とある戦後日本の艦艇輸出に関する呟き
- izumosobarieato
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先だっては所謂銃砲弾薬関係の輸出について述べたのだが、戦前から日本は艦艇輸出を行っていた、であるなら戦後輸出産業の花形となった造船業界が艦艇だけ輸出しない、と言う事はないだろう。
2010-10-13 05:49:381954/12/31 ブラジル Custodio de Mello 輸送艦 石川島重工 1954/12/1 ブラジル Barroso Pereira 輸送艦 石川島重工
2010-10-13 06:02:521956/12/29 ブラジル Ary Parreiras 輸送艦 石川島重工 1957/3/23 ブラジル Soares Dutra 輸送艦 石川島重工
2010-10-13 06:03:151958/1/1 ブラジル Sirius 測量艦 石川島重工 1958/3/15 ブラジル Canopus 測量艦 石川島重工
2010-10-13 06:03:33ここでブラジル宛に輸送艦を4隻、測量艦を2隻輸出している、この頃ブラジルに対する幾つかの大型案件がまとまっていたはずで、艦船輸出もその一環だったのだろう、また、輸送艦とは言え概ね貨物船と同じだったこと、測量艦もまた民間の船舶と層替わりがないことも考慮に入れて良いと思う。
2010-10-13 06:06:18そして、お次は台湾向け、1957/6/1 台湾 フウ・チョウ 哨戒艇 三菱下関造船所 1957/6/1 台湾 スウ・チン 哨戒艇 三菱下関造船所 台湾向けの哨戒艇であるが、コレには魚雷の落射機も付いており、航空魚雷の輸出もセットだったと考えられる。
2010-10-13 06:08:52その次はフィリピン向け 1959/2/不明 フィリピン Lapu-Lapu 大統領ヨット 石川島重工 コレは戦時賠償によるものである、石川島重工の社史に乗っている。
2010-10-13 06:10:42そして、最後にインドネシア向けに二件、1961/6/不明 インドネシア Teluk Amboina 揚陸艦 佐世保重工 1961/8/不明 インドネシア Multatuli ムルタチュリ 輸送艦 石川島播磨重工 の二隻、コレにはインドネシア向けの機銃部品輸出が絡んでいるだろう。
2010-10-13 06:13:25このほかにまだまとめていないのだが米(経由各国)向け、乃至はブラジル向けのLCUかLSU、イスラエル向けの哨戒艇、ビルマ向け河川哨戒艇、フィリピン向けハイドロフォイル哨戒艇の案件があったらしい。
2010-10-13 06:18:38とまあ、一部まとまってない&裏が取れていないのだが、1,960年代前半頃までにこの程度の輸出案件があったそうな、その後武器輸出三原則の強化により、一部巡視艇の輸出や退役巡視艇の輸出以外の船艇輸出の道は閉ざされるのである。。
2010-10-13 06:23:17