チェルノブイリの白血病 ~ Noshchenko(2010年)を中心に
- miakiza20100906
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導入
チェルノブイリ原発事故による一般人の健康被害では、子供の頃にヨウ素被ばくを受けた人々の間に多発した“甲状腺がん”がよく知られているが、白血病に関する報告もそれなりに出されてきている。しかし、甲状腺がんと比べると調査数も論文数も圧倒的に少なく、結論はまだ定まりきっていない。
そんな中、2010年にウクライナの Noshchenko らのグループが注目すべき論文を発表した。この論文では、チェルノブイリ事故後にウクライナの高汚染地域で小児白血病の有意な増加があったことが示されている。しかも、被ばく量(赤色骨髄への被ばく量)が累積 100 mSv未満の子供たちにも、有意な増加が確認されたという。
なお、被ばくによって白血病が起こることは古くから知られている。日本の被曝者調査で最初に確認されたのが白血病の増加であり、ABCC が調査を開始した1950年以前から増加が始まっていたと考えられている。特に小児の白血病は被ばくからの潜伏期間が短く、また、被ばく時からの早い時期に過剰発症のピークが訪れるため、自然発症率と比べての倍率が大きくなり(※)、その増加を疫学調査で捕えるのが比較的容易である。そのため、近年では標準的な自然放射線のがんリスクを突き止める調査でも、小児白血病がターゲットにされている。
※ つまり、過剰相対リスク ERR が大きい。例えば 1 Gyの被ばくを受けた場合、ピーク時には年間の自然発症率の 100 倍以上の過剰発症が起こると考えられている。
白血病の過剰相対リスク
http://photozou.jp/photo/show/885961/191104363
※ 赤色骨髄への被ばく量を 1 Gy と仮定。
※ 縦軸は過剰相対リスク ERR、横軸は被ばく時からの年数。
※ 4つあるカーブはそれぞれ、被ばく時年齢が 5 歳、10 歳、20 歳、30 歳以上のもの。
Kendall,Little,Wakeford ら,Leukemia (2013)
A record-based case-control study of natural background radiation and the incidence of childhood leukaemia and other cancers in Great Britain during 1980-2006
http://www.nature.com/leu/journal/v27/n1/abs/leu2012151a.html
※ 標準的な強さを持つ英国の自然γ線による小児白血病リスクを捕えたとする、刺激的な疫学調査。
Wakeford,Journal of Radiological Protection (2013)
The risk of childhood leukaemia following exposure to ionising radiation - A review
http://iopscience.iop.org/0952-4746/33/1/1
※ 被ばく由来の白血病に関する最新の解説論文。
Noshchenko らの仕事(2010年)
Noshchenko ら,International Journal of Cancer (2010)
Radiation-induced leukemia among children aged 0-5 years at the time of the Chernobyl accident
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ijc.24834/full
これまでに公表されたチェルノブイリ後の小児白血病に関する論文の中で、最も強いエビデンスを提供していると思われるもの。累積被ばく量が 100 mSv(= 100 mGy)を下回る子供たちの間にも白血病の過剰発症があった可能性を、疫学統計により示している。
手法
◆ 疫学調査手法
・ Case-control study; 症例対照研究
・調査対象者の母親(いない場合は父親か祖母。対象者のうち 4人に母親がいなかったそう)と面談し、居住地の変遷や家屋の種類、事故時の年齢、屋外にいる時間の割合、食物の入手法など、対象者の日常に関する情報を収集した。これらの情報は主に、被ばく状況を推測するために用いられた。
・家族のうちで母親に面談したのは、子供の状況を最も良く把握しているからとのこと。
・面談は 246 人の症例グループ全員と、それに条件をマッチさせた対照グループ 492 人に対して行われた。
・面談の精度を確認するため、調査対象者の一部に2人のインタビュアーを付け、2人の結果に差がないかどうかを見た。結果に差はなかったらしい。
◆ 調査対象者
事故時に 0-5 歳(6 歳未満)で、生まれてから以下の 4 地域のいずれかに住み続けている子供たち。
◆ 調査地域
ウクライナの 4 つの高汚染地域: Zhytomyr,Rivne,Chernihiv,Cherkasy
◆ 調査地域内の地区数とその Cs-137 土壌汚染度
※ カッコ内が土壌汚染度。
※ 土壌汚染度の単位は論文通り[Ci/km2]。1 Ci/km2 は 37,000 Bq/m2 に相当。
※ ここで言う“地区”は city 及び rayon。
Zhytomyr
17地区(1未満),4地区(1以上 3未満),2地区(3以上)
Rivne
10地区(1未満),6地区(1以上 3未満)
Chernihiv
19地区(1未満),4地区(1以上 3未満)
Cherkasy
20地区(1未満)
このうち、特に汚染が高いのは Zhytomyr である。汚染マップによると、Zhytomyr には 500,000 Bq/m2(~ 13.5 Ci/km2)を超える場所もある。
◆ 調査対象期間
・1987-1997年。
・被ばく由来の白血病の潜伏期間を最短 8ヶ月としている。
◆ 集められた症例(case)数
急性リンパ性白血病
182(男108,女74)
急性骨髄性白血病
58(男31,女27)
慢性骨髄性白血病
4(男2,女2)
未特定の急性白血病
2(男0,女2)
合計
246 例
◆ 対照(control)グループ
・1 症例あたり 2 人、合計 492 人を選択。
・年齢、性別、事故時の居住地を各症例にマッチさせた。
・対照となった人たち全員に症例の人たちと同様の面談を行った。
◆ 被ばく量評価
・対象となる病気が白血病であるため、赤色骨髄への被ばく量を見ている。
・Likhtariov らにより開発された手法に基づき、被ばく量を評価。各種のモニタリングデータや、居住地、住居の種類、年齢、屋外にいる時間の割合、事故初期にとった防護手段などを考慮し、被ばく量を推定。
・症例、対照ともに同じ手法で被ばく量を評価。
・推定値の妥当性は、線量計(TLD)やホールボディカウンターによる測定値との突き合わせにより確認した。全調査対象者のうち、外部被ばく量については約 10% で、内部被ばく量については約 30% でこのような比較を行うことができた。前者の誤差は最大で 30% 以内、後者の誤差は最大で 50% 以内だった。
・考慮した被ばく
(a) 放射性雲および放射性降下物からのγ線による外部被ばく
(b) 食品から摂取した Cs-134 と Cs-137 による内部被ばく
※ ストロンチウムやプルトニウムは考慮していない。これらの核種からの被ばく量は、全被ばく量のせいぜい 数% とされている。
◆ 線量区間
解析に用いる線量区間は、それぞれの区間に十分な数の症例が入るよう、以下のように 4 つに分けられている:
0.0-2.9 mGy | 3.0-9.9 mGy | 10.0-99.9 mGy | 100.0-313.6 mGy
結果と議論
◆ 被ばく量評価の結果
累積線量に占める内部被ばく量の割合
http://photozou.jp/photo/show/885961/191051656
※ Case(症例),Control(対照),Number(数)。
この表の % は、全累積線量に占める内部被ばく量の割合を示している。つまり、この表において 50% を越えることは、外部被ばくよりも内部被ばくの方が多いことを意味している。
驚くべきことに、特に高い被ばくを受けた人たちに 50% を越えているものが多く、例えば、10.0-313.6 mGy の被ばくを受けた症例(Cases)の実に 9 割(= 69% + 21%)もが 50% 以上になっている。
◆ 解析結果
《 全症例を用いたリスク解析の結果 》
線量区間ごとの症例数・対照数と白血病リスク
http://photozou.jp/photo/show/885961/191051513
※ Case(症例),Control(対照),Number(数),OR(オッズ比,リスク値)。
10.0-99.9 mGy とそれ以上の区間で“統計的に有意な”リスク上昇が見られる。例えば 10.0-99.9 mGy の区間では以下のとおりである:
10.0-99.9 mGy OR = 2.1 (95%CI 1.2-3.7) χ2 = 5.5 p = 0.02
《 地域ごとのリスク解析の結果 》
地域ごとに分けて解析を行った場合、一つの解析に含まれる症例数が少なくなるため、統計的には弱くなりがちである。しかし、それでもなお Rivne には有意なリスク上昇が見られる:
10.0-313.6 mGy OR = 6.7 (95%CI 2.6-17.9) χ2 = 15.9 p < 0.01
《 被ばく由来の症例数 》
以上のような解析結果から、被ばくによる過剰発症数を推定した結果が以下である:
地域ごとの白血病発症数・発症率
http://photozou.jp/photo/show/885961/191051722
※ Observed(観察数),Expected(推定自然発症数),Additional(推定過剰数)。
Zhytomyr
観察数 74 , 推定過剰数 1
Rivne
観察数 50 , 推定過剰数 10
Chernihiv
観察数 73 , 推定過剰数 1
Cherkasy
観察数 49 , 推定過剰数 0
推定過剰数の合計 12
ここで、「観察数」は実際に観察された症例数、「推定過剰数」はその内の過剰発症数で、リスク解析から推定されたものである。
この結果はつまり、対象とした 4 地域で約 12 例の過剰発症があったことを意味している。
意外なことに、土壌汚染度が最も高い Zhytomyr より、Rivne の方が過剰発症の割合が高くなっている。この意外な結果の背景には、「油断」などが有ったようである。
◆ Rivne と Zhytomyr の秘密
上で見たように、この疫学調査からは、汚染の最も高かった Zhytomyr より、比較的低かった Rivne での方がより多くの過剰発症が起こったという意外な結果が得られている。
Noshchenko らはこのようなことが起こった原因として、以下の 3 要因が考えられるとしている:
1》 被ばく対策の遅れ
汚染の最も高かった Zhytomyr では、事故後の数年間、地元で採れた食物(特に牛乳やキノコ)の摂取が禁じられ、他の地域から汚染されていない食品を取り寄せていた。一方、油断があったのか、汚染の比較的少なかった Rivne ではそのような対策が遅れ、住民は地元の食物を食べ続けた。その結果、Rivne の住民はウクライナ国内で最も重い内部被ばくを負ってしまった。
※ この点は、日本においても教訓となるだろう。
2》 高汚染地域からの移住
高汚染地域に住む家族のうち、特に子供を持つ一家は余所の地域へ移住する傾向にあった。これが特に Zhytomyr での発症例を減らすことにつながったと考えられる。移住した人数からの概算では、Zhytomyr からは 3 例が、Rivne からは 1 例が移住によって減ったはずである。
3》 Rivne の土壌の特殊さ
Rivne の Cs-137 降下量は 200,000 Bq/m2 以下であり、ストロンチウムやプルトニウムからの寄与は無視できる。ところが、土壌や植物からは予想を超える濃度の Cs-137 が検出され、これが高いレベルの被ばくを引き起こした。
Rivne 地域の土壌は、土から牛乳への放射性核種の移行が最も起こりやすい“泥炭湿地土壌(peat-swampy soil)”であり、これが高いレベルの内部被ばくを引き起こす原因になった。
なお、この Rivne での被ばく量が Zhytomyr その他の地域よりも高いという結果は、以前から公表されているデータ(Likhtariov ら,2000年)ともよく一致している。
Likhtarev ら,Health Physics (2000)
Internal exposure from the ingestion of foods contaminated by 137Cs after the Chernobyl accident - Report 2. Ingestion doses of the rural population of Ukraine up to 12 y after the accident (1986-1997)
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11007456
◆ バイアスについて
1》 選択バイアス(selection bias)
これまでにチェルノブイリで行われた白血病の疫学調査では、対照を選択する際に入った選択バイアスによって“見かけのリスク上昇”が作られたのではないかと疑われることがあった。
Davis ら,International Journal of Epidemiology (2006)
Childhood leukaemia in Belarus, Russia, and Ukraine following the Chernobyl power station accident: Results from an international collaborative population-based case-control study
http://ije.oxfordjournals.org/content/35/2/386.short
※ 選択バイアスが入った可能性を著者ら自らが告白している調査。
Moysich ら,Lancet Oncology (2011)
25 years after Chernobyl: Lessons for Japan?
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S147020451170095X
※ Davis ら(2006年)の共著者らによる解説。
このような批判に耐えるため、Noshchenko らは、同等の汚染度の地域から選んだ症例・対照の組と、異なる汚染度の地域から選んだ症例・対照の組のそれぞれでリスク解析を行い、両者からほぼ同じリスク値が得られることを示している(論文の Table 9)。
こういった補足検討を示すことで、Noshchenko らは、自身の調査には選択バイアスの目立った混入は無いと結論づけている。
2》 思い出しバイアス(recall bias)
面談形式の調査では思い出しバイアスの影響を完全に取り除くのは不可能だとしながらも、Noshchenko らは幾つかの工夫によりその影響を低減させている。
例えば、居住地などについては、面談者の記憶のみに頼らず、地域の登録票と照合し、その正しさを追確認している。
また、食習慣や屋外での滞在時間など、登録票では確認できない事項については、被ばく量評価などにおいて一種の“個人間 標準偏差”として解析に取り込んでいる。(※ この点については、まとめ主自身がいまいち理解しきれていない)
◆ 被爆者調査、BEIR VII モデルとの比較
得られたリスク値が既知の結果と大きく矛盾していないかどうかを確かめるため、Noshchenko らは自身の結果を被爆者調査の結果および BEIR VII モデルによる推定値と比較している。
ただし、被爆者調査のみは条件が若干異なっており、被ばく時の年齢が 0-19 歳、被ばく時からの調査期間が 12 年間となっている。本調査と BEIR VII モデルでは、被ばく時の年齢はともに 5 歳以下、事故時からの調査期間はともに 11 年間である。
それぞれの調査およびモデルから得られたリスク値は以下の通りになる:
本調査
RR/1 Gy = 20.9 (95%CI 5.6-43.2) χ2 = 13.1 p = 0.005
被爆者調査
RR/1 Sv = 13.5 (95%CI 4.5-27.2) χ2 = 39.0 p < 0.001
BEIR VII モデル
RR/1 Sv = 22.0 (95%CI 9.9-50.0) χ2 ---- p ----
被爆者調査のみはやや低く出ているが、他の 2 つは十分に良く一致している。
なお、被爆者調査のリスク値が低く出ている理由については、被ばく時から 5 年間の症例が欠落している(良く知られているように)ことや、調査対象者の年齢層が比較的高いことが挙げられている。
◆ 考慮できていない交絡因子
今回の調査の欠点としては、以下のような交絡因子が十分に考慮できていないことが挙げられている:
・高出生体重
・高齢出産
・妊娠中のトポイソメラーゼ阻害剤の摂取
・受胎前の両親の農薬・除草剤などへの暴露
ただし、Noshchenko らは、この欠点はこの調査で得られた主な知見を大きく変えるものではないとしている。
結論
チェルノブイリ原発事故からの 11 年間に、ウクライナの高汚染地域に住む子供たち(事故時の年齢が 0-5 歳)の間で、白血病の過剰発症があった。調査対象とした Zhytomyr,Rivne,Chernihiv,Cherkasy の 4 地域で、合計 12 例程度の過剰発症があった。
Davis らの仕事(2006年)
上で紹介した Noshchenko らの仕事の 4 年前、2006年に公表された小児白血病の case-control study である。こちらはウクライナに加え、ベラルーシとロシアが調査対象となっている。調査は米国およびロシア、ベラルーシの国際チームによる。
Davis ら,International Journal of Epidemiology (2006)
Childhood leukaemia in Belarus, Russia, and Ukraine following the Chernobyl power station accident: Results from an international collaborative population-based case-control study
http://ije.oxfordjournals.org/content/35/2/386.short
Noshchenko らの論文と同様に、この論文も有意なリスク増加を報告しているが、対照グループの選定で選択バイアスが入った可能性が告白されており、結論は頼りなさげなものになっている。こちらの論文は簡潔に紹介する。
手法
◆ 疫学調査手法
・ Case-control study; 症例対照研究
◆ 調査対象者
ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの汚染地域に住む、事故時に 0-5 歳(6 歳未満)か胎児だった子供たち。
◆ 調査地域
ウクライナ: Zhytomyr,Rivne,Chernihiv,Cherkasy
ベラルーシ: Gomel,Mogilev
ロシア: Bryansk
◆ 調査対象期間
・1986年4月26日~2000年12月31日。
◆ 集められた症例数と対照数
ウクライナ
268(男148,女120) 対照 536
ベラルーシ
114(男67,女47) 対照 221
ロシア
39(男21,女18) 対照 78
合計
421 例 対照 835
◆ 被ばく量評価
・面談により住環境や食習慣などを確認し、赤色骨髄への被ばく量を推定する。
・考慮した被ばく
(a) γ線による外部被ばく
(b) 食品から摂取した Cs-134 と Cs-137 による内部被ばく
◆ 線量区間
1.0 mGy未満 | 1.0-4.999 mGy | 5.0 mGy以上
結果と議論
◆ 被ばく量評価の結果
3 国の推定被ばく量は以下の通りである。最大値は 3 国で大きく異なり、ウクライナでは 390.58 mGyにもなるが、症例の被ばく量の平均値には 3 国で大きな差はない。
被ばく量評価の結果
http://photozou.jp/photo/show/885961/191168153
※ Case(症例),Control(対照)。
《 症例の被ばく量 》
ウクライナ
最大 390.58 mGy 平均 10.12 mGy
ベラルーシ
最大 144.88 mGy 平均 12.81 mGy
ロシア
最大 88.89 mGy 平均 9.97 mGy
◆ 解析結果
求められたリスク値は以下のとおりである:
リスク解析の結果
http://photozou.jp/photo/show/885961/191168251
※ Odds Ratio(オッズ比,リスク値),95% CI(95%信頼区間,誤差範囲)。
・ベラルーシとロシアでは、リスク値の最良推定値は 1.0 以上であるものの、全ての線量区間で 95% CI の下限が 1.0 より小さく、有意とはなっていない。
・ウクライナと 3 国合計(Combined)では、5.0 mGy以上の線量区間で 95% CI の下限が 1.0 を超えており、また、P 値も十分に小さく、“統計的に有意な”リスク上昇が確認できる。
1 Gyでの過剰相対リスク ERR/Gy もウクライナと 3 国合計のみで有意である:
ウクライナ
ERR/Gy = 78.8 (95%CI 22.1-213)
3 国合計
ERR/Gy = 32.4 (95%CI 8.78-84.0)
※ ベラルーシとロシアでは有意にならず、ウクライナのみで有意になっていることをもって“矛盾”と見るむきもあるが、必ずしもそうとは言えないだろう。ウクライナと比べ、ベラルーシの症例数は 0.43 倍、ロシアにいたっては 0.15 倍しかない。平均の被ばく量は 3 国ともほぼ同等であることから、症例数の少なさはそのまま統計的な弱さにつながるだろう [同じことは Noshchenko ら(2010年)も指摘している]。
ただし、以下で注記するように、ウクライナの調査では対照の選定の際に“選択バイアス”が入った可能性が告白されており、結果の解釈には注意を要するかもしれない。
◆ 選択バイアスの可能性
Davis らは論文中で、ウクライナでの対照の選定の際に選択バイアスが入ってしまった可能性が有ることを告白している。症例の多くは高汚染地域から出ているが、対照はより汚染の低い地域から選ばれたものが多く、そのため、対照の人選に偏り(バイアス)が生じ、リスク値の大きさやリスクの有無にまで影響を与えている可能性がある、ということのようである。
Davis らが得たウクライナでのリスク値を Noshchenko ら(2010年)と比較してみると、確かにかなり大きい。ただし、CI(信頼区間)はかぶっており、統計的には同等とも言える:
Davis ら(2006年)
ERR/Gy = 78.8 (95%CI 22.1-213)
Noshchenko ら(2010年)
ERR/Gy = 19.9 (95%CI 4.6-42.2)
※ 私見では、難しい低線量被ばくの疫学調査で、独立した複数のグループによる調査から“統計的に同等”な結果が出せただけでも十分なのではないかと思う。
なお、Davis らの論文の共著者である Moysich と McCarthy は、2011年に公表した論説の中でこの選択バイアスの原因について語り、当時の旧ソビエト連邦諸国で疫学調査を行うことに伴う苦労、すなわち、長期疫学の熟練者の不足、言葉の壁、文化の差、そして、極めて広い調査地域をカバーすることからくる日常的な困難さ等がその背景にあったのではないかとしている。
Moysicha,McCarthya ら,Lancet Oncology (2011)
25 years after Chernobyl: Lessons for Japan?
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S147020451170095X
結論
選択バイアスのことがあってか、Davis らの結論は消極的過ぎるくらいに消極的なものになっている:
・低線量の慢性被ばくは、急性被ばくと同等かそれ以上の白血病リスクを与えるかもしれない。
・しかし、この調査で得られた有意なリスク増加は、その一部もしくは全部がウクライナでの過大評価から来たものかもしれず、したがって、このリスクが本当に被ばくによるものかどうかについては確信が持ちきれない。
・同時に、ベラルーシとロシアで統計的に有意なリスク増加が得られなかったことも、必ずしも白血病リスクの増加が無かったことを意味するわけではない。
Richard Wakeford による論評
なんらかの記憶ちがいがあるような気がする
Richard Wakeford (マンチェスター大学)は、放射線疫学や放射線防護の第一人者である。現在は ICRP 第一委員会委員や専門ジャーナル『Journal of Radiological Protection』の編集長を務めている。そのような“大物”でありながら、近年では標準的な強度の自然放射線の癌リスク解明に挑むなど、研究活動にも非常に積極的である。また、丸々一冊 LNT を論じた ICRP Publication 99 の「Guest Editorial」を読むと分かるように、積極的な LNT 支持者でもある。
ICRP - Committee 1 Radiation Effects
http://www.icrp.org/icrp_group.asp?id=7
Journal of Radiological Protection - Editorial board
http://iopscience.iop.org/0952-4746/page/Editorial Board
近年は解説論文を書く機会も非常に多く、その中で Wakeford はたびたび Noshchenko らや Davis らの仕事に言及している。しかし、Davis らに対する言及はともかく、Noshchenko らの仕事に対する言及はいつもどこかおかしい。その“おかしい”と思われる点を以下にリストアップしておく。
European Commission - Radiation Protection No. 170 (2011)
Recent scientific findings and publications on the health effects of Chernobyl
http://ec.europa.eu/energy/nuclear/radiation_protection/doc/publication/170.pdf#page=13
この EC レポートでは、「Noshchenko によって推定されたリスク値は Davis らによるものよりずっと低く、それらの研究で使われたデータの精度に疑問を生じさせる」と述べている。ここで“それらの”研究(these studies)と言っているため、選択バイアスが入った可能性が高い Davis らの仕事だけでなく、既存モデルの予測とよく合う Noshchenko らの仕事まで批判しているように読めてしまう。この点の真意が不明である。
Wakeford,Journal of Radiological Protection (2011)
The silver anniversary of the Chernobyl accident. Where are we now?
http://iopscience.iop.org/0952-4746/31/1/E02/
この総説論文では、「特にウクライナに強く現れている相関は、対照の選定の際に生じた問題によって作られたものである可能性がある [20, Noshchenko ら] 」と述べ、なぜか Davis らの仕事に対するコメントの中で Noshchenko らの仕事を引用している他には、Noshchenko らの仕事に対する直接的な言及が一切無い。謎である。
Wakeford,Journal of Radiological Protection (2013)
The risk of childhood leukaemia following exposure to ionising radiation - A review
http://iopscience.iop.org/0952-4746/33/1/1/
この総説論文では、得られたリスク値 ERR/mGy の具体的な数値までをあげて Davis と Noshchenko の仕事を紹介しているが、上で述べた EC レポートと同様の「“それらの”研究(these studies)で使われたデータの信頼性に深刻な疑問を生じさせる」という一文があり、Davis らと共に Noshchenko らの仕事までが批判されているように読める。この点も本当に真意が不明である。
UNSCEAR 2013 Report (2013)
Volume II, Annex B - Effects of radiation exposure of children
http://www.unscear.org/docs/reports/2013/UNSCEAR_2013_Report_Annex_B_Children.pdf#page=92
該当箇所の筆者が Wakeford かどうかは明記されていないが、このレポートに彼が参加しているのは確かである。この UNSCEAR レポートでは、何よりまず、Noshchenko らの仕事 [N35] に選択バイアスが入ったことにしてしまっている。何故このような記述が入ったのか、非常に謎である。記憶ちがいでもあったのだろうか?
また、「Noshchenko らが得た結果は、Chernobyl Forum のレポートにまとめられた他の複数の調査では確認されていない [W21] 」というコメントがあるが、引用された Chernobyl Forum は、Noshchenko ら(2010年)よりずっと前の2005年に行われたものである。
さらに、Noshchenko らの仕事(2010年)より後に Davis らの仕事(2006年)が出されたかのような記述もある。「A subsequent paper …」の箇所。もはや、てんやわんやである。
総じて見るに、Noshchenko らの仕事(2010年)に対し、Wakeford はまだ一度もまともにコメントしていないようである。どうしたのだろうか??
「小児甲状腺がん以外にエビデンスはない」は本当か
福島原発事故後の日本で公表された複数の重要な文書で、全く同じ内容の、非常に特徴的な文言を幾度か見た。それは、
“チェルノブイリ原発事故では、小児甲状腺がん以外に被ばくによる一般人の健康影響のエビデンスはないと結論付けられており、これが現在の世界的なコンセンサスである”
というものである。そして、その文言に添えられた参考文献は、決まって以下の 2 つである:
WHO report (2006)
Health effects of the Chernobyl accident and special health care programmes
http://www.who.int/ionizing_radiation/chernobyl/WHO Report on Chernobyl Health Effects July 06.pdf
UNSCEAR report (2008)
Health effects due to radiation from the Chernobyl accident
http://www.unscear.org/docs/reports/2008/11-80076_Report_2008_Annex_D.pdf
上のような文言は、例えば以下の 4 つの資料に見ることができる:
放医研 尿中セシウムによる膀胱がんの発生について
http://www.nirs.go.jp/data/pdf/i5_4.pdf
低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ
報告書
http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/info/twg/111222a.pdf
東京電力福島第一原子力発電所事故による住民の健康管理のあり方に関する検討チーム
第4回会合 議事録
http://www.nsr.go.jp/committee/yuushikisya/kenko_kanri/data/20121228-kenko_kanri.pdf
東京電力福島第一原子力発電所事故による住民の健康管理のあり方に関する検討チーム
これまでの議論の整理案
http://www.nsr.go.jp/committee/yuushikisya/kenko_kanri/data/0004_01.pdf
件の文言の作者は明らかにされていないが、これら 4 つの資料すべてに関わっているのは 丹羽太貫 氏だけではないかと思う。
これら 4 つの資料はすべて Noshchenko ら(2010年)より後に出されたものであり、また、参考文献となっている WHO と UNSCEAR のレポートは、ともに Noshchenko ら(2010年)より前に出されたものである。
すなわち、何故か Noshchenko らの論文の出版年 2010年 が入る 2008年(UNSCEAR レポート)から 2011年3月(震災、原発事故)までが空白期間にされているのだ。日本では UNSCEAR などの審議を経た仕事以外に言及するのはご法度なのだろうか?
小児白血病以外にもエビデンスはある。まだ統計的に弱かったり(いわゆる“弱いエビデンス”)、中には被ばくとの関連が論じきれていなかったりするものも有るが、決して“エビデンスはない”などと切り捨ててよいものではないだろう。
◆ 乳がん
Pukkala,Cardis ら,International Journal of Cancer (2006)
Breast cancer in Belarus and Ukraine after the Chernobyl accident
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ijc.21885/abstract
Bogdanova ら,Clinical Genetics (2010)
High frequency and allele-specific differences of BRCA1 founder mutations in breast cancer and ovarian cancer patients from Belarus
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1399-0004.2010.01473.x/abstract
◆ 血液異常
Stepanova ら,Environmental Health (2008)
Exposure from the Chernobyl accident had adverse effects on erythrocytes, leukocytes, and, platelets in children in the Narodichesky region, Ukraine: A 6-year follow-up study
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2459146/
◆ 神経管欠損
※ウクライナで最も重い被ばくを起こした Rivne からの報告
Wertelecki,Pediatrics (2010)
Malformations in a Chornobyl-impacted region
http://pediatrics.aappublications.org/content/125/4/e836.short