伊東乾先生@itokensteinの「何か問われたとき、いかにもな模範解答を言うというのは、寧ろ恥ずかしいことだと知らねばならない。」

というのは多くのそうしたものは、結局孫引きに過ぎないのだから。含羞をもって「一応こういうことにはなっていますが」と標準を押さえた所が0地点。そこから先にオリジナルの1歩目が始まるのだから 特に東大生などに少なくないのだけれど「あれって要するに××じゃん」とか言うのがかっこいいと思っている嫌いがある感じ。これだめです。というのは将来伸びない。伸びる奴というのは、誰もが見逃すような細部から驚くような豊かな内容をつむぎだす底力のある人。 by 伊東乾
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Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

Ph.D Prof. Komponist-Dirigent / Raummusik Kollegium Berlin. Habe viele Interesse an der Wissenschaft und am Mitleben dadurch.

伊東 乾(いとう けん)ITO, Ken
東京大学大学院 情報学環・学際情報学府
准教授 学環所属(基幹・流動教員)
http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/professor.php?id=379

伊東 乾(いとう けん、1965年1月27日)は日本の作曲家、指揮者、作家。東京都中野区生まれ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/伊東乾_(作曲家)
 
 

Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

日曜日は超特急で台北だったのですが、考えさせられたのは食のこと。安く量産品でないものが町にしっかりあふれている。屋台とかね。ターミー麺なんて最高にうまかったけれど一杯35元=115円程度、青菜と魚とつけて125元だから375円。まだ人間が生きてゆく環境が残っているって強い印象。

2013-11-19 19:46:50
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

それと、セブンイレブンとかファミリーマートとかいっぱいあるのだけれど、日本国内と同じような格好をした店が日本より少し高級な社会的扱いみたいに見えた。アメリカでどうでもよいスターバックスが日本で高級そうに見えるのと似た感じかな?でもセブンで売ってる高めの惣菜より屋台の方が百万倍旨い

2013-11-19 19:48:32
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

台北某所、セブンのまん前に点心を売ってる屋台のおばさんがいて、目が合ってしまったのでご祝儀代わりにしょうろんぽうと餃子っぽいのとニラ饅頭みたいなのと「ひとつずつ」と頼んでみたら直径10センチのニラ饅はさすがに1個だったけどあとは6,7個どさーっと袋に入れてくれて百元(300円)。

2013-11-19 21:05:34
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

一方セブンでコーヒーとか買うと、変にあまったるいコーヒー牛乳みたいのがいっぱしの値段取るんですね60元とか。つまり180円。いやぁ僕は屋台のほうがいいなぁ。そういう露店があらゆる辻辻にいくつも立っている。福岡とかではまだ見る気がするけれど、都心では久しく見なくなった光景な気がした

2013-11-19 21:07:20
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

つまり思うんですが、第一次産業の産品って実は値はあるけれど値がない面がありますよね、種まいたり漁にでたりすると獲れてくる。それをどういうコストにするか、ってのは人間さまの社会の都合。ここで、あんまり貨幣の側に偏った社会ってどうなのかな、もっとお天道様に近い方が幸せでは?とか思った

2013-11-19 21:10:17
CLEMENTINVS @Strider_11

@itokenstein 日本でも田舎、特にその土地土地の産品があるところでは、信じがたいほど旨い魚や野菜が都会では考えられない値段で売っている事例をよく見る気がします。社会、よりは、近いかどうか、のほうが大きなファクターのような印象を持っています。

2013-11-19 21:14:02
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

.@Strider_11 当然その側面は大きいとおもうんですが、僕が感じたのは固定費の差がある気がしました。たとえば漁に出るのにエンジンで軽油が必要だとその価格を食いますよね? 路地でねぎやニラを植えるとしたらどういう固定費?台湾の牡蠣は安くて旨かったけどどういう固定費?とか

2013-11-20 11:10:32
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

よしあし両面と思うけれど、台湾では「生」なものを町でたくさん見かけた。日本では食品衛生的に見かけなさそうな、手でこねてそのまま調理の演示とか、これも議論があると思うけれど、障害者が路上で金品を求める状況とか。さまざまな面にまだ日本ほど「手がついていない」印象、食べ物から福祉まで。

2013-11-20 11:13:36
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

例えば子供に読書の感想文を書かせると、何気ない一行から驚くほど深いものを感じたりする所に驚くし、そういうものを高く評価する訳(子供は小学生から大学院生まで含め)翻ってネットでもテレビでもそこそこ表現があるものから恐ろしく何一つ読み取れないものが寧ろ大勢を占めかねない。怖い事と思う

2013-11-20 11:16:34
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

特に東大生などに少なくないのだけれど「あれって要するに××じゃん」とか言うのがかっこいいと思っている嫌いがある感じ。これだめです。というのは将来伸びない。伸びる奴というのは、誰もが見逃すような細部から驚くような豊かな内容をつむぎだす底力のある人。蓮実重彦でも松浦寿輝でも皆んなそう

2013-11-20 11:18:25
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

音楽も同じで、音符というのは同じように並んでいるけれど、そこからどういう細部を鋭敏に聞き取って、それを表現にするか。その驚きですよね。本人も驚きながら作ってゆく。才能などという言葉でブラックボックスに奉らず神が宿る細部にセンシティブであるのが大事。今のトリスタンなどまさに典型的。

2013-11-20 11:20:27
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

何か問われたとき、いかにもな模範解答を言うというのは、寧ろ恥ずかしいことだと知らねばならない。というのは多くのそうしたものは、結局孫引きに過ぎないのだから。含羞をもって「一応こういうことにはなっていますが」と標準を押さえた所が0地点。そこから先にオリジナルの1歩目が始まるのだから

2013-11-20 11:21:52
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

子供の頃「ものしり」とは鈍感の言い換え、くらいに思って恥じよ、と教えられた。もちろん普通のことは一通り全部努力する。で分かった上で知ったことについては穏やかに黙っている。寧ろその場その瞬間に感じられない事をがあればそれを恥じよとも教えられた。松村禎三の俳句に準拠した作曲のレッスン

2013-11-20 11:24:22
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

特に「物の本で読んだだけのことを知ったかぶりで話すくらい恥ずかしいことはない」という松村の教えは僕の人生全般に大きく影響していると思う。物の本に目を通しておくなんてのはあたりまえ。で読んだだけの浅い知識を振り回すのは愚かしいし、それを誇るなんてことはもう、論外の外。京都人と思う。

2013-11-20 11:26:04
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

ともかく「恥ずかしい」「恥じる」「恥知らず」と羞恥心をくすぐる内容でジリジリやられたので、高校生の僕には松村のレッスンはまさに拷問だった。「だれそれさんの新作を聴いて感心した」なんていうと「××なんて恥ずかしい鈍感な音を平気でたくさん書く奴、耳が悪い」とか言いたい放題でした^^;

2013-11-20 11:28:21
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

高校生というか思春期というのは、いろいろ多感、本当に感じやすいし、羞恥心というのも一番高まっている時期だと思います。逆におっさんおばさんになると羞恥心は鈍磨しますね^^; そういう子供を捕まえて恥ずかしい恥ずかしいとやるのだから松村のレッスンはまさにハラスメントみたいだったけれど

2013-11-20 11:29:40
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

これ、反射神経を養うのには一番近道だと思うんですね。「ほらまた、そんな音をだして恥ずかしい!」とやられると、10台だと身につく。僕が何ほどかソルフェージュを身に着けて芸大などでも教えさせていただく大半は「羞恥心」で身についたもので、恥ずかしくてそんなのやってられないでしょ、の内容

2013-11-20 11:31:26
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

今の受験勉強の類、僕はがり勉が必要な人には大事な経験でもあるという考え方の人間ですが(というのは人生には修羅場というのが時折くる訳で、それに免疫をもっていたほうがよいとおもうので)かけている一つに「羞恥心」があると思う。含羞をもって事にあたるセンシティヴな感覚が受験秀才全般に希薄

2013-11-20 11:33:15
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

高校時代、自分の一音符一音符というのは、まさにそれが自分の存在そのもので、否定されるというのは自分の全人格人生を否定されるようなものでもあって、あらゆる細部について何か不足があれば恥ずかしくて反射的に飛び上がってしまう、そういう完全主義を叩き込まれたのはかなり影響あったと思います

2013-11-20 11:35:41
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

やはり高校時代、明治32(1899)年生まれの英語の先生(横井徳治先生)からunderstatementということを教えて頂きこれと松村の「含羞」と自分の中で一緒になっている。横井先生は「義憤というのは恥ずかしい事」とも教えて下さった先生。法螺を吹いて出来ないと恥ずかしいでしょ?

2013-11-20 11:38:46
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

ところが逆に僕自身が、20代からその種の事を言われることが結構ありました。つまり、天下の大問題みたいなものに正面から取り組む話をすると、法螺のようであると。ところが人前でそれを話す前には5年とか10年とか準備があって、けっこう勝算が見えてからしか発言はしない訳です。恥じらいます。

2013-11-20 11:40:36
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

無論、時期時期に必要なことは段階を重ねて行きます。例えばいま上演しているトリスタンには2年前にバイロイトでやったこと、3年前にブエノスアイレスでやったこと、みんな積み重なっているし、その頃の本や録音もあり、2年後3年後の計画もあります。概してそうは理解されていない様ですが^^;

2013-11-20 11:43:13