tribeとnation

個人的メモですごめんなさい
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佐藤章 @AKR__310

独立を要求する単位として措定される人間集団を「民族」と呼ぶとする用語法を採用するならば、「ソマリランド人」を「民族」と呼ぶという見地はありうるでしょうね。むろんその見地は「ソマリ民族主義」の立場からはとうてい容認できないものだろうけれど。

2013-10-10 22:06:53
佐藤章 @AKR__310

日本のアフリカ研究では英語のtribeを「部族」と訳していたが、「部族」に後進性の含意があることからtribeを「民族」と訳す動きが進んだ。ただこの結果、かねてより「民族」と訳されてきたnationとtribeはどう訳し分けるのか、そもそも中身の異同はあるのかという問題が出た。

2013-10-10 22:57:59
佐藤章 @AKR__310

そもそも「発見者」を自認する立場の人間が未知の人々に邂逅した時、それらの人々が「ひとまとまり」に見えるかどうか、またその人々が独立国家を作れるようにみえるのか否か、というきわめて主観的な判断に基づいて、tribeなりnationなりの語が当てられてきたのではなかったか。

2013-10-10 23:03:54
佐藤章 @AKR__310

仏領アフリカについて言えば、植民地当局は文化的にひとまとまりに見える人々を意図的に「部族tribu」と呼んだ。そう呼ぶことは、人々を自決の単位となり得る「民族nation」とは認めず、統治されるべき存在として位置づけることに他ならなかった。

2013-10-10 23:07:46
佐藤章 @AKR__310

日本のアフリカ研究で「部族」に代え「民族」を使う動きが出てきたのは、人間集団をどう呼ぶかが統治そのものと直結するという認識を踏まえている。すなわち、「部族」は植民地期の統治者目線からの人間概念として、「民族」はそれを脱した時代の人間概念として、ともに歴史化された概念なのである。

2013-10-10 23:13:17
佐藤章 @AKR__310

ただ「部族」ということばに関しては、ある中東研究者から「中東研究で"部族"というのは"kabila"のことなので、アフリカ研究者が考える意味概念とは違う」と言われたことがある。どの地域を研究しているかで、同じ日本語の単語でも意味内容が違う可能性があるわけである。

2013-10-10 23:17:51
佐藤章 @AKR__310

はたして民族って、自決を求めた瞬間にだけ立ち上げられるものなんでしょうかね。

2013-10-11 23:29:53
佐藤章 @AKR__310

欧州列強によるアフリカ分割は19世紀末から本格化するが、それより前の時代には、欧州諸国がアフリカに拠点を築く際には、現地の首長や王と条約を結ぶのが常だった。現地の締結主体はせいぜい数か村規模の国である場合も多かったが、主権国家間の外交として執り行われたのである。

2013-10-11 23:49:16
佐藤章 @AKR__310

実効支配を確立したと会議参加国に通報しさえすればアフリカの土地を領有できるというルールがベルリン会議でできあがった。これにより列強は「現地の首長国・王国との条約締結」という手段をとらなくなった。現地の首長国・王国にとってこれは、国際法上の主権を一方的に剥奪されることを意味した。

2013-10-11 23:58:39
佐藤章 @AKR__310

ベルリン会議を経たアフリカ分割後の時代には、首長や王は植民地の下部行政に組み込まれた。これがいわゆる間接統治である。首長制・王制をとっていなかったひとびとのところでは、本来は存在しない「首長」が植民地当局から任命された。これは植民地当局による民族の「構築」という側面を持つ。

2013-10-12 00:08:53
佐藤章 @AKR__310

民族の構築という話はサハラ以南アフリカの民族を考えるうえでとりわけ深刻な話である。「当事者」が語る民族の創世譚なども、植民地時代の影響を強く受けたものである可能性が指摘されている。この点はホブズボームとレンジャーの編による古典で強調されている点である。

2013-10-12 00:15:54
佐藤章 @AKR__310

ホブズボームとレンジャーの編による古典とはこれのことhttp://t.co/NLOAclnOMg

2013-10-12 00:16:14
佐藤章 @AKR__310

なんらかのまとまりのあるひとびとの集団という社会的現象が成立するには、集団側からの宣言と集団外からの認定のプロセスが必要だし、宣言にしろ認定にしろ、どこのだれがどう判断したのか次第で重みや意義が違う。このプロセスの束こそがむしろ肝なんだと思う。

2013-10-12 00:32:11