表象文化論学会第8回研究発表集会 書評パネル『ドゥルーズの哲学原理』+『動きすぎてはいけない』(20131109)
来ていますRT @consaba: 11月9日13:30-15:30表象文化論学会第8回 書評パネル 國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店)+千葉雅也『動きすぎてはいけない』(河出書房新社)國分功一郎、千葉雅也、堀千晶、佐藤嘉幸http://t.co/mqZFgJlnwt
2013-11-09 13:29:32司会の佐藤嘉幸氏。國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』と千葉雅也『動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』が同時期に発売されたので、関係者を招いて討論会。 #表象文化論学会
2013-11-09 13:34:53まずは國分さんから。6月の『ドゥルーズの哲学原理』、そして『動き過ぎてはいけない』と立て続けにドゥルーズの本が出てこのような場が設けられた。今回は本の紹介ではなく疑問点など論点を提示していく。 #表象文化論学会
2013-11-09 13:36:51國分さんから千葉さん本の感想。輪郭を残すようなものとしてドゥルーズを解釈したことに感動。完全にオールオーバーなポロックではなく、少しぼかされているフランシス・ベーコンのような。 #表象文化論学会
2013-11-09 13:37:34『動きすぎてはいけない』では生成変化の概念の中の「輪郭」のようなものが主題にされており、ドゥルーズ的な画家としてポロックが取り上げられている。 #表象文化論学会
2013-11-09 13:38:26スピノザ主義においては「喜ばしい共生が予定されているかのようである」が、実は切断性も読み込めるのではないか。逆に、ヒュームの切断性というのもどこまでそれを言えるのかという話にもなる。 #表象文化論学会
2013-11-09 13:41:50ヒュームは社会に共感を見た。ドゥルーズが言うように共感には偏りがある。しかし、同じくドゥルーズによれば共感は統合されねばならないのではなかったか? #表象文化論学会
2013-11-09 13:43:12『フーコー』の扱いが『哲学原理』と『動きす』の最大の違い。なぜドゥルージアンにこの本が読まれないかといえば、フーコーを勉強しなければいけないから笑 #表象文化論学会
2013-11-09 13:46:43『差異と反復』第五章の存在意義。前個体的な次元で何が行われているか分からない。ドゥルーズはそこで「思考不可能なもの」にまで言及。このロジックはドゥルーズの論述のあちこちで見られる。 #表象文化論学会
2013-11-09 13:48:56千葉さんのラカン読解が大変興味深かった。個人が対象aとどのようなに付き合うか。純粋欲望を回避するための都合の良いものとして解釈。#表象文化論学会
2013-11-09 13:52:58ガタリが結局D&Gの中でどういう役割を果たしたのかについてもっと説明があってもよかったか?ドゥルーズのヒューム論と『リゾーム』が通底しているとしたらガタリの役割は? #表象文化論学会
2013-11-09 13:54:18シニフィアンと真理について。精神分析においてラカンは原抑圧を単一の虚焦点(存在しないものの探求)のように想定するが、ドゥルーズはそれを解除しようとした。複数的な抑圧がアドホックにあるのであって、単一の原抑圧ではない。 #表象文化論学会
2013-11-09 14:01:42千葉さんの話へ。國分さんの本では原抑圧が扱われている。國分さんの解釈は原抑圧を虚焦点のようなものと捉える。抑圧プロセスは一回ではなく複数の抑圧があり、後者がまとめあげられる。ラカンの議論では一回の強い抑圧があると考える。 #表象文化論学会
2013-11-09 14:01:50微小表象と拘束。単一の対象aをめぐる構造化されていないもの。バラバラのもの=部分対象をまとめ上げる「拘束」の反復。これは差異と反復における「第一の総合」。微小表象モデルはヒューム的。「原抑圧なしで」モデル。『存在論的、郵便的』を踏まえている。 #表象文化論学会
2013-11-09 14:06:31原抑圧がないということは、言葉の意味作用(言葉を別の言葉で置き換えて説明する)を仮固定しておくための置き場(空白の桝目)が存在しないことになる。そうなると仮交換が成り立たなくなり、真理になってしまう。 #表象文化論学会
2013-11-09 14:08:25原抑圧のないモデル=ひとつの意味作用をそれとして仮固定しておくための一つの〈置き場〉が存在しない。シニフィアンから仮のシニフィアンへの仮交換の連鎖の永続生がなくなってしまう。 #表象文化論学会
2013-11-09 14:08:39