橘川幸夫氏の「まほろば合掌団 はなさか赤ちゃん(1975年頃)」
●このテキストは、1975年頃、ロッキングオンに掲載されたもの。タイトルは「まほろば合掌団 はなさか赤ちゃん」とある。まほろば合掌団は、真崎守の弟子だった、故・本田義高くんとの共作。僕がテキストを、彼が絵を書いてくれた。
2013-10-20 21:37:01●60年代から続いた暗い坂道が、75年を境に、ぐうんと明るく上昇した頃だ。変化の時。(思い出のテキストシリーズです。片岡くん、よろしく)
2013-10-20 21:37:11男と女は違う、僕と君とは違う、日本と米国は違う……今までの僕達の思考方法って、全て、それぞれの特殊性、異和点を前提として、それを拡大してゆくばかりの方法だった
2013-10-20 21:37:22それゆえに文学者は痛み哲学者は苦しみ宗教者は泣いたのです でもさ、これからは僕達の共通点を、素晴しき本質のみを圧倒的に拡大していきたい
2013-10-20 21:37:33だって僕と君は名前が違う、とか、育ちが違う、とか、性格が違う、とかそんな分りきった事を一所懸命に自分自身にフィックスしたって面白くないよ
2013-10-20 21:37:42何んで戦後のものすごい経済成長があったのか、って考えて、もしかしたらそれは皆んなが淋しかったからかも知れない、と思ったのです
2013-10-20 21:38:04戦争で、友や肉親やたくさんの人が死んで、生き残った人は、もう悲しくて、仕事でも何でも夢中になるしか自分を支えきれなかったのかも知れない、と、思ったのです
2013-10-20 21:38:19思っただけです、理由はありません ……今日、僕の大好きな、板橋のおばあちゃんから連絡があって、もう幸夫とは大分会ってないから、死ぬ前に一度だけでも幸夫に会っときたい、って
2013-10-20 21:38:29……あれは小学3年の頃だった 僕は近所の銭湯に入ってて、突然、啓示のように<おばあちゃんが死ぬ>という意識を受信したのだ すごく悲しくなって、僕は頭を洗いながら泣いていたハズだ
2013-10-20 21:38:43確かに、パン以外のもので生きようとして、西欧人(僕らも)は芸術を、科学を、戦争を、目指した訳で、そういうカラクリを知ってしまったから、僕は、僕を、否定した
2013-10-20 21:39:24つまり、機械になりたい、と言って現実的に機械になってしまう人は、やはりどこかおかしいのではないか バカダネエ~ いろんな化粧を落としたらあとは、普通の、タダの人間になるしかないのでないのさ
2013-10-20 21:39:43毎日いろんな事がある。毎日いろんな事が起る。わあっ、僕は、もう、すごくて、毎日、毎日、僕は、僕は、すごいなあ。笑ったり怒ったり泣いたり憎んだり馬鹿にしたりされたり、すごいなあ、うん、すごい、すごいよなあ~、
2013-10-20 21:39:54もうこれ以上もこれ以下もないよなあ~、笑って、泣いて、でもそんな事がちっとも僕の方に帰って来ないから、やっぱ、すごいなあ、うわあ、うわあ、はちきれてしまいそう。
2013-10-20 21:40:05僕をやわらかな僕達の連鎖へと導くものは、微笑そして膝。これからも、僕は一人で思考したり悩んだりしないで、皆んなと一緒に考えたり遊んだりしたい。今、実感として、大勢の微笑があり膝がある。
2013-10-20 21:40:14だからもし僕がつまんない事でイジケたり、頭に乗ったりしたら、しかって下さい。孤独とは、そう孤独とは隔離されて孤立してしまう事ではない。それは敏感になる事だ。裸になって、僕達の世界に飛び出して、全身くまなく刺激を浴びる事だ。そうだよな、俺、刺し抜かれてもいい!!
2013-10-20 21:40:28