武谷三男「技術論について」

(注) 西尾正道さんの 講演は、2013年 2月 3日に 行なわれたものです。 (参考) 長谷部文雄・武谷三男「資本論」第1章における 価値と その実体について http://togetter.com/li/390846
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seki_yo @seki_yo

今日の 西尾正道さんの 講演の スライドには、武谷三男『弁証法の諸問題』からの 引用が ありました。 その中に「技術とは 客観的自然法則の 意識的適用である」という 言葉が あり、以前から 哲学者らによって さまざまな 解釈が されてきました。

2013-10-28 15:23:38
seki_yo @seki_yo

1964年頃に 発表された 文章のなかで、武谷三男自身が 技術論について 解説しています。 とても わかりやすいと 思うので、少し 引用してみましょう。

2013-10-28 15:25:25
seki_yo @seki_yo

「ここで 私が 技術というものを どう 考えているかと いうことを はさみこみますと 私の 技術についての 考え方は いわゆる 適用説という 名前が つけられております。

2013-10-28 15:27:10
seki_yo @seki_yo

「つまり 人間の実践、もっと 狭義にいえば 生産的実践において 客観的な 法則性を 意識的に 適用する、その 意識的適用そのものが 技術であるという 考え方なんです。

2013-10-28 15:30:59
seki_yo @seki_yo

「たとえば 客観的な 法則性の 意識的適用という場合に これは 客観的な 法則性を 認識して それを 適用したということでは ぜんぜん ないのです。

2013-10-28 15:33:12
seki_yo @seki_yo

「これは 認識しない 段階でも よいのであります。 客観的法則性があると いうことを なんらかの形で 意識して 適用すれば それは もう 技術ということなのです。

2013-10-28 15:35:44
seki_yo @seki_yo

「だから、古代の、というか 人間の発生にまで さかのぼることが できるわけです。

2013-10-28 15:43:11
seki_yo @seki_yo

「そういうことによって 対象のなかに 法則性というものを 意識 -- 認識するのではない -- する、自分と 対象との 相互作用のなかに 法則性を 意識する、そういうことが 適用されて 技術的行動になっている、

2013-10-28 15:47:17
seki_yo @seki_yo

「人間の そういった 行動における 適用の面、それが 技術だということなのです。

2013-10-28 15:49:24
seki_yo @seki_yo

「認識という 段階に まだ ならない、認識という ことばでは あらわされないような つまり 科学の発生の ずっと以前に さかのぼることができる。 すなわち 意識の発生ということと いっしょになって できている。

2013-10-28 15:52:12
seki_yo @seki_yo

「したがって その意識という ことばには そこに 非常に 多面的な意味を 私は 与えているのです。

2013-10-28 15:53:25
seki_yo @seki_yo

「つまり 人間が 人間になったということは こういう 技術的労働、そういうことによって 意識が 発生してきたと いうことなのだが そこまで さかのぼっての 規定を 私は 与えているのです。

2013-10-28 16:06:44
seki_yo @seki_yo

「ところで このような 大昔の技術を 問題にすることは 現代には 前進的な意味で 役にたたないかというと そうではない。

2013-10-28 16:08:44
seki_yo @seki_yo

「自然科学とは なにかというと 客観的法則性を 認識すると いうことに あるのでしょう。 認識したうえで 意識的に 適用すれば それは もっとすぐれた 技術になるという モメントを 含んでいるのです。

2013-10-28 16:11:42
seki_yo @seki_yo

「しかし この技術一般というものは 必ずしも その客観的法則性を 認識した上でということは まったく はいっていない。

2013-10-28 16:13:49
seki_yo @seki_yo

「認識しなくても あるがままの 客観的法則性が なにか そこに あるんだという 意識ですね。 そして そういうことが 意識的に 適用されているということで よろしいのである。

2013-10-28 16:15:40
seki_yo @seki_yo

「それから もう一つは、技術の実体と 技術の本質という 問題は 私が 最初に 提起した 概念分析であって それは 私の 三段階論の 論理学に もとづいているのです。

2013-10-28 16:18:19
seki_yo @seki_yo

「それは 人間の認識というものが 論理的にいうと 、まず 現象論的な認識が あって そのつぎに 実体論的認識が 行なわれ それによって はじめて 本質論的認識に 進むという 三つの段階で 認識が すすむ。

2013-10-28 16:39:03
seki_yo @seki_yo

「そして かならず 実体論的認識が 媒介されなければならぬ。

2013-10-28 16:40:05
seki_yo @seki_yo

「それが 認識の発展の ひとつの 本質的な過程であるというのが 私の理論で ありますけれども、それと同時に 人間の実践というものが かならず 実体と実体、つまり 人間という実体と 自然における対象の実体というものを 対決させるものであり、そうでなければ 認識も 行なわれない。

2013-10-28 16:43:56
seki_yo @seki_yo

「技術の 実体論的認識が 労働手段の体系という 考え方である。 つまり 労働手段というものを 重視するのは 実体論的段階であるということです。 しかし 労働手段の中には 技術 ならびに 技術でない要素も 混在しているのです。

2013-10-28 16:47:29
seki_yo @seki_yo

「それは 本質的規定では ないのです。 つまり もっと 現象面に近い 把握なんですから 技術も含んでいるし 技術でないものも含んでいる。 それからまた 技術のすべてを 含んでいるわけではない、そういうことなんです。

2013-10-28 16:51:11
seki_yo @seki_yo

「ところで 最初の問題にかえって 客観的法則性というものに 対して これを 認識するという 立場があるのは 当然である。 これが 科学です。 それから 適用という立場、これが 技術の立場ですから 適用面では 形というものが 非常に重要な 役割を 果たすのです。

2013-10-28 17:25:44
seki_yo @seki_yo

「自然科学の方は これは 現象から 法則を認識していって またふたたび 本質的な認識を 諸現象的に どのように合うかを デダクションしていくという そういう やり方です。

2013-10-28 17:28:06
seki_yo @seki_yo

「要するに 自然界に どういう現象が おこるか、おこっているかと いうことについて 明らかにしていくので、自分の 目的とした 行為を 実現していくという 立場ではない。

2013-10-28 17:30:45