音楽会場、演奏空間が巨大化することで、歌がどう変化してきたか

声楽家、山枡信明さんによる連続ツイートです。
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山枡信明 @nobuyamamasu

1.歴史の上で音楽会場、劇場が大きくなっていくにつれて、広い会場でも聴こえる声を出す技術が発達したのだろう。

2013-10-12 07:11:15
山枡信明 @nobuyamamasu

2.演奏空間の巨大化は、オーケストラの編成や、楽器の改良、増強にも影響し、当然声にも大編成オーケストラや近代楽器に釣り合う音量や音質が求められたのだろう。

2013-10-12 07:15:46
山枡信明 @nobuyamamasu

3. ここにおいて求められたのは、音量的強化と平均化(音域、母音などによる差異を減らす)だったのだろう。この強化と平均化、つまり音量を第一に求める発声法、歌唱法は、それ以前にあったような言葉の強弱、ニュアンス、音楽の形に即応するような柔軟な表現法を奪っていったのではないか。

2013-10-12 07:20:52
山枡信明 @nobuyamamasu

4. また大音量化にともなって、必然のように出現してきたのが、強いヴィブラートの常駐ではないかと思う。強い音、高い音を延ばすときに、ノン・ヴィブラートを試みると、非音楽的な、つっぱった叫びに陥り易い。

2013-10-12 07:24:22
山枡信明 @nobuyamamasu

5.こうして発達した新しい発声法、歌唱法は、そのスタイル自身がひとつの規範となって、それ以外のやり方を排除するものとなってきたのだろう。それは今日の「声楽家」たちまで、多かれ少なかれ引き継がれて、その大多数、主流を占めているのではないか。

2013-10-12 07:28:32
山枡信明 @nobuyamamasu

6、 もちろんこのような「変化」は一挙に起こったものではなく、19世紀や20世紀の前半中ごろまでの長い時間を通して、ゆっくりと起こり、またジャンル(オペラ・オラトリオ・歌曲・・・・)や地域によって、その変化の速度もさまざまだったのだろう。

2013-10-12 07:31:42
山枡信明 @nobuyamamasu

7. また電気的増幅装置(PA)が出来てからは、ポピュラー音楽では、マイクの使用によって、声の強化の直接的、一面的必要はなくなり、歌唱法はクラシックとは全くかけ離れた表現を取ることが可能になった。

2013-10-12 07:35:25
山枡信明 @nobuyamamasu

8.ところが、クラシック音楽では、幸か不幸か、原則としてマイクは使わずに、生の声に頼る。それは祝福であり、ある意味では呪いでもある。職業歌手は音楽以前に音量の壁をクリアーしなければならなくなった。美しい声でも聴こえなければ仕事にならない。

2013-10-12 07:38:53
山枡信明 @nobuyamamasu

9. ひとつの悲劇は、楽器については素材の変化、メカニックの改良などが自由に行えたのだが、生身の人間を簡単に改造することはできない。弦楽器には金属弦を張ることが容易だが、声帯を金属に置き換えることはできない。そこで特殊技術に頼るのだが、それが歌唱をいびつなものしたのだろう。

2013-10-12 07:44:44
山枡信明 @nobuyamamasu

10. 主に20世紀後半から続いている「古楽」の運動、「古楽器」の再興は、声の扱いにも大きな影響を及ぼした。作曲当時の楽器や編成によって過去の声楽曲を演奏することが出来るようになった。そこに求められる声は20世紀的に強化、肥大した発声法とは方向が違う。

2013-10-12 07:49:38
山枡信明 @nobuyamamasu

11. 古楽に歌をどうなじませるかという壮大な研究、実験はまだ進行中である。楽器だけの音楽が一定の安定を見ているのに対して、いろいろな立場で、いろいろな実践が行われている。あるときには「専門家」によって、あるときは「普通の」声楽家によって。

2013-10-12 07:53:24
山枡信明 @nobuyamamasu

訂正 12.その全てを肯定することは出来ないが、「古楽」によって空いた風穴が、声楽の技術、歌唱法についての固定的観念をほぐして、意識の高い人々を生み出したと言えるだろう。また「歌曲」の演奏法などにも、柔軟さ、繊細さと活力をもたらしているかもしれない。

2013-10-12 08:09:05
山枡信明 @nobuyamamasu

13. このような動きは、旧来の発声法の牙城であるオペラにおける歌唱をも、微妙に変化させているのではないか。画一化、硬直化は崩れてきているのではないか。

2013-10-12 08:00:37
山枡信明 @nobuyamamasu

14. 身の回りのある人が、そこはもっと弱音が良いのではという私の感想に、「でも、これはオペラだから・・・」と言ったのだが、それには旧来の頑固な思い込みが込められているようだ。声楽家は案外頭が固いのだ。

2013-10-12 08:02:46
山枡信明 @nobuyamamasu

15. 音楽会場、演奏空間が巨大化することで、歌がどう変化してきたか、についての連ツイでした。御付き合い有難うございます。

2013-10-12 08:04:26
山枡信明 @nobuyamamasu

「これはオペラだから・・・」「歌曲だから・・・」「イタリア音楽だから・・・」「ベートーヴェンだから・・・」というように分類して、性急にある特定の演奏スタイルを適用するよりも、ひとつひとつの楽曲の個性と価値を見つめて、そこにかよう息吹を感じ、心に共鳴させ探っていきたいたいものだ。

2013-10-12 16:20:13
パリババ2号 @Yukfra

@nobuyamamasu クラシック声楽のあの「不自然な」発声が会場の広さから来ていると考えたこともありませんでした。マイクがなかったら普通の発声では誰にも聞こえないですね。

2013-10-12 12:38:22
山枡信明 @nobuyamamasu

美意識だけで発達した演奏スタイルではないように思うのです。会場の広さとかオーケストラの大きさとか、そういうものへの対応の結果ではないでしょうか。 @Yukfra クラシック声楽のあの「不自然な」発声が・・・

2013-10-12 16:25:17
山枡信明 @nobuyamamasu

管楽器にしろ、弦楽器にしろ、「増強」された近代、現代楽器は、それでも自然に音楽的に演奏できる代物なのだが、これと平行して飛躍的増強された声楽、発声技術のについては、実行においてよほどのレベル、洗練を経ないと、全く聴けないような代物に陥りやすい気がするのだ。

2013-10-12 16:35:52
ヲノサトル @wonosatoru

@nobuyamamasu ポピュラー音楽でも音量の増大が作編曲に与えた影響は甚大で、乱暴に言えばオーケストレーションの単純化と、ダンスミュージック化(ビートの偏重)が過度に進行したと考えています。とりわけ21世紀に入ってからは加速度的に。

2013-10-12 16:43:32
山枡信明 @nobuyamamasu

興味深い御指摘有難うございます。たしかに大音量のなかでは、和声的なもの、声部の進行、あるいは音色の変化を察知することは容易でないですね。そんなものよりは、単純な振動体験、脈動を味わうのでしょう。それが閉塞感、圧迫感とかの時代の気分にもあっている。 @wonosatoru  

2013-10-12 17:14:23
山枡信明 @nobuyamamasu

過去のポピュラー音楽が持っていたような、素朴な叙情性なりは、明るさがほとんど無くなっているように思われるのですが、いかがでしょうか。その原因はどこにあるのでしょうか。 @wonosatoru

2013-10-12 17:16:53
ヲノサトル @wonosatoru

@nobuyamamasu これはまた難問を(笑)乱暴に言えば、複製技術の出現によって音楽体験のフォーカスが、メッセージ(言語的であるにせよ感情的であるにせよ)の伝達から、サウンドという感覚刺激そのものへと変容した事が、最大の要因だと考えます。

2013-10-12 17:23:47
山枡信明 @nobuyamamasu

「メッセージ」から「感覚刺激」というのはとてもよく分かります。「構成」も感覚刺激を効果的にする手段が主な役割ですね。 @wonosatoru

2013-10-12 18:29:01
山枡信明 @nobuyamamasu

「複製技術」はその変化にどのように影響したのでしょうか。しつこくてすみませんが。 @wonosatoru

2013-10-12 18:30:06