幸せを求めて~「絶対的幸福感」と「相対的幸福感」

えー、ここに出てくる「絶対的幸福感」と「相対的幸福感」は、中身を見てのとおり一般用語ではありません。
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ぷろろーぐ

夢乃 @iamdreamers

過去と、あるいは他国と、現状での幸福感を比較するということは、学術的な意味はあれど、市井に生きる一般の人々にとってはさほどの意味はない。

2013-10-28 12:21:06
夢乃 @iamdreamers

例えば、江戸時代の人々が現在の人々よりも幸福だった、ということが確認されたとして、現在の人が江戸時代に行ったら、ほぼ確実に不幸になる、と予想する。

2013-10-28 12:22:35
夢乃 @iamdreamers

江戸時代というと実際に行くことは不可能だけど、同じことは同じ時代でも言える。例えば、ブータンの人々の幸福指数が日本よりも遙かに高いからといって、日本人がブータンに移住したら、ほぼ確実に不幸になる、と予想する。

2013-10-28 12:23:22
夢乃 @iamdreamers

つまりは、例え「どこそこは幸福指数が高い」からといって、それが自分に直接結びつかない以上、一般人にとってはそんなデータは意味のないものでしかない、ということ。

2013-10-28 12:24:31

絶対的幸福感

夢乃 @iamdreamers

現状から、より幸福だと言われる(幸福指数の高い)時代・地域に行ったところで ほぼ確実に不幸になる、そう考える理由は、生活環境の変化による当人への負荷・負担が増大するから。

2013-10-28 12:26:06
夢乃 @iamdreamers

幸福とは、自身へかかる精神的・身体的な負担と、自身の負担への許容量の 差で現せる、と思う。負担の種類は多岐にわたり、人によって負担の種類ごとの許容量もまた異なるから、単純な数式にすることはできないけれど。

2013-10-28 21:49:41
夢乃 @iamdreamers

生活環境が変化すると、自身へかかる負担が増大する。何しろ、これまでは存在しなかった種類の負担が一挙に増えるわけだから。それに対して、負担に対する許容量は突然には変わらない。

2013-10-28 12:28:58
夢乃 @iamdreamers

対して、負担の軽減はほとんどないか、あっても意味がない。負担の種類によって許容量は異なるけれど、ある種の負担を別の種類に載せ替えることはできないから。空腹を根性で補おうとしても、限界がある。

2013-10-28 12:30:49
夢乃 @iamdreamers

つまり、生活環境の変化(移住)によって増加した負担はあっという間に許容量を越えてしまい、これが「不幸」ということになる。

2013-10-28 12:31:37
夢乃 @iamdreamers

自身にかかる負担が自身の負担に対する許容量を越えないことによって得られる幸福感、これを「絶対的幸福感」と言う。(・・・というか、今、私が名付けた(^^))

2013-10-28 12:32:21

相対的幸福感

夢乃 @iamdreamers

幸福を感じるためのもう一つの手法がある。他人のどこかに自分より不幸な部分を見つけて、自分はそれよりもマシだから、幸福なんだ、ということで得られる幸福感。これを「相対的幸福感」と言う。(これも、今名付けた)

2013-10-28 12:35:41
夢乃 @iamdreamers

絶対的幸福感を得られないとき、手っ取り早く幸福を感じる手段として、相対的幸福感を得るということ(要は他人のアラを探して難癖を付けること)は有効な手段であるとは言える。けれど、それは非常に脆いものであり、真の幸福とは言えない。

2013-10-28 12:37:30
夢乃 @iamdreamers

なぜなら、相対的幸福感をもたらしている他人の不幸とは、自身が相手に見出している主観的なものに過ぎず、見方を変えるとそれは不幸ではないということであり、それに気付いた瞬間に自身の幸福もまた潰え去るからである。

2013-10-28 12:38:19
夢乃 @iamdreamers

けれど、一度 相対的幸福感による幸福を手にしてしまった人は、自身が不幸であると看做した相手の幸福を認めたがらない。それを認識せざるをえないような状況も拒む。なぜならば、それは自身の不幸を認めてしまうことを意味するから。

2013-10-28 12:39:06

相対的幸福感に囚われると・・・

夢乃 @iamdreamers

例えば、福島第一原発事故後の福島県や東北地方、あるいは東日本全体を“穢れた”として忌避することで、“清浄な”地に住んでいる自分は幸福である、と思いこもうとする。

2013-10-28 12:39:57
夢乃 @iamdreamers

そして、西日本での被曝線量の測定を頑なに拒む。なぜならば、自身の住んでいる地域の被曝量が福島と大差ないことがわかったら、自身の幸せの根拠を喪ってしまうから。

2013-10-28 12:52:29

真の幸福を求めて

夢乃 @iamdreamers

自身の生活環境が激変したとき、相対的幸福感に幸せを求めることは、悪いことではない。けれど、その幸福感に浸ってはいけない。その幸福感は借り物でしかないのだから。

2013-10-28 12:55:25
夢乃 @iamdreamers

自分にのしかかっている負担を減らすこと、そして、負担の種類に応じた自分の耐性を強化すること、これが、真の幸福を手にする近道である、と私は思う。

2013-10-28 12:59:45