知猫楽 「玄昉僧正の紫衣について」

ある日のTLで、古典の日記念・逆名さんの質問コーナー発見(違。 これは!ということで、遣唐留学僧の玄昉さんが玄宗皇帝から着用を許されたと云われる紫衣について見解をお伺いしました。 書籍によっては袈裟とされているのですが「三品に準じて」というところがとても引っかかっておりました。 ありがとうございました。 続きを読む
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逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

#古典の日 なので、時代装束関連の御質問にお答えしますorお調べします企画。 先着5名樣リプライで。 ※範囲は日本古代~中世で武装は専門外。法衣袈裟もやります。 ex.束帯のここがわからない、○○が○○の時に着る装束は何が適当か、この図像で着られている装束は何か、など。

2013-11-01 20:43:13
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

RT>せっかくの機会なのに何も思い付きませんσ(^^;)。なんか私っていつもこうだなあ。後から、あっあれをお尋ねしておけばよかったのに~とかなるんだ。きっと。

2013-11-01 21:17:11
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@sakana6634 逆名さーん、質問まだ大丈夫でしょうか?。

2013-11-01 22:05:48
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

@k_h_musume 大丈夫ですよ~。まだおひとりだけですし(笑)

2013-11-01 22:23:09
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@sakana6634 ではよろしくお願いします。以前教えていただいた唐代も含めての法位のサイトは大変参考になったのですが、玄昉僧正の紫衣についてです。→

2013-11-01 22:42:25
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@sakana6634 続日本紀の薨伝では「玄宗皇帝に尊ばれ、三品に準じて紫衣を着用を許された」とありますが、当時の唐に三品という僧位があったのか、あったならどういうものだったのか、

2013-11-01 22:43:13
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@sakana6634 紫衣は袈裟だったのか如法衣だったのか、またどのようなものだったのか、今一つ具体的に想像できずにいます。可能性としてあり得そうなのは袈裟、法衣のどちらなのでしょう?。

2013-11-01 22:45:01
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

了解です~。まず即答できるものからお答えしますね。如法衣というのは、一般に木蘭色(が多いが他の壊色も含む)の無文単色の七条袈裟で、金襴など贅沢な布で作られるようになった袈裟に対して、原理に近く法の如し、という意味でそう呼ばれます。(続) @k_h_musume

2013-11-01 22:57:40
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

(続)唐代の「三品」は、日本の「三位」とほぼ同じように考えてもいいかと思います。規模が違うのは自明ですが。また日本の律令官位より、下層の官位が多くなっています。→【唐朝官職表】http://t.co/zO3hMTNEhy @k_h_musume

2013-11-01 23:01:48
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

お待たせしました~。玄昉が賜った紫衣は、俗服の『官位相当の紫色の袍(長衣)』と考えるのが妥当かと思われます。 『唐書』貞観三(629)年「…八月詔。自今三品以上服紫、四品服緋、六品七品服緑、八品服青婦人従其夫色等。」(続) @k_h_musume

2013-11-01 23:36:30
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

(承前)唐代の僧侶は袈裟の下に俗服も着たことが『仏門衣服正儀編餘』に「或頂受紫服。或佩戴俗衣。」などと見えます。これは褊衫などの法衣ではありませんが、方領袍であったか盤領袍であったかはわかりません(どちらも下賜の例がある)(続) @k_h_musume

2013-11-01 23:39:48
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

(承前) また紫色の袈裟を賜った例もあります。俗服に袈裟というのはあまり馴染みがありませんが、孝養太子像などが盤領袍に袈裟を着けているので、参考になりそうです。 参考:法衣史(井筒雅風) 以上です。 @k_h_musume

2013-11-01 23:42:15
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@sakana6634 ありがとうございました。紫の褊衫?なんて思ったのですが、僧位というより、留学僧への報奨として紫の袍を与えることで、三品相当の扱いを授けてくれた感じでしょうか。当時の日本の三位より、もうちょっと下よりに広い感じですね。漠然と四等官あたりを想像しました。→

2013-11-02 00:23:57
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@sakana6634 →在唐中に受けた報奨であれば、留学僧としても出入り可能な場所が広がったり、教えを乞うにしても利があったかもしれませんね。例によって、帰朝に当たっての報奨という可能性もありそうですがσ(^^;)。

2013-11-02 00:29:46
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

ん~、禿頭に袍に袈裟という姿は想像しにくいですが、恩賜の袍を売るとも考えにくいし、やはり在唐中に着ていたのかなあ。開元釈教録(かな?)を収集して招来できたくらいだから、財力はそれなりにはあったんだろうしな~。

2013-11-02 00:39:42
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

@k_h_musume まあ、官位だけ高くても職は伴わないので名のみの贈官だとしても、三位は結構高いですよ。各省の長官並みですし。

2013-11-02 00:43:09
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@sakana6634 あ、袍を賜る=官位も禄も、ということだったと思われますか?。玄昉さんは在唐期間も長かったので、どうやって暮らしをたてていたのかちょっと不思議でしたが、どこかのお寺で修行を積んでいたのかと思っていました。

2013-11-02 01:00:32
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

@k_h_musume 俗官の品位相当の禄まで賜っていたかはわかりませんが、紫衣まで授受があって、その辺にほったらかしということはなかったんじゃないでしょうか。寄宿先の世話や従者が付くとかくらいはあったもいいのかも。

2013-11-02 01:10:14
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

@k_h_musume さすがに紫衣は普段着にはしにくいかも…。 盤領でも襟を返して着たっていいですしね(略儀だろうけど)。 なお、盤領の内衣の上に方領の大袖、袈裟、という図像もあるそうです。 

2013-11-02 02:05:20
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

あまりいい例が見付けられなかったけど、これがなんとなく折り返した盤領に袈裟みたいに見えなくもないんだよなあ。筒袖っぽく見えるし。(敦煌出土大英博物館蔵) http://t.co/ht23KDTX7J

2013-11-02 10:01:07
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賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

RT>おお~ ( ゚д゚ )!、禿頭で袍に袈裟(褊衫)、こんなに自然だとは!。六月で思い描いていた、大学寮を飛び出して吉野の山の中で勤行している佐伯直真魚、ってまさにこういう感じだったのかも。

2013-11-02 18:02:55
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

遣唐留学僧だった玄昉さんも、もし在唐中に玄宗皇帝から紫の袍を賜っていたなら、こういう姿で修行に勤しんでいたのかも…。もしかしてこんな姿で五台山に教えを乞いに赴いたりしたんだろうか…。

2013-11-02 18:13:11
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

@k_h_musume 原則袈裟の下も法衣で、俗服は特殊な着方には違いないので、唐代では俗っぽいだらしない風俗と云われていたみたいです(下級の僧侶が市井の俗服を着るか、高僧が下賜の袍を着るか)。

2013-11-02 18:50:23
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

@k_h_musume 日本でこういう着方をするとしたら高貴な人か…僧官服として、袍裳や裳付衣なんかが作られるまでは、こんな例もあったのかも。 (続)

2013-11-02 18:51:41