「武勇の大将」と「武勇の士」の違い2~剣豪将軍足利義輝や徳川家康をめぐって

勝手に作ってみたhttp://togetter.com/li/587432の続編。 総大将と一武人の資質は違う、という話は項羽と劉邦の時代から語られていました。日本の、特に武術と武将の関係は?「剣豪将軍」として知る人ぞ知る足利義輝、そして実は個人的武芸という面では戦国武将トップクラスの徳川家康。彼らの逸話や資料を元に考えます。 主要ツイート者は ============ 神無月久音 @k_hisane 続きを読む
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神無月久音 @k_hisane
前に話に出た足利義輝の死に様を雑兵のようだと書いた本について、探ってたら出てきたので紹介。【【絵解き】戦国武士の合戦心得 (講談社文庫) 東郷 隆】 http://t.co/lVPxMXyOhQ 「雑兵物語」かと思ったけど違いましたな。
神無月久音 @k_hisane
で、件の義輝の最後についての記述はこんな感じ。『打刀を使った「兵法」という下卒技が流行し、一五〇〇年代の半ばには、権威あるはずの足利将軍まで、この技にかぶれた。第十三代将軍の義輝は塚原卜伝らに学んで剣豪将軍とまで謳われている(続く)
神無月久音 @k_hisane
(続き)しかし、永禄八年、彼を恐れた三好三人衆と松永久秀に夜討ちをかけられた。京都二条の館に火をかけられた義輝は、炎を背にして敵を次々に切った。園や利方も、屋敷の畳に足利家伝来の名刀を何本も刺し、堅物に当たって刀が折れると惜しげもなく取り替えるという雑兵式の戦闘方法だった(続く)
神無月久音 @k_hisane
(続き)攻めあぐねた三好・松永の兵は、四方かた戸板で将軍を押し囲み、人数を頼んで引き倒すと、戸の間から刀を差し入れて蛙でも殺すようにめった刺しにした。その死に様も足軽のようだ、と京の人々は噂したという』
神無月久音 @k_hisane
前にも書いた通り、この部分について出典が書いてないし、状況描写は足利季世記か日本外史辺りから取ってきたと思われるので、こりゃ足軽云々ってのは筆者が書いたものっぽいで砂。しかし、大暴れ自体は書いてあるものの、「(兵法に)かぶれた」とか「蛙でも殺すように」とか、結構表現が辛辣です喃。
神無月久音 @k_hisane
つか、永禄の変(というか義輝の最期)について、同時代の記録と言えるものってフロイスの手紙と言継卿記以外にもある筈なのに、なんで目立たないんじゃろか。他の貴族やら僧侶なんかの日記とかも探せばありそうです喃。
神無月久音 @k_hisane
今んとこ、当方が把握してるのはこの辺。【同日~数日程度】フロイスの手紙、言継卿記、【若干年月経った後】フロイス日本史、信長公記(元の記述)、【江戸初期】甲陽軍艦、宗矩の推挙状、【江戸後期以前】永祿記&細川両家記(群書類従)、【江戸後期】日本外史、【不明】足利季世紀(改定史籍集覧)
神無月久音 @k_hisane
で、義輝の最期を紹介してるとこは、このうち、永祿記、足利季世記、日本外史辺りをミックスしてることが多いで砂。前2つはともかく、日本外史は司馬遼太郎とか山岡荘八辺りの歴史小説程度の認識でいた方がよさげなものなので、あんまり「歴史の紹介」に使うのはどうかしらん、とは思うのですけどねー
神無月久音 @k_hisane
逆に、当日~数日後のほぼリアルタイムの記述はこんな感じ。【フロイスの手紙(現代訳)】「公方様は、火災と必要から、家臣とともに戦いはじめ、腹に一槍、頭に一矢、背に刀傷二つをうけて死した」 【言継卿記】「戦い暫しと云々。奉公衆数多討死すと云々。大樹午の初点御生害と云々」
神無月久音 @k_hisane
まあ、物語性なんてのは皆無に等しい記述ですが、当日だとこんなもんであろうなと。あれこれの演出やら装飾が付くのは、関係者も亡くなって、誰も当時の事なんか直に知らなくなってからな訳で、よくあることと言えばよくあることで砂。
神無月久音 @k_hisane
あと、一之太刀の伝授については、甲陽軍艦が出典のようですが、義輝だけではなく、義昭にも一之太刀を教授したという記述があって、微妙臭が。本朝武芸小伝にも同様の記述がありますが、「甲陽軍艦によると」とか書いてあるので、あんまり意味ない感じです喃。
神無月久音 @k_hisane
なお、ト伝の弟子に細川幽斎や長宗我部信親がいるという話は、「天真正伝新当流兵法伝脉(脈)」(文久元年(1861))の辺りにありますけど、他にも結構な数の名前が上がってるので、本当に伝授したのかどうか、ちと怪しい感じで砂。
神無月久音 @k_hisane
それと、同じくト伝に剣を学んだという今川氏真について、ここまで名前が挙がってなかったので気になり、調べてみたところ、氏真のト伝弟子説は綿谷先生の『武芸流派大事典』が出典な上に、根拠も書いてないという話が出てきて、また綿谷先生がやらかしたのかしらん、という疑念がモコモコと。むう。
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan
ふうん、足利義輝の伝説的剣豪ぶりも、ある意味「鎌倉の執権どのが猿楽にうつつを抜かして…」と同じ視線だったのか。QT @k_hisane @SagamiNoriaki  「兵法」という下卒技が流行し…権威あるはずの足利将軍まで、この技にかぶれた
神無月久音 @k_hisane
まあ、その「義輝が剣豪である」とする説を支える史料が結構怪しいので、どうなのかなと。まあ、キャラは立ってるんですけどねー @gryphonjapan 足利義輝の伝説的剣豪ぶりも、ある意味「鎌倉の執権どのが猿楽にうつつを抜かして…」と同じ視線だったのか @SagamiNoriaki
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan
でも自分も、足利義輝ってどんな人?と聞かれたら、この「床に刀を何本も差して、取替え取替え敵を斬り…」の話以外、なにひとつしらない(笑) @k_hisane @SagamiNoriaki
神無月久音 @k_hisane
逆に言えば、最期だけは知られてるのです。だから、その最期を前提にキャラ立てされる訳で砂 @gryphonjapan でも自分も、足利義輝ってどんな人?と聞かれたら、この「床に刀を何本も差して、取替え取替え敵を斬り…」の話以外、なにひとつしらない(笑)@SagamiNoriaki
神無月久音 @k_hisane
言うまでもないですが、江戸時代以前に将軍家の事を「将軍」と呼ぶことはあまりなく、大体が「公方」「大樹」「(足利将軍なら)室町殿」辺りなので、「当時、剣豪将軍と称された」なんてのは、創作もいいところで砂。正確な初出は不明ですが、まず戦後以降に作り出された呼称と考えていいだろうと。
神無月久音 @k_hisane
ですねー。当方もあれは好きな作品でアリマス。「風魔」もよかったですし。 @lockedkazuki そういう意味ではあくまでフィクションという前提ではありますが、宮本昌孝さんの「剣豪将軍」は面白く読めましたね。 @gryphonjapan @SagamiNoriaki
神無月久音 @k_hisane
とはいえ、「じゃあ義輝は剣豪じゃなかったのか」というと、ここで出てくるのが宗矩が細川家宛てに書いた雲林院弥四郎の推挙状な訳で砂。そこに曰く『親ほくてん(塚原卜伝)弟子ニて、於上方ハ覚(光)源院(義輝)様・伊勢之国司(北畠具教)、此親以上ニ五六人ならてハ無之候』
神無月久音 @k_hisane
若干年代は下がるとはいえ、「関係者だらけの身内の間で出された手紙」であるこの推挙状は、記述の信憑性がかなり高いと見ていいわけですよ。そこで、上方でのト伝の弟子の一人として義輝の名が挙がってる訳で、腕前はともかく、ト伝の直門だったことはまず確実だろうと言える訳で砂。
神無月久音 @k_hisane
正味な話、義輝より家康の方が剣士としては腕が上なんじゃないかしらん、という気がしなくもない。何気に知られtませんが、家康も一之太刀を伝授されてて、こちらは印可状も残ってますし喃。そういう印象がないのは、そんな話が埋没するくらい事跡が多過ぎて、目立ってないというだけじゃないのかと。
神無月久音 @k_hisane
さっきの話にも繋がりますが、「剣豪将軍」という呼称は、「最期の大立回りしか目立ってない」「将軍(為政者)としては大した事ができてない」ことの裏返しでもある訳で、ある意味、蔑称とすら言ってもいいかもで砂。「リアル暴れん坊将軍」とか全然誉め言葉になってないんじゃないのと。
ダイシ(田島大士) @DaishiZeppelin
家康は肥満している印象が強くて、なかなか剣士のイメージがわきにくいのかもしれないですね。@k_hisane
神無月久音 @k_hisane
家康が、自身、複数の流派を修めるほどの兵法熱心であるにも関わらず、「大将に剣の腕など必要ない」「自ら前に出て戦うなど大将のすることか」と言い放った逸話と比べると、その辺、尚更浮き彫りになる感じで砂。
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コメント

腐ってもエビ @kusattemoevill 2014年7月7日
まさか劇場版でのエヴァ弐号機のあの戦い方って……
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