安芸高田市歴史民俗博物館による「毛利隆元の生涯」ツイートまとめ

安芸高田市歴史民俗博物館では26日から12月8日まで、隆元没後450年記念特別展が行われている。11月17日にシンポジウムも開催される予定。
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安芸高田市歴史民俗博物館 @akitakatahaku

毛利隆元の生涯① 1523年元就と妙玖(法名)の長男として誕生しますが、実は姉がいました。誕生日は不明で、この年元就は毛利の家督を就いで郡山 城に入ったことから、隆元が産まれたのが郡山城か猿掛城かはわかりません。

2013-10-11 20:32:21
安芸高田市歴史民俗博物館 @akitakatahaku

毛利隆元の生涯② 1537年、隆元は人質として山口の大内義隆のもとへ送られます。以前に尼子方であった元就としては成人間際の長子を吉田から遠く山口に送り出すことはそれなりの覚悟があったはずです。以後約四年に及ぶ山口滞在が続きます。

2013-10-12 21:00:50
安芸高田市歴史民俗博物館 @akitakatahaku

毛利隆元の生涯③ 1537年、隆元の山口到着からの日記、山口滞留日記があります。これには滞在中の隆元の動向が詳しく記録され、瑠璃光寺なども見物しています。人質といいながら様々な人と面会しており人脈を作ったようです。毛利博物館所蔵のこの日記は今回出展予定です!

2013-10-13 15:36:42
安芸高田市歴史民俗博物館 @akitakatahaku

毛利隆元の生涯④ 山口での生活が始まった隆元は現地で元服を迎えます。大内義隆の加冠により、「隆」の字をとり、また毛利家当主に継承されていた「元」をとって「隆元」と名付けられました。

2013-10-14 19:43:02
安芸高田市歴史民俗博物館 @akitakatahaku

毛利隆元の生涯⑤ 隆元は山口滞在中、当時の最先端の文化に触れました。様々な教養や感覚を身につけましたが、特に絵画の才能が開花し数々の作品を残しています。今回の特別展でも、隆元直筆の絵画や自画像を展示します!

2013-10-17 19:43:11
安芸高田市歴史民俗博物館 @akitakatahaku

毛利隆元の生涯⑥ 隆元が人質生活を終えて吉田に帰ったのは1541年頃で、尼子氏が来襲した郡山合戦の後と思われます。その後、1543年大内義隆の尼子攻めに従軍しますが、これが隆元の初陣と思われます。しかし、尼子攻めは失敗し大内軍は撤退しました。

2013-10-18 20:51:28
安芸高田市歴史民俗博物館 @akitakatahaku

毛利隆元の生涯⑦ 1546年から47年にかけて、元就から隆元に家督が相続されたと推定されています。秋山伸隆氏は、1547年2月に毛利家伝来の「重書」が隆元に譲られていることから、これが家督相続にあたる可能性を指摘しています。

2013-10-19 19:33:23
安芸高田市歴史民俗博物館 @akitakatahaku

毛利隆元の生涯⑧ 1549年、隆元は大内義隆の養女と結婚します。実父は大内重臣内藤興盛で、大内との繋がりを強めるため、養女としたようです。その際の嫁入り道具かと言われているのが、大内菱紋入りの鏡片。郡山山麓からの出土品で、勿論今回展示します!

2013-10-20 21:19:59
安芸高田市歴史民俗博物館 @akitakatahaku

毛利隆元の生涯⑨ 1555年、厳島合戦で毛利軍が陶軍を破りますが、この前年に協力関係にあった陶氏と毛利氏が断交しました。それを決断し元就を説得したのは実は当主隆元でした。これは彼の戦国武将として最大の功績で、再評価されるべきです。さあ、隆元展まであと2日!準備も大詰めですー。

2013-10-24 21:17:51