帰ってきたおっさんの江戸薀蓄(忠臣蔵編)

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Randy Hickey @randy_TSK

|3・)12月に入ると、毎年恒例の「忠臣蔵」シーズンになりますので、若干季節を先取りして、久しぶりの江戸薀蓄は「忠臣蔵」で行ってみようか、と愚行仕ります。 ぺこりm(__)m

2013-11-12 09:39:42
Randy Hickey @randy_TSK

|3・)同じ話を何度もして恐縮ですが、私、「赤穂事件」は江戸城内柳営のしきたり、就中武家官位や江戸城内の構造等を最低限予備知識として押さえておかないと理解が深まらないと思っておりまして、「本邦随一のヒール」吉良上野介義央さんの「高家」について知っておく必要があると思う訳ですw

2013-11-12 09:46:11
Randy Hickey @randy_TSK

忠臣蔵で、ナレーションがよく「高家筆頭吉良上野介・・」とか言っている「高家」については、「幕府の儀式や礼式を司る式部官」という認識は皆さんテレビでご存知の通りなんですが、正確に言うと「高家という職務に就いている旗本、及び高家に就く家格を有する旗本」をざっくりと「高家」と呼びます。

2013-11-12 10:18:29
Randy Hickey @randy_TSK

実際に高家の職に就いている旗本を「奥高家」、無役のそれを「表高家」と呼ぶ事もあります。 職務は「朝廷への使者(主には儀礼上のもの)、将軍家の寺社参拝代参、江戸に下向される勅使(天皇の使者)、院使(上皇・法皇の使者)への接待・及び儀礼式典の指導等です。 (続く

2013-11-12 10:29:46
Randy Hickey @randy_TSK

権現様の征夷大将軍任官の儀式一切を旗本の大沢基宿が取り仕切ったのが高家の始まりと言われていて、26家の高家は主に足利一族、名門大名家の子孫、公家出身者が主で、高家とは「名門」の意味という説が専らですが、足利高(尊)氏の「高」から来てるという説もあったりしてww

2013-11-12 10:35:10
Randy Hickey @randy_TSK

「朝廷にも馴染みの深い足利一族を顎で使う徳川将軍家」という権威付け、名門の出ですから宮中の有職故実に詳しいという実利、今流行の家柄「偽装」で源氏を詐称した権現様の罪滅ぼしか、吉良家も足利一族では名門ですww

2013-11-12 10:38:18
Randy Hickey @randy_TSK

予断ながら、先程「表高家」、「奥高家」と申しましたが、実は幕府の役職やら通称には「表XX」、「奥XX」と称されるものが多くあります。e.g. 表祐筆、奥祐筆、表坊主、奥坊主、表絵師、奥絵師、表医師、奥医師、表大名(奥大名という対語はありませんw)  続く

2013-11-12 10:43:14
Randy Hickey @randy_TSK

表XXは江戸城「表」勤務、「奥XX」は中奥勤務の意味ですが、表とは江戸城で言うと玄関から入り黒書院に至るまでの儀礼空間と付随する大名家詰め席等を指し、毎月定例の登城日(月並登城)にしか登城しない役職の無い大名を、表(儀礼)空間にしか現れないので「表大名」と通称で呼ぶ事もあります。

2013-11-12 10:51:08
Randy Hickey @randy_TSK

表高家も同じで、高家としての役職に就いていない旗本が、定例登城日に江戸城表の詰め間(雁の間)に登城するだけなので「表高家」と通称された訳です。浅野内匠頭も臨時の「勅使御馳走役」を受けたものの通常は江戸城にお役は有りませんから表大名です。

2013-11-12 10:57:02
Randy Hickey @randy_TSK

ざっくりと纏めてしまうと権威や重要度等で概ね「表XX<<奥XX」になります(坊主衆除外ww) 

2013-11-12 10:58:25
Randy Hickey @randy_TSK

狩野派に支配された幕府御用絵師は明確に奥絵師>表絵師と序列化されていましたし、祐筆に関しては表祐筆はその名の通り将軍家が代替わりの時に大名や旗本に渡す領地安堵の朱印状の代筆等儀礼的な書記でしたが、奥祐筆は中奥の老中執務室傍に詰め間が有り、幕閣のブレーンとして立法行政に関与しました

2013-11-12 11:03:35
Randy Hickey @randy_TSK

(;´Д`)更に余談なんだけど説明しとかないと気持ち悪いので書いちゃうと、将軍家が代替わりする度に大名には領地安堵の書状が出るんですけど、十万石以下が朱印状ではんこで済まし、十万石以上(門跡寺院や一部堂上公家)には「領地判物」と言って将軍家花押付きの書類が出ますww 

2013-11-12 11:19:39
Randy Hickey @randy_TSK

(;´Д`)随分遠回りしてしまいましたがww 「高家」とは旗本でありますから身代としては万石以下な訳で、お大名より格下な気がしてしまうのではありますが、城中では石高よりも「官位・官職」が物を言う部分もありまして中々複雑であったそうです。 

2013-11-12 11:25:46
Randy Hickey @randy_TSK

何度も書いていますが、大名は家督を継ぐと自動的に官位付いてきます(e.e.浅野内匠頭の場合、位階=従五位下、官職=内匠頭)、が旗本は「役職に就」かないと官位は貰えません。(実際は買うんですがw) 役職によっても官位が異なりますが、高家はずば抜けて高い設定になっていますw

2013-11-12 11:29:32
Randy Hickey @randy_TSK

高家職に就きますと、自動的に「従五位下」の位階に「侍従」という官職が付きます。幕府の武家官位では、諸大夫(従五位下、XX守)→四品(しほんと読む:従四位下)→侍従→少将→中将→従三位参議(宰相)(外様では加賀家だけに許される極官)という形で序列化されており、(続く

2013-11-12 11:38:33
Randy Hickey @randy_TSK

侍従は国持大名級の官職で、幕府役職者で侍従を貰えるのは老中クラスで、しかも五位で貰えるのは高家職だけです。 松の廊下の刃傷のシーンで、内匠頭と吉良上野の衣装が違うのは身分から来るドレスコードの違いな訳ですね。(烏帽子大紋=諸大夫の礼服、直垂=侍従以上の礼服)

2013-11-12 11:41:33
Randy Hickey @randy_TSK

吉良は従四位上左近衛権少将なので、殿中序列で見た時は平大名の浅野内匠から見たら三階級も上の方になる訳です。吉良の奥様が上杉家から来ているのも、家格のバランス感覚としては釣り合っていた訳ですね。 高家の官位が高いのは朝廷に対するリエゾン・オフィサーとして押し出しを効かせる為とか。

2013-11-12 11:46:36
Randy Hickey @randy_TSK

テレビでは松の廊下で浅野内匠に「鮒じゃ、鮒じゃ、井戸の中の鮒大名ぢゃ」と詰るシーンでは概ね狩衣を着てるケースが多いんですが、考証的には直垂が正しいww

2013-11-12 11:49:40
Randy Hickey @randy_TSK

高々四千石で数十万石の国持大名とお付き合いしたりするのは中々物入りであったであろうと想像できますが、妻の実家で子供が養子に入った上杉15万石にやたらと無心したので上杉家から厄介扱いされた事、大名家に呼ばれたりして良い掛け軸を見つけて強請ったとか、その手の評判が多いのは事実でww

2013-11-12 11:54:31
Randy Hickey @randy_TSK

江戸時代は、上役への贈り物や付け届けに「現金」を送るのもこれまた当然の礼儀だった(勿論金額に相場があります。)事もあり、もし内匠頭が贈り物を渋った。という都市伝説が事実であったなら吉良が「世間知らず」と思っても致し方ないとは思いますww 

2013-11-12 11:58:00
Randy Hickey @randy_TSK

そうそう、吉良の倅は嫁の実家に養子に入り上杉家当主となって、その息子(上野介から見たら孫)を逆に養子に貰って吉良家の跡取りにしていたってのも知られてなかったりするんですが、この養子左兵衛は気の毒な人でしたねえ。

2013-11-12 12:00:20
Randy Hickey @randy_TSK

播州赤穂浅野家トリビアとしては、内匠頭のおじいさんが常陸笠間から転封した時に幕府に築城許可を出して珍しく許可された三代将軍時代の新しいお城。これは自慢だったみたいね、浅野家の。

2013-11-12 12:07:28
Randy Hickey @randy_TSK

|3・)そうそう、高家筆頭っていう役職はなくて、正しくは「高家肝煎」。当時9人いた高家肝煎の中で、唯一「少将」の位に居た吉良の尊称として伝わったというのが正しいらしい。

2013-11-12 12:21:03
Randy Hickey @randy_TSK

|3・)ちょと時間が空いたので、江戸薀蓄番外編というか基礎編で江戸幕府の官位制度についてお浚いしときます。江戸幕府の官位制度と大上段からのものいいになりますが、勿論基本は朝廷の官位制度を武家のそれだけ員数外にして朝廷への斡旋を幕府が一括集中管理するというのが大前提です。

2013-11-12 14:22:19
Randy Hickey @randy_TSK

朝廷の官位制度は、そもそも聖徳太子の冠位十二階まで遡る訳ですが、これは大豪族をそのシステムに組み入れる事に失敗して意味をなさず、その後大宝律令で位階三十階、夫々正、従(大、少)で合計六十階等、親王や諸王までシステムに組み込んだものですが、徳川幕府が朝廷へ奏請したのは従五位下から。

2013-11-12 14:29:18
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