吉田隆一さんと泉信行の『叛逆の物語』SF感想ツイート(ネタバレ前提)
光栄です!是非お願いしたいです!その前に私がまず泉さんの話を聞きたい!反逆の物語りィィィィ!RT @izumino このぼくの吉田隆一さん専用の聞き手力を発揮して話を聞き出したい!
2013-11-02 00:33:09@hi_doi ネタバレにならない範囲で言うと、SFとファンタジーが完全にミックスした世界に出来上がっていたのが好きです。SFとしても科学的厳密さの薄いジュブナイル風味というか。時代感的にはむしろ昭和っぽい上に女流SFを感じさせて、大原まり子や新井素子っぽいって友達と語ってました
2013-11-02 02:41:09@izumino 私は、正統的なニューウェーヴSFの系譜(ヴァン・ヴォクト→ディックやバラード→神林長平氏や山田正紀氏→)に連なるSFという印象です。この作品によって伊藤計劃氏、円城塔氏と並ぶ存在としての虚淵玄SFが一つの成果をみたと考えてます!上記の作家の要素全て押さえてます!
2013-11-02 02:59:54@izumino (続き)グレッグ・イーガンやテッド・チャンの要素も含まれており極めて現代的なSFであると思います!泉さんの評価も非常に良くわかります。つまりむしろ現代SFを考察する上で大原まり子SF、新井素子SFを再評価するべき時代に来ているとも言えます。野阿梓SF(BL)も。
2013-11-02 03:09:54@izumino (続き2)しかも映像表現はしっかりシュルレアリスムに隣接しており、シュル→J.G.バラードの流れ、カイヨワ 『夢の現象学』の感覚(ヴォクトに通じる)まで(たまたまでしょうが)感じさせられまして、個人的にそれこそ夢のようなSF映画だったのです。
2013-11-02 03:10:40@hi_doi ちなみに連想したといえば、辻真先原作石川賢作画の『セイントデビル』が真っ先に浮かんでましたw 光と闇の戦争になろうがずっと一緒にいたいロマンス、というところが
2013-11-02 03:14:05@netachika 完全占領された立場の存在は最終的にたどりついた"状況"の維持のため(前宇宙のパラドックス回避と同様の理由)にのみ存在を許され(エネルギー回収には相変わらず元『円環の理』システムの一部が用いられていると推測できます)ラストは敗者として蹂躙され続ける描写という。
2013-11-02 14:19:03@hi_doi あ、今までオーバーマインドの側だと思っていたのが「精神的進化に行き詰まったただの管理種族=オーバーロード」に成り下がるまでの転落劇だと見ると小気味いいですよね。しぶとく反乱分子は生まれそうだしw
2013-11-02 15:59:50@izumino まさしくまさしく!さらに言えば意思による「宇宙」そのものの矮小化を描いていると考えるとまたわかりやすくニューウェーヴSF→イーガンSFですし。
2013-11-02 16:38:36@hi_doi 別の見方をすれば神話の創世記を描いているようにも感じました。そういう宇宙創造系のSFも古くからあったような…? 魔法少女的に見ると、「光の国の女王」と「闇の国の女王」が生まれて対立して…と説明すると、東映魔法少女やプリキュアの世界観が「できる」までの話なんですよね
2013-11-02 16:42:38@hi_doi 「ゼロに至る物語」として予想するまどかマギカ http://t.co/9lvyByBUu2 ↑TV版完結前にこう予想していたように「魔法世界が光と闇で対立している」二元論世界がファンタジーのスタンダードで、完結後物足りなかったのはまだ一元論的な世界だったからですね
2013-11-02 16:48:31@izumino ですね。創生SFは古典的に擬似神話に潜ませるSFテーマという形(さらにそれを前提とした戯画化、換骨奪胎)を取ることが多く、結果、ファンタジーを兼ねる構造になったりもしますので、昨夜の泉さんの指摘は適切だなあとあらためて。
2013-11-02 16:47:40@hi_doi その点まさに融合してますよね。神話の殻をまとったSF、だと古典SFなんですけど、「ファンタジーに見せかけたSF」で一度終わったものをファンタジー世界に作り変えるというSFを描いている、という感じでしょうか。こうなると渾然一体としていてSFともFTとも読める
2013-11-02 16:51:20@izumino まさしく!その「混然一体」という言葉で表現される部分が現代SF感(サンプリングコラージュが前提となった現代SFの総括感)の源だと私は考えてます!
2013-11-02 17:58:34昨夜まで「やってることは直観で充分に感情的理解のできる真っ当なファンタジー」で「その分SFとしては背景が漠然でもよくて古典的」と考えていましたが、吉田隆一さんの語りを聞いて「やってることは直観で理解できるFTであり、背景は読み込めば(読む必要はない)ハードSF」に変わってきました
2013-11-02 17:02:27まどマギの原作脚本と紫色のクオリアは互いに発表前から書かれていたわけで影響関係がないのだけど、どちらも続編(クオリアの漫画版3巻の書き下ろしテキスト)で似たような設定への接近(まどかは追加設定でクオリアは存在は予想されたものの裏付け)が行われている点に予定調和への「収束」を感じる
2013-11-02 19:09:18つまり「紫色のクオリアをダシにしてTV版まどかをdisる」というお上品ではない批評が今まで可能だったのが(ぼくもミステリマガジンの寄稿でそれに近いことをやっている)、叛逆の物語からは「どっちも近いテーマに収束してる(その上で出す答えは当然異なる)」ので一緒に褒めやすくなってるのだ
2013-11-02 19:18:00@hi_doi あとそうだ、今回の映画は「虚淵玄作品」というより「 magica quartet原作作品」になったことを強く感じました。TV版はあえて脚本まんまの映像化、であるに対して叛逆はKalafinaのED歌詞や犬カレー空間の世界観「ありき」で到達したテーマがあると思うので
2013-11-02 19:15:02@izumino 以前私は「新編はSF度が下がる」という予想ツイートもしましたがそれは共同作業により個人の「趣味」が薄められると予想したからです。実際にはスタッフ全員がそれぞれのベクトルで表現を拡充させ、全体の情報量を過剰にする選択をした訳で、そこにも驚かされました。
2013-11-03 00:36:13@hi_doi ですね、既に多く指摘されている点だと思うんですが、TV版は「男性的=ロジカル=秩序(コスモス)=理性(理)」なSFで、叛逆は少女的でケイオスな心の動きでコスモスに向き合うSFなのでしょう。それは映像・演出から動力を得ているもので脚本家だけの力ではないと感じる所です
2013-11-03 01:24:58