1990-2010年を1919-39年の「危機の二十年」に対比させることは可能なのだろうか、と、fj197099さんはつぶやく

どちらの時代も深刻な金融危機を経験し、近隣窮乏化政策等の経済のブロック化の弊害に直面。E.H.カー『危機の二十年』を踏まえた歴史的な対比。
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fj197099 @fj197099

まだはっきりと考えがまとまっている訳ではないが、1990-2010年を1919-39年の「危機の二十年」に対比させることは可能なのだろうか。実は二つの時代には似通っているところが多いように思うのだ。この類推がうまくゆくとすると、未来は決して明るくないという結論が導かれるのだが…。

2010-10-13 21:24:03
fj197099 @fj197099

どちらの時代もそれまでの対立の終結から出発している。1919年は第一次大戦の終結の結果としてヴェルサイユ会議が開かれた年、1990年は冷戦終結の結果としてドイツ統一(と東西の宥和)が図られた年だ。どちらの20年も対立の終結から新しい平和な時代への希望から出発している。

2010-10-13 21:26:39
fj197099 @fj197099

どちらの時代も対立の終結の結果として集団安全保障の強化が図られている。1919年には国際連盟が創設され、新たな集団安全保障の取組みがスタートした。1990年には湾岸危機を契機に長い間機能不全だった国連安保理の集団安全保障システムが機能し始めた。湾岸戦争がそれである。

2010-10-13 21:29:03
fj197099 @fj197099

どちらの時代も軍備管理面における多国間協力への期待が高まりを見せた。第一次大戦と第二次大戦の「戦間期」にはワシントンやロンドンの軍縮条約が結ばれ、パリ不戦協定などの取組みが為された。冷戦後には同じく核軍縮や核不拡散などの取組みが為され、通常兵器やミサイル等でも協力が行われている。

2010-10-13 21:32:54
fj197099 @fj197099

どちらの時代も多国間主義はやがて単独主義に取って代わられた。戦間期には1931年の満州事変に始まって伊のアビシニア侵攻、独のラインラント進駐等があったが国際連盟は満足に対応できなかった。冷戦後は米国のイラク戦争、ロシアのグルジア侵攻等に対して国際連合が満足に対応できていない。

2010-10-13 21:35:46
fj197099 @fj197099

どちらの時代も深刻な金融危機を経験し、近隣窮乏化政策等の経済のブロック化の弊害に直面している(しつつある)。戦間期には大恐慌の影響があり、第二次大戦の遠因ともなった。現代では世界金融危機の影響で国際経済政策(特に為替面)における協調が満足に機能しなくなっている。円高はその一例だ。

2010-10-13 21:39:18
fj197099 @fj197099

そしてどちらの時代も時間が経つにつれて国際機関等での発言力と国家のパワーの間に乖離が生じ、「現状」を構成する秩序に対する「不満足」国家=現状変革国家の台頭が目立つようになっている。戦間期のそうした国家の代表例はドイツと日本であったが、現代のそうした国家の代表例はロシアと中国だ。

2010-10-13 21:41:32
fj197099 @fj197099

共通点はここまで。後は類推が妥当なのかどうかだ。戦間期の場合、蓄積された国際システムの矛盾は最終的には大国間戦争という形で解消されざるを得なかった。現代でも「不満足」国家による国際秩序への挑戦は観察できるが(中国の拡張姿勢はその例)、問題は矛盾が平和裏に解消できるかどうかだ。

2010-10-13 21:45:08
fj197099 @fj197099

過去と現代では大国間戦争を抑止する核兵器の存在がある、グローバル化=相互依存のレベルが違う、国際社会の制度化が進んでいる、等の数多くの相違点もある。だから矛盾の蓄積は結局は大国間戦争に至るとする決定論に組するつもりはない。しかし戦間期との共通点を無視するつもりもないのだ。

2010-10-13 21:47:33
fj197099 @fj197099

E.H.カーが『危機の二十年』で主張したのはユートピアニズムに溺れリアリズムを軽視する事の過ちであった。「油断」こそ同書の中心的主題だ。「平和」とは景気のバブルのようなものだ。その最中にいる人間には危険性が分からない。現代が「危機の二十年」ではないという保証がどこにあるだろうか。

2010-10-13 21:52:25