茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1105回「ゲームと、人生」
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げじ(1)昨日、Facebookの知り合いのページに、ドラクエの画像がアップされていたから、「なんじゃこりゃー!」と思っていたら、ニュースで、どうやらスマホ向けにドラクエのアプリが公開されていて、しかも、1〜8まで、次々と移植されるらしい、という話になっている。
2013-11-30 07:13:21げじ(2)それを聞いて、「やべえ!」と思った。さっそくダウンロードして、やってみたい、と思っている自分がいる。しかし、今は、人生において、そういうフェイズではないので、おそらく、実際にゲームをダウンロードしてやる、という展開にはならないのではないか(と思っている)。
2013-11-30 07:14:24げじ(3)教育ママなどには評判の悪いゲームであるが、私はひととおりはやっていて、ドラクエもそうだけど、ゼルダもずいぶんやった。これは、脳科学的に言えば、つまり何が起こるかわからないという「偶有性」に惹きつけられているのであり、ゲームにはまるのはドーパミン系の作用である。
2013-11-30 07:16:37げじ(4)ゲームというのは一つの文化であり、モンスターの設定やダンジョンの設計など、非常に高度なクリエーション。だから、クリエーターの人たちは間違いなくgood jobなのであって、そのような「文化遺産」が、スマホに移植されてプレイされ続けるのは、良いことだと言えるだろう。
2013-11-30 07:17:35げじ(5)一方、こんなことも考える。人生そのものが、つまりはゲームなのではないか。今の私の心境は、どうせはまるのなら人生というゲームにはまりたいと思う。ところが、人生がゲームになるためには、いくつか自分の方から仕掛けなければならないことがある。例えば、ターゲットの設定。
2013-11-30 07:18:26げじ(6)無自覚に生きていれば、人生にはターゲットがないのであって、恣意的であっても、ターゲットを設定して初めて構造ができる。入試はトリビアルな例だが、日常の中で、目的と努力、遂行ないしは失敗という構造が入らなければ、人生をゲームのように生きることはできない。
2013-11-30 07:19:26げじ(7)ドラクエのようなゲームをプレイすることで、目標の設定と遂行という一連の認知行動プロセスについての学習ができる、という効果はあると思う。つまり、ドラクエは人生の「教習所」という点はあると思う。現実よりもはるかに濃密な、そして想像力のはばたく空間で、「それが」ができる。
2013-11-30 07:20:37げじ(8)その一方で、RPGをやり過ぎると、人生を棚上げしていることにもなりかねない。このさじ加減が難しい。私自身は、今はRPGをやるフェーズじゃないような気がする。実人生の中で、やりたいこと、やるべきことがあるように思う。でも、かつてはRPGお世話になったけどね。
2013-11-30 07:21:42げじ(9)今の私の感覚としては、アングリーバードや、ドッツのように、隙間時間にちょこっとやって止められるゲームならばやる余地があるけど、ドラクエのように長時間はまるゲームはちょっとできない印象。しかし、はまる人はおそらく幸せな時間を過ごすので、ぜひそのフェーズ、楽しんでください!
2013-11-30 07:23:00