- karitoshi2011
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0『朝日新聞』(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 2013年10月26日 http://t.co/R4iAsllR7m 記事を紹介し、感想等を付け加えてまとめる。 が、それにしても、今回の記事の「引き」はすごい。 次回を絶対に読みたくなってしまう。
2013-10-26 22:58:131(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 前回記事の終わり 「原発事故後、福島県立医大は苦闘を続けていた。3月12日夜の県立医大に時間を戻す。」 今回は 「2011年3月12日の午後8時ごろ。福島県川俣町の町営体育館から白い乗用車が走り出した。」で始まる。
2013-10-26 23:30:312(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 乗用車の運転手は、当時の双葉町長井戸川克隆氏。目的地は福島県立医大。井戸川町長は2011年3月12日15時36分、双葉町内で残った住民の避難指示をしている最中に、東電福島第一原発1号機の爆発に遭遇した。
2013-10-26 23:33:503(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 爆発の2、3分後、井戸川氏らの上に、白いぼたん雪のようなものがふわふわと落ちてきた。「被曝した!」と直感した井戸川氏は、自らの他にも多くの人が被曝する様子を見て「地獄絵図のようだ」と感じた。
2013-10-26 23:35:414(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 川俣町に町民を避難させながら、井戸川氏は県立医大に行くタイミングを見計らっていた。原発事故の訓練で、県立医大に測定器があることを知っていた。将来のために、被曝の記録をなんとしても残さないといけないと考えていた。
2013-10-26 23:36:455(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 川俣町の体育館横の合宿所に役場の事務スペースを作り、避難が一段落した時点で、井戸川氏は2人の職員に「行くぞ」と声をかけ、川俣町から約1時間かけて、福島県立医大に着いた。
2013-10-26 23:40:196(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 福島県立医大の被曝対応施設の「除染棟」に行って、井戸川氏は「双葉町から来た。被曝したから測ってほしい」と告げた。対応した男性職員に「準備があるので待ってほしい」と言われ、井戸川氏は車に戻り、エンジンを切って待った。
2013-10-26 23:42:517(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 1時間ほどして除染棟の測定室に通された。室内にはビニールシートが張られていた。「俺たちで汚染しないための準備だったんだな」と井戸川氏は思った。
2013-10-26 23:44:008(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 除染棟には放射線科部の宍戸文男教授、放射線医の佐藤久志氏、宮崎真氏、技師の遊佐烈氏、大葉隆氏がいた。 検査の結果、井戸川氏の汚染度が高いことがわかり、着ていた災害対策用の紺色ジャンパーが、詳しく測定されることになった。
2013-10-26 23:46:069(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 井戸川氏は「出てますね」と告げられた。爆発に接していたので、井戸川氏自身は検査結果に驚かなかった。すぐに避難所にひき返した。 しかし……。 医師たちにとって、この検査結果は衝撃だった。(以上、紹介終了)
2013-10-26 23:47:1810(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 以下、補足と感想など。 記事に描かれた時点では、私も含めて多くの人にとって、井戸川氏は、原発容認派で東京電力とパワーゲームを続ける首長の一人にしか見えていなかったと思う。ちょっと今回は本腰を入れて双葉町について書く。
2013-10-26 23:50:5611(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 双葉町は、東京電力が原子力発電所の建設を決める時点では井戸川氏の2代前の田中清太郎氏が町長を務めていた。田中町長は積極的に原発を誘致し、建設工事などで自らの関連企業に大きな利益を得た。
2013-10-27 00:02:4612(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 田中町長時代に、原発の安全性に疑問を抱き、福島県議会で初めて原発に懐疑的な質問をした人物が、社会党系の岩本忠夫県議だった。その岩本氏が1985年に、20年以上続いた田中町長を破り、双葉町長になった。
2013-10-27 00:06:0513(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 非常に個人的な話だが、その翌年、1986年4月に、私は双葉町民になり、間もなくチェルノブイリ原発事故を迎えた。当時の双葉町は、原発の建設は終わり、徐々に減る補助金で財政見通しが暗くなっていく時期だった。
2013-10-27 00:08:4714(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 双葉郡の原発立地4町は、当初各種の箱物を分担して作っていたのだそうだ。双葉町には、町民の人口には不釣合いな、非常に立派な図書館があった。隣の大熊町には整備されたスポーツ施設が建設されていた。
2013-10-27 00:11:5314(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 補足を続ける。しかし、町長選挙の度に「わが町にもああいう施設が欲しい」という町民の要求に押され、また箱物建設以外には使いづらい補助金の使い道にも困り、どの町にも重複する箱物が作られるようになったとの事だ。
2013-10-27 00:14:2415(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 補足続。箱物を建設すればするだけ、人口に不釣合いなその維持管理費が自治体の予算を圧迫する。 それを「解決」する為、双葉町では岩本町長就任直後から、前町長派が原発増設を町議会等で主張していた。
2013-10-27 00:18:1116(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 補足続 町長選挙では、毎回、前町長派と岩本町長派の争いになった。岩本氏引退後、2005年から岩本氏の後を次いだのが井戸川町長だった。しかし、二つの派閥の争いはその後も続いた。井戸川氏は相手の主張を巧みにいなしていた。
2013-10-27 00:21:3117(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 補足続 井戸川氏は、東電福島第一原発での安全確保や、労働条件向上を訴えていた。前の町長から引き継いだ社会党系の人脈なので、その主張は自然だと、私には思えた。
2013-10-27 00:23:1318(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 補足続 同時に井戸川町長は、原発の増設も県や国に訴えていた。ただし、その条件は、老朽化が激しく、小さいトラブルが絶えず起こる、1号機2号機の廃炉、更地化とセットだった。私がその真意を知るのは、原発事故発生後になる。
2013-10-27 00:26:1819(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 補足続 現在は、脱原発派の地方政治家として有名になった井戸川氏だが、事故発生前は利益誘導調整型の地方政治家、というイメージを私のように抱いていた人が殆どだったと思う。実は、井戸川氏は彼なりに原発の危険性を考えていた。
2013-10-27 00:29:5220(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」補足続 原発事故発生直後、避難指示を受けた自治体の首長は、井戸川氏に限らず、地元で「政治家としての判断」を迫られていた。どこまで、いつ避難するか。避難指示は出されたが、避難方法も避難先も、各自治体が確保するしかなかった
2013-10-27 00:32:3621(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」補足続 国内ではあまり知られていないが、双葉郡葛尾村は、村長の自主的な判断で全村避難し、最終的に会津坂下町に住民と役場を誘導した。大熊町長が会津若松市までの避難を決めたのも、自主的な判断だった。いずれも会津地区に行った
2013-10-27 00:37:5922(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」 ここから記事に対する感想。 3月12日午後と言えば、我が家でも富岡町から川内村経由の避難者を受け入れた時間帯だ。避難指示を受けた人は、原発労働経験者であっても、詳しい状況が分からずに避難行動を取っていた。
2013-10-27 00:41:2523(プロメテウスの罠)医師、前線へ:8 町長「検査に行くぞ」感想続 3月12日夜。遅れて避難を始めた浪江町の住民は、まだ津島地区の避難所にさえ到達していない者も多かった。その時間帯に、井戸川氏は、被曝の証拠保全の為に県立医大に向かったという事に、正直驚く。
2013-10-27 00:45:03