【渇望と】石垣は石を積んで作るが、石を積んだだけでは石垣にならない話【羨望と】
平たく言えば、「幸せに飢えている人」は幸せな物語を夢見てそれを描くことができるけど、幸せが日常になってる人はそこに幸せを「見出す」ことがどうも難しいらしい。
2013-11-13 05:34:49僕の師匠筋の人は、「物語は怒りで書くのだ」と言ってた。社会に対する怒り、自分に対する怒り、他人に対する怒り、恨み辛みルサンチマンが強いほど、「そうありたい、そうなりたい」もしくは「それだけは嫌だ」がより色濃く出てくるらしい。
2013-11-13 05:35:53いい作品を描いているからいい人か、優しいキャラクターを書いているから優しい人かというと、もちろんそういう人もいるだろうけど、「そういう人に飢えている人」のほうが、より色濃くそういうキャラクターを描けるのだ、とか。
2013-11-13 05:37:16飢える、渇望する、より強く求めると、「憧れる」は字面が違うけど意図しているところは同じで、憧れを強く持たない人はそれを描く必然そのものが生まれないから書けない。「地位や名誉や金に満ち足りるとスランプになる」みたいなのは、よく聞く話だけどそうしてみると理に適っている。
2013-11-13 05:38:31大昔の先達の中には、放浪してたり、頭おかしかったり、何かと破滅的な人生を送った作家、画家は多かった。頭おかしいから名作が生まれる、という言い方は失礼に当たるかもしれないが、狂おしいほどの渇望、嫉妬というのが、創作のエネルギーになっていた、というのもさもありなん。
2013-11-13 05:39:43まあ、だからって「気違いに憧れる」とか「気違いの素振りを真似てみる」とか「無礼なおかしい人という演出を自分に試みてみる」ことで名作が書けるというわけでもないのが難しいとこ。
2013-11-13 05:40:20まあ、この「モチベーション」とか「ルサンチマン」とかそういうものは、ストーリーテリングや創作意識の中で不可欠なものだけど、これは教えることができない。育てることもできない。かといって、持って生まれたセンスなどでもない。
2013-11-13 05:41:46ただひたすら、持てる者を羨み、焦がれ、悔しがり、恨み、詰ることでしか生まれて来ないし、それを続ければ場合によっては壊れてしまう。だから、名作を書ける作家はいても名作を連発できる作家はごく僅かしかいないし、長く続けられる作家はさらに少ない。
2013-11-13 05:42:59そんでもって、「怒りや憎しみや恨みや羨み」で真っ黒になった人ほど、ほんといいものを書くのは確か。そうなったが最後、燃え尽きるまでは早いのだろうなと思うんだけど、燃え尽きるまでの間に凄いのを書く。
2013-11-13 05:44:01ただ、怒り狂いすぎてもう何も届かなくなってしまう人なんかも結構いて、それはそれで辛い。辛いんだけど、作家ってそういうものだからもうしょうがない。落ち着けとかまともになれとか、正気に戻れと言って聞くような人は、まあ大成しない(^^;)
2013-11-13 05:44:53大成した人は自分が壊れつつあることを自覚できなかったりするケースも往々にしてあり、それを見るのはまた辛い。だから、真に良い作品を描いている最中にある作家、画家、漫画家、そういう人達の作品だけを愛しく思い、作家当人には近付かない。踏み込まない。
2013-11-13 05:45:59それが、読者の礼儀じゃないだろか。とは思う。 「あの人の作品は最高にいいんだがなあ」と思ったら、その創作者創造者には近付かない。遠巻きに見て、その心中や、その憧れや、その焦燥や、その怒号を眺めさせて貰う。それが礼儀かもしれない。
2013-11-13 05:47:30名作はそうやって世に産み落とされます。名作じゃないものもそうです。本1冊の値段は決して高いものじゃないです。著者の手に入るのは1冊売れてその10%に過ぎません。頭おかしくして人として壊れて、それでこれか。ってくらいなもん。
2013-11-13 05:50:07いい人です(`・ω・´) QT @haku_mania_P: アズキ氏の話をぼーっと眺めていて思った。ブログ時代からその傾向は結構あったけれども。ついったでやたら善人ぶってる人って、実際にはけっこうなアレ具合の人が多いよね。それはつまりそういうことなのだな、という嫌な納得をした
2013-11-13 05:51:58「石垣は石を積んで作るが、石を積んだだけでは石垣はできない」は、「名作はキチガイが書くが、キチガイになれば名作が書けるわけではない」とか、「名作を書くキチガイは振る舞いがおかしいが、振る舞いをおかしくすれば名作が書け、キチガイだから許される、というわけでもない」と置き換え可能。
2013-11-13 05:54:01「物語は怒りで書くのだ」について言えば、怒ってない人は迷いが出るらしい。怒ってる=断定的になっている=自分の信じる正義を疑わない状態になっていると、迷いがないからするする書ける。作者は自作品の世界では絶対正義であらねばならないから、怒りで思考を固定して書け、は確かに意味がある。
2013-11-13 06:00:51「自分の不満を怒りとして吐き出し、読者に共有させるのだ」という意味もある。正義に燃える主人公はだいたい「どちくしょー!」と怒ってるものだし、主人公が立ち向かう敵、悪は怒りをぶつける対象であるべきだからだ。まあ、これも理に適ってる。
2013-11-13 06:01:56この理論で恋愛モノを書くと、それはもうドロドロしたものになってしまうのではないかと思うのだが、かの師匠筋の人はそれはそれで繊細な恋物語を書いたりもされていた。あれも怒りで書いてたのかどうかは不明だ。
2013-11-13 06:02:49彼の造物主もまた人なり。 QT @20100313bg: @azukiglg だけど何故かオタク界隈は「自分の愛する神聖なる作品に関わる創作者は自分が信仰するに足る聖人君子でならなければならないし、聖人君子しかいないはずである」と頑なに信じている連中が多数いるんですよねえ・・・
2013-11-13 06:03:21若い頃さんざ言われたことをキーワード、文面としてはずっと覚えてるんだけど、その意味というのを実はあんまり良く分かってなかったのかもしれないなー、というのは、年を食ってみて改めて「同じ文面から違う理解が見えてきたとき」に初めて気付く。
2013-11-13 06:04:45