ガーコン、ガーコン。稲穂を持って脱穀しているその姿が、アホ息子がジャズで踊っている姿と重なる。
2013-10-05 07:55:57がな(9)『ガーコン』が名作なのは、戦前から戦後に到る日本人の体験を、その生の実感に基づいて描いているからだろう。軍歌が明るく響いていた時代。敗色が濃くなり、やがてアメリカ軍による統治。イデオロギーではない、人間の視点がそこにある。まだこの名作に触れていない方は、ぜひ!
2013-10-05 07:57:59