まだまだアメちゃんに元気があった時代に、毎日、毎日、キャンプ富士から海兵隊のトラックがやってきてはドサーッ!と、荷台の用廃品をおっきな穴に捨てにきていたのだという。
2013-11-09 21:22:44まだまだM151も現役だった時代。その以前のM38やA1のパーツなんかそれこそトラックの荷台に満載してその大穴に捨てていった。黎明期の軍用ジーパーたちはその大穴に捨てられる「お宝」を捕獲するべく足しげくそのゴミ屋に通ったらしい。
2013-11-09 21:24:27「朝鮮人のじいさんがひとりで番小屋のバラックに住んでてよ、泥ドロの水はけ悪い場所だったから、足元に鉄板敷いてあるんだけど、これがMBのバンパーな訳よ!で、穴から拾ってきたパーツを「いくらよ?」っていうと、爺さんはゴヒャクエンネ!って、サンパーのキャブとか買ってたわけ」
2013-11-09 21:29:40「あの頃のアメ公は凄まじくてよ。サンパーのキャブとかデフとか油紙に包んだまんまのデッドストックをバンバン捨ててくわけ。もう何もかんも丸ごと捨ててくから漁るの楽しかったよね!」という。
2013-11-09 21:31:04「あの頃はカービンをバンバン捨ててたのね。ベトナムの後だから保管してたのを捨ててたんだろうね。ガスで適当に切って捨てるだけだからその辺の二、三丁持ってきて入れ替えちゃえば作れちゃうわけ」――??
2013-11-09 21:32:56「で、マニアはみんな拾ってくわけだな。「ゴヒャクエン!」ってね。で、御〇場の連中なんかがみんなで拾って、「一家に一丁」みたいな感じだったわけよ。持ってたら撃ちたくなるわけじゃない?当時、山に入ってパンパン!遊んでたわけだな」
2013-11-09 21:34:22ちなみに富士のゴミ屋だが、カービンの一件の影響かどうかは不明だが、その後、忽然と姿を消し、超絶パーツの埋められた大穴も消えたらしい。
2013-11-09 21:42:00そういえば都内にも米軍、J隊の払い下げを受けていた老舗の業者があったそうだが、この10年で商売を辞め、跡地はマンションになっているーーらしい。もしかするといまやマンションとなっている敷地の土中にはハーフトラック、MBなんかが埋まっちゃってたりするかもだ。
2013-11-09 21:49:32@HEIWADOU_JP 進駐軍時代も凄まじかったそうで、スクラップ1山いくらで買ってきて、調べると新品の50tジャッキがゴロゴロ。それでずいぶん稼がせて貰ったというのは、あさま山荘でクレーンに載ってた爺様です。
2013-11-09 22:01:17@BigMuski 素晴らしい話しの展開ですねw キュリアス的なネタですが、この当時にウィンチ付きのウェーポンキャリアを買ってきて「片道登山」で山頂へ上げて林業に使ったとか、いろいろあるようですね。で、最近、そんなキャリア探しが局地的にはやっているそうでw
2013-11-09 22:07:24@HEIWADOU_JP 白田爺様、記録ヲタで写真が大量にあるんですが... 赤線を行く変圧器輸送トレーラー これには度肝抜かれました。写真に写ってるモノ全てが貴重な資料です。
2013-11-09 22:11:59@HEIWADOU_JP ソリ付きウインチどころか発動機しか無かった頃に、山を登れる故障しないウインチがあれば飛びつきますわな。
2013-11-09 22:17:31@HEIWADOU_JP 爺曰わく、5t未満の払い下げ禁止令(産業保護令)で新車同然のウィリスやらウエポンやらジミーがバンバン潰されるのが忍びないと当時から思ってたそうです
2013-11-09 22:18:28