漢代の騎兵の話

光武帝の将軍呉漢、そして彼の騎馬突撃の話とか、鐙以前の時代でも騎馬突撃はあっただろうという話とか、匈奴の騎兵と漢人の騎兵の比較の話とか。
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akira@外国にルーツを持つ子どもを支援する人 @akira090802

光武帝の将軍の呉漢について。敗戦は少なくとも6回以上記録されている。匈奴に2回、公孫述戦で2回、隗囂戦で1回、鄧奉戦で1回。ただしすべて戦術レベルの敗戦で致命的なものはないが、後漢初期において延岑に次いで敗戦が多い将軍かもしれない。(続

2013-10-19 21:00:34
akira@外国にルーツを持つ子どもを支援する人 @akira090802

続)呉漢は光武帝政権のナンバー2であり、二十八将では2位だが、実際には皇帝劉秀に次ぐ権力者である。劉秀に不慮の事態があれば全権を握るのが同僚への人望も厚い大司馬呉漢である。劉秀ですら文官に厳しいと言われたのに、呉漢だと文官の首がどれだけ飛ぶか想像に余りある。

2013-10-19 21:01:40
akira@外国にルーツを持つ子どもを支援する人 @akira090802

続)呉漢は成都を陥落させたとき、ただ略奪しただけでなく、成都市内を火を放って焼き払ったため、劉秀から譴責を受けている。呉漢をなぜ重用するのか、というのが劉秀を理解するのに難しいところ。

2013-10-19 21:02:44
akira@外国にルーツを持つ子どもを支援する人 @akira090802

続)呉漢は戦争に出ないときも常に準備万端であり、命令があればその日にも出撃できたという。この機動性の高さこそが呉漢の最大の武器である。

2013-10-19 21:03:45
akira@外国にルーツを持つ子どもを支援する人 @akira090802

続)呉漢は冴えない容貌の上に訥々として自己アピールが下手だったはずだが、将軍としての兵士への演説能力は高く、その名演説が二度にわたって記録されている。

2013-10-19 21:04:53
akira@外国にルーツを持つ子どもを支援する人 @akira090802

続)呉漢は土地調査について劉秀ととも主導的立場であったと思われる。呉漢は家族が買い占めた土地を整理させ、邸宅などを決して増築させなかったとあり、土地調査への対策なのは明らか。そして対策をしなかった韓歆や歐陽歙は失脚するのである。

2013-10-19 21:05:57
akira@外国にルーツを持つ子どもを支援する人 @akira090802

続)呉漢を考えるとき、私はアメリカ南北戦争の将軍シャーマンを思い浮かべる。シャーマンは北軍の名将だが、南軍のリーに比べればそれほど将軍として有能ではない。

2013-10-19 21:06:59
akira@外国にルーツを持つ子どもを支援する人 @akira090802

続)軍事史研究家のリデル・ハートは、リーは名将だがただそれだけであるのに対し、シャーマンは軍事革命家であるという。全面戦争の概念を持ち込んで戦争の歴史を塗り替えたからである。シャーマンは敵国のインフラを徹底破壊したことで知られる。

2013-10-19 21:08:01
akira@外国にルーツを持つ子どもを支援する人 @akira090802

続)呉漢は、その凶暴さがシャーマンの破壊ぶりと類似性があるだけでなく、軍事においても革命家である。それは光武帝が導入した騎馬突撃戦法の中核の突騎の将軍としてである。

2013-10-19 21:09:02
akira@外国にルーツを持つ子どもを支援する人 @akira090802

続)前漢までの騎兵の戦いの基本は騎射であり、ヒット&アウェーで奇襲するのが基本用法である。剣や矛などを使って白兵戦をするときは騎兵も馬から降りて戦うのが普通であった。というのも、当時の馬具では馬上で矛を使って相手を打つと衝撃で落馬してしまうのだ。

2013-10-19 21:09:04
akira@外国にルーツを持つ子どもを支援する人 @akira090802

続)これが光武帝の突騎の戦いから一変する。特に呉漢は、戦闘中に落馬するシーンが複数記録されていて、明らかに騎馬突撃中のアクシデントであるとわかる。呉漢こそは軍事史における騎馬突撃革命の中心人物なのである。

2013-10-19 21:10:08
akira@外国にルーツを持つ子どもを支援する人 @akira090802

突騎の話。後漢初期に突騎を率いた人物。呉漢、蓋延、王梁、耿弇、景丹、寇恂、臧宮、馬援、杜詩、張純。記載はないものの状況から突騎を率いたと推測されるのは、馬武と賈復。(続

2013-10-20 21:01:07
akira@外国にルーツを持つ子どもを支援する人 @akira090802

続)後漢初の突騎の登場まで騎馬突撃がほとんどなかったのは、馬が高いという理由もある。馬の市場価格は人間の半分近くする。しかも馬甲のない時代に騎馬のまま敵陣に突入すればその馬は一回で使い物にならなくなる。それなら馬から降りて人間が突入した方が戦略的に正しいのだ。

2013-10-20 21:02:10
akira@外国にルーツを持つ子どもを支援する人 @akira090802

続)馬甲があっても騎馬突撃の馬の損耗率は高かった。王郎戦で活躍した光武帝の四千騎の突騎部隊は、王郎を滅ぼしたときは既にほぼ全滅していた。

2013-10-20 21:02:11
akira@外国にルーツを持つ子どもを支援する人 @akira090802

続)馬を大切にする遊牧民は基本的に騎馬突撃などせず、騎射で戦う。ずっと後の時代のチンギス・ハーンのモンゴル軍も騎馬突撃はあまりしないで騎射が基本である。

2013-10-20 21:03:14
akira@外国にルーツを持つ子どもを支援する人 @akira090802

続)西洋の軍事史学者によれば、鐙の登場が騎馬突撃を成立させたとしている。馬上で武器を使うときは両手で武器を持つので、足と鐙で水平方向に踏ん張るのだ。後漢初の突騎に鐙はなかったため、特殊な才能の人間を必要とし、補充が難しかった。

2013-10-20 21:04:15
akira@外国にルーツを持つ子どもを支援する人 @akira090802

続)漢以前でも項羽など馬上で武器を奮う人間はいる。しかし騎馬突撃するには項羽が千人必要なわけで、これでは騎馬突撃は成立しないのである。馬具の発達が少しずつ騎馬突撃のハードルを下げていったわけである。

2013-10-20 21:05:17
お菓子っ子 @sweets_street

前漢の晁錯が「平原では軽車突騎を用いやすいから漢人有利」と言ってましたね RT @akira090802 続)馬を大切にする遊牧民は基本的に騎馬突撃などせず、騎射で戦う。ずっと後の時代のチンギス・ハーンのモンゴル軍も騎馬突撃はあまりしないで騎射が基本である。

2013-10-20 21:09:53
お菓子っ子 @sweets_street

「鐙が発明される以前は騎兵突撃戦術は普及してなかった」と言われること多いけど、史記や漢書や後漢書の戦闘描写見ると騎兵で乱戦やってるし、晁錯の漢人と匈奴の比較論では「平地では漢人の軽車突騎が攻撃すれば、匈奴の騎兵はあっさり崩れる」と言ってるので漢人騎兵は突撃やってたぽいですね

2013-10-20 22:10:47
お菓子っ子 @sweets_street

逆に「匈奴の馬は険しい道を移動できる」「匈奴の騎士は険しくて傾斜の地形でも騎乗したまま射撃できる」「匈奴の人間は風雨や飢え渇きに強い」と晁錯は言ってて、匈奴の騎兵は険しい地形で激しく動き回って敵を疲れさせつつ騎乗射撃で撹乱する戦法に長けていたようです

2013-10-20 22:17:01
お菓子っ子 @sweets_street

漢人騎兵が平地での突撃に長けてるのは、晁錯の「漢の武器防具は匈奴の武器防具より質が高い」、陳湯の「匈奴の弓や刀の質は低いから、漢人兵士一人で胡人兵士五人と戦える。」にあるような武装の優位故ではないかと思います。漢人は鉄製の武器を使ってたけど、匈奴ではあまり普及してなかったようです

2013-10-20 22:32:46
お菓子っ子 @sweets_street

鉄製の武器を使ってて正面戦闘では圧倒的に強い漢人が長い間匈奴に敵わなかったのは、匈奴が得意とする「有利なら進み不利なら逃げ、険阻な地形に引きずり込まれて疲れた敵を取り囲んで射撃を浴びせる」戦術と、重装部隊と徒歩の射撃部隊を組み合わせる漢人の戦術の相性が悪かったからなのでしょうね

2013-10-20 22:38:52
お菓子っ子 @sweets_street

後漢の建国期に猛威を振るった烏桓突騎は、漢人に指導を受けて漢人風の戦術を習得して漢人騎兵と同じ武装をした烏桓人部隊なのではないかと思います。だから騎射に長けた遊牧民騎兵の戦術を学んでないはずの内地の南陽や潁川の出身者でも突騎を指揮できたのではないかと

2013-10-20 22:48:11
お菓子っ子 @sweets_street

平地が多く白兵戦担当の重装部隊と射撃部隊を組み合わせた戦闘に向いている華北は、重装部隊を突破する能力と射撃部隊の矢をある程度防げる能力を持つ突撃騎兵が活躍できる戦場です。光武帝軍の突騎の強さは屈強な烏桓人が内地向けの戦術を習得し、優秀な鉄製武具を使用したゆえの強さかもしれませんね

2013-10-20 22:57:04
お菓子っ子 @sweets_street

突撃騎兵の戦術は内地の対重装部隊向きの戦術で、辺境で匈奴や鮮卑などの遊牧民と戦うなら彼らの機動力と騎乗射撃能力に対抗できる軽騎兵を用意する必要があります。後漢は遊牧民騎兵を部族ごと傘下に加えて辺境防衛に使ったので、辺境では軽騎兵と重装部隊・弩弓隊が連携した戦術を使ったと思われます

2013-10-20 23:12:57