- RonkyakuShoubai
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<原発についての議論>東北震災の発生により福島第一原発において緊急事態が発生し、二次的な津波災害のために原発事故に繋がった。被害が起き、日本全体で原発の是非を巡り議論が起きた。
2013-11-08 15:22:17現状、原発の推進と廃止の二つの態度の対立として議論されている。が先ず、何故このような論点になるのかもまた考察が必要と思われる。
2013-11-08 15:31:30議論の原因は事故と被害にある。すなわち、原発の悪影響への一つの経験がある。そして以前からの原発の悪性への認識があり相乗りしている。
2013-11-08 15:35:29原発を廃止しようとする態度では原発の悪性を延々と論じる。医学的な被害、生態や自然・心理や経済への悪影響を言う。これは専門的な理論と実証的な情報に任せるべきであり、議論にはならない。
2013-11-08 15:46:09この態度に続けて論じるならば論点は、第一に比較して判断されるべきか、第二に本当に比較して原発は利用するべきかの二点。
2013-11-08 15:58:53第一の論点について。 あらゆる善悪は経済的な利害に移行するのか、するならばこれは比較考量の問題になる。が明らかに”そうはならない”。
2013-11-08 15:59:58何故ならば、現代の多くの人間は生きている事を如何なる経済的な利害をも越え優先するから。経済のために生命を賭ける事例は少数であり、生命を左右するほど経済的に困窮する社会は現代ではない。
2013-11-08 16:03:46原発が生命や寿命を犠牲にするならば、被害の及ぶ人間は如何なる経済的交渉も跳ね除け原発に反対する。そしてその命が人権として守るべき物と言われる。
2013-11-08 16:06:54被害が存在するにも関わらず許容されている存在もあるが、刃物や自動車のように人為的な使用や管理の程度から危険が発生する事と原発のように統計的に発生する自然災害から発生する事は違うし、
2013-11-08 16:23:43原発は推進するべきではないのか?特定の倫理に従うならば”そうであると言える”。それに続けば利害の考量と言う推進する理由は”誤りであるとも言える”。
2013-11-08 16:30:14つまり、被害が及ばないなら自らの利益を理由として推進すると言う態度はありうる。 原発の廃止や自身の安全や人権の保護を言う人間と敵対して。
2013-11-08 17:01:02おそらく原発の利益を受けるであろう人間は被害を受ける人間と分離可能であり多く、その利益は原発への反対を暴力的に止めるための費用よりも多いと思われるが、確実に判断するためには調査が要るため議論にはならない。
2013-11-08 17:10:03<原発についての議論>論じた結果原発についての議論は、原発の危険に晒される人間と、人権を守りたい倫理を持つ人間と、利益を一方的に享受する人間がいてその対立である事がわかる。どれに属すかは議論にはならず、そして社会がどのような結末になるのかの予想も議論にはならない。 議論は終わる。
2013-11-08 17:22:14社会問題と見るなら、議論や主張や説得で決着が付くような事ではない。話が情報や知的能力に左右されるわけでもない。そのように認識しているならそれは誤り。
2013-11-08 17:29:42