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@paggpagg
知里幸恵『アイヌ神謡集』は見開き左にアイヌ語、右に日本語。彼女はバイリンガルだったから、単純に「日本語訳」とはいえない。だが、草稿と完成版は違いがあるのに、アイヌ語と日本語の対応だけはちゃんとしている。そう調節することを「翻訳」と呼ぶなら翻訳されている。
@paggpagg
アイヌ神謡集。「昔のウェンクルが今はニシパになり、昔のニシパが今はウェンクルになっている」というフクロウの言葉。それは①昔のニシパが怠け者になり神の加護を失い、昔のウェンクルが勤勉になり神の加護を得た、②神々の不注意により正しく物事が進んでいない、のどちらかを意味する。
@paggpagg
アイヌ神謡集。「昔ニシパで今はウェンクルになった」家の子どもの目を見たフクロウは「この子どもはニシパたるべき人だ」と見抜く。そしてこの子の矢を受け獲物となる。これは「器量のある者は、必ずカムイに認められてニシパとなる」というアイヌ伝統文化の価値観を表す。
@paggpagg
アイヌ神謡集。ではなぜこの子の家は「昔はニシパだったのに今はウェンクル」なのか。後で登場する老夫婦はおそらく祖父母だろうが、立派な精神の持ち主であり、ウェンクルになるはずのない人々。だが、子どもの父母の姿がない。
@paggpagg
アイヌ神謡集。第一話。子どもの父母はおそらく事故で亡くなっている。それは何か過ちを犯したためかもしれない。もっとありそうなのは神々(カムイたち)の不注意によって、危険から身を守り損ねた、ということ。そして若夫婦の死によって老夫婦と子どもは困窮した。
@paggpagg
アイヌ神謡集第一話。主人公の子の行動は適切。まず最後に射たこと。大物は慌ててはならぬ。最後に行動すべし。次に獲物を真っ先に確保したこと。重要なタイミングを逃してはならぬ。最後に天窓から運び入れ、事情を述べたこと。礼儀にかなっており、次の場面にもつながる。この辺り幸恵の好みか。
@paggpagg
アイヌ神謡集第一話。老夫婦は獲物のフクロウを見て驚く。フクロウに対し挨拶を述べ、明日送り儀礼をする旨伝えると、すぐに寝てしまう。すでに日が暮れていたからだが、なるべく早く夢を見てフクロウから事情を説明してもらうためでもある(必要なとき、カムイは人間の夢に登場する)。
御影陀法師 @xroadtec
@paggpagg そのアイヌ神謡集とやらはどこで拝見することができるのかな?旭川の図書館あたりで見ることができる?
@paggpagg
@xroadtec 青空文庫にあります。知里幸恵『アイヌ神謡集』 http://www.aozora.gr.jp/cards/001529/files/44909_29558.html
御影陀法師 @xroadtec
@paggpagg ありがとう。青空文庫とは意外だった。
@paggpagg
アイヌ神謡集第一話。皆が寝ている間に、フクロウの魂(カムイ)は遺骸を離れ、家中を跳ね回る。すると家は「神の宝物」で一杯になる。「カムイの(もたらす)宝」は人間にとって価値があり、翌日老人がフクロウに捧げる「人間の(作る)宝(イナウ=木幣)」はカムイにとって価値がある。
@paggpagg
アイヌ神謡集第一話。フクロウは魂となって家中を跳ね回り、家を建替え宝物で満たした後で、老人の夢に現れ「自分は偉い神だが、わざわざ客にきた。いろいろ贈り物をしたぞ」と告げる。翌朝目覚めた老夫婦は家の変わりように驚く。
@paggpagg
アイヌ神謡集第一話。フクロウの魂の姿は人間には見えない。だから夢で対話するしかない。さて、フクロウの贈り物に対し、老夫婦は酒を作り盛大な送り儀礼をしてくれる。ひょっとしたら本来は酒の予定はなかったかもしれない。贈り物をしたことは、フクロウにとっても良かったはず。
@paggpagg
アイヌ神謡集第一話。フクロウ送り儀礼に、冷酷な村人たちが招かれ、立派に新築された家を見て腰を抜かす。老夫婦は「今後は仲良くしよう」と呼びかける。この「仲直り」が「幸恵オリジナル」ではないか、ともいわれる部分。普通は仲直りの場面はなく、村人たちはやりこめられておしまい。
@paggpagg
アイヌ神謡集第一話。フクロウが神の国に帰ると酒が届いているので、他の神々と宴をする。さらにイナウを分けてやって地位があがる。それ以降あの子どもとフクロウは加護と供物を交換する仲(守護神)となる。最後には老夫婦が「父母」と呼ばれているが、やはり祖父母と解したい。
@paggpagg
アイヌ神謡集第一話。「老夫婦」を祖父母と解したが、もとのテキストには「父母」とある。「父母」だとすると、立派な人間なのになぜかカムイの恩寵を失ったことになる。たんにカムイの不注意という可能性もあるが、ウエペケレであればこの辺りの事情に関して整合性が求められ、必ず説明がある。
@paggpagg
アイヌ神謡集第一話。もちろん、「父母」と解釈するほうがテキストに忠実。そうするとやはり父母がカムイの加護を失った事情が気になる。神の不注意か、父母に何か落ち度があったか。あるいは周囲の誰かの策略か。いろいろ想像するのは楽しい。
@paggpagg
アイヌ神謡集。知里幸恵が自分の知っている話を書いたもの。草稿と完成稿を比べてもわかるが、「元の伝承」「正しい形」なんてものはない。神謡集は始めから文字原稿として起稿されている。リフレインがちゃんとつくように文章が調整されていない(色々な意味でこれは程度問題なのだが)。
@paggpagg
アイヌ神謡集第二話。第二話を読んだことがない人は多いと思う。読んだ人は、第一話とのギャップに戸惑ったことだろう。実際には神謡(カムイユカラ)というのはかなり雑多なジャンル。この話は「愚かなキツネの笑い話」ともいうべきもの。
@paggpagg
アイヌ神謡集第二話。この話の類話を含め、神謡には笑い話・寓話な系列のサブジャンルがある。この話に教訓はない。この話のツボはキツネがバカなところ。もう一つのツボはおそらく罵詈。オインテヌ(尻にウンコカスつき)、オタイペヌ(尻にべチャグソつき)といった表現が入っている。
@paggpagg
アイヌ神謡集第二話。キツネが、ウンコの山を鯨と見間違え、2羽のカラスを船の事故と見間違え、2本の簗杭を泣く女たちと見間違える。さらには自分の妻が脱穀しているアワの殻を火事の煙と見間違えて叫ぶ。おかげで驚いた妻がアワを放り出してしまう。それだけの話。
@paggpagg
アイヌ神謡集第二話。ここは知里幸恵のつけている注釈が読みどころ。イソエオンカミ、ウニウェンテ、ホコクセ、ウチシカラ、ペウタンケ(リミムセ)など。またアスル(知らせ)の仕方についても。儀礼や叫び声に関する記述が非常に簡潔にまとめられている。
@paggpagg
アイヌ神謡集第二話。たんなる笑い話なのだが、それが儀礼や事故、泣く姿、危急の叫び声など、笑い事ではない事柄と結び付けられているところがミソ。この対比が笑を誘うわけだが、今読む場合は「伝統文化の勉強」になる。別の意味でいい教材。
@paggpagg
アイヌ神謡集第二話。知里幸恵がこの話を2番目に持ってきたのは、短い笑い話でありながら伝統文化が詰まっているからこそだろう。原稿をみると注釈用のスペースが埋まっている。ストーリーで引っ張る第一話といい対照。
@paggpagg
知里幸恵『アイヌ神謡集』は岩波文庫で入手可能ですが、ネット上なら「青空文庫」でも読めます。http://www.aozora.gr.jp/cards/001529/files/44909_29558.html
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