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korekorebox
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@korekorebox 護軍は軍団内の人事考査を担当するので、戦争が始まった時にはあまり意味がない。だから、戦争時には軍団内から部隊を預けられ戦闘に参加する事もある。
2013-10-24 13:42:20
@korekorebox 大規模な軍団内には校尉(司馬)が率いる部隊が、複数存在する。また図の司令官の位置が下級将軍の場合。その上に大将軍などがおり、大将軍を頂点として図のような軍団がいくつも大将軍の下に配置される。
2013-10-24 13:47:13
@korekorebox 将軍府の中と軍団内に『司馬』という役職名が見えるけれど同じものではなく別物。府内の司馬は詳しい職掌の仮定が難しいので今回は省く。軍団内の校尉(司馬)は連隊~旅団クラスの隊長の事。
2013-10-24 14:02:13
@korekorebox 連隊・旅団の兵数規模についてはWiki『軍隊の編成』を参照。http://t.co/U0dlP8GF3X
2013-10-24 14:03:18
@korekorebox 前軍師・中軍師の職掌は監軍と同じ。監察する対象が決まっており、禁軍(中央軍)を監察する役職。軍の目付役なので役職としては、本来は諸葛亮(丞相)の直接指揮下には入らない。
2013-10-24 14:38:42
@korekorebox 諸葛亮は黄金の斧鉞を下賜され、出征に関して君主の全権委任を付託された。その為に、魏延は前軍師・征西大将軍であっても丞相という上役の諸葛亮が司令官を務める軍団の武将として指揮下に入った。
2013-10-24 14:50:54
@korekorebox 前軍師や中軍師は朝廷(君主)が任命する軍役職で、丞相や大将軍が任命できる役職ではない。例外敵にこういった役職は、外戚など権力を握った人物が君主代理の越権行為で任命したりする事もあるので誤解を招く。
2013-10-24 15:05:02
@korekorebox [補足] 基本的に『○○校尉』というのは、固有の部隊を直接管理する部隊長の事。将軍指揮下に入ったり、独立部隊となったりする。独立部隊時に部隊内人事を護軍などに干渉されるかは不明。
2013-10-24 15:20:04
@sweets_street ありがとうございます。府の表現とか地位の関係とかどうしようか悩んだけれど、多少省いて簡略で表現してみました(ノ)^ω^(ヾ)ムニムニ
2013-10-24 20:59:50
@korekorebox 現在、続漢書百官志に登場する全官職に説明文をつけた図表を作成して、六割方できております。しゅくしさんと僕のイメージは多少違うと思いますが、お互いに自分の表を作ることで議論のたたき台にできると良いですね
2013-10-24 21:03:12
@korekorebox 190年代群雄組織 http://t.co/LJ7za8GknF 190年代軍隊組織 http://t.co/rQlxC1j4xp 後漢軍隊組織 http://t.co/J5ge4pCLDw 地方行政系統 http://t.co/SnExmHmriw
2013-10-24 21:15:19
@sweets_street 自分、都督とか直営軍の関しても省いてますからね。都督は納得できる説明ができるほど職掌の変化などがつかめてませんし、直営軍に関しては呉の関係でやろうと思ってますから(ノ)^ω^(ヾ)ムニムニ
2013-10-24 21:32:50
@korekorebox 司馬は情勢不安定な地域においては、ほとんど常置の役職。州刺史・牧の軍務補佐。ただ、刺史や牧になった人物が将軍号を持っていたりすると州府なのか将軍府なのか判別は困難。
2013-10-25 13:56:20