芝村裕吏(@siva_yuri)氏の語る「判子兵」と日本陸軍の補給軽視
@siva_yuri 先日相方さんに、私の曽祖父が戦争でハンコ兵と呼ばれてる役職?で働いてたと言ったら偉く興奮してました。そんなに珍しいものなのでしょうか?
2010-10-13 23:22:46さて、まずは はんこ兵、ですか。 班番? 漢字を見てみないと、にわかに分らない/思い出せませんね・・・ 旧陸軍の兵科、役職は大抵覚えてるつもりですが、まあ、なまったりすると分らないことがよくあります(すみません)
2010-10-14 00:11:36@siva_yuri 私も曽祖父から「おじいちゃんハンコ兵で働いててん」としか聞いてなかったので…部隊でハンコ彫ってたくらいしか分からないんです;
2010-10-14 00:13:06なんと、まさかの判子兵。 それはまず、正式な役職ではないですね。ただ、 専門知識をもったひとが陸軍に徴兵されたあと、現地の要望や状況で生来の知識や技術を生かして活躍することはあります。
2010-10-14 00:15:35軍隊という物は巨大な行政組織でもあり、同時に役所でもあります。 また、占領地域での統治責任も生じたりします。 その上で(お役所の常で)判子などは割といりようで、そのへんでご活躍されたのかもしれませんね。
2010-10-14 00:17:31@siva_yuri 最初は普通の兵士として徴兵されたらしいんですが、小柄で銃を肩にかけたら銃床が地面についちゃって、それでお前はハンコ兵になれって言われたらしいです
2010-10-14 00:22:40現地部隊で上官の判断で回せる部署だと経理部ですね。 なるほど。それだけでお話一個つくれそうですね。ついでに血筋も感じられて面白い。
2010-10-14 00:27:47@siva_yuri かなりのひいおじいちゃんっこだったので、かなり影響されてると思いますw小さい頃はずっと五目並べの相手してもらってました(笑
2010-10-14 00:30:26日本という国は、陸軍においては、極端な補給軽視でした。 これはまあ、そこに回される人材の質からはじまったことでして、有能な補給関係者が、極端に少なく、また軍の中央にいなかったんです。
2010-10-14 00:32:07で、補給軽視の結果はまあ、最終的には日本の敗北に繋がるのですが、その結果の一つとして、 あれがない、これがない、というのが、よくありました。
2010-10-14 00:36:36特に占領地で腰をすえることになっちゃったりすると大変な事になりました。まあ、内地の判子屋にいきたくてもいけないという意味で、です。 そうなると自給自足とか、現地で手に入れるとかの必要がありました。
2010-10-14 00:42:48日本と中国が戦うのが長期化するにつれ、現地協力の重要性は強く叫ばれ、素行の悪い日本兵への罰や監視も、相応に厳しくなっていました。そんな中で印鑑が中国風じゃ困るというのは、日本のお役所としてはありそうですね。
2010-10-14 00:44:21で。結局自作。と。まあ、陸軍の悲哀がすけて見えそうですね。 戻ってこられて判子屋はじめたのは、大きな不幸の中の、心休まるいい話だったと思いますよ。
2010-10-14 00:49:33@siva_yuri 何やら日展とかいう大きな作品展にも入選した事があるらしく、毎年京都市の美術館から判子彫ってーと依頼が来てたようです。本人は楽しそうにしてたので、幸せだったと思いますw
2010-10-14 00:52:21