
131201東大特別シンポジウム「これからの建築理論」
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makawakami
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豊川さん、柄沢さんとの今日のお話は、そういうことも含めて、実に多岐にわたる意見交換ができて、とても刺激的で示唆的でした。どうもお疲れ様でした。豊川さんによれば、12月に入ったので、これは忘年会だったと。さっそく良いお年を、なんて言われましたw
2013-12-01 23:54:30
こうして、議論できるところが、建築界の面白いところだ。いわゆる老人という世代に若者が話を聞くために長蛇の列をつくるというところに、希望を感じずにはいられないよ。
2013-12-01 23:58:09
それにしても、あのお三方はよく勉強しておられる。企業人の特にバブル世代の、今の社会を担う人達は、単に勉強が足りないんじゃないか。ユダヤから宇宙からオリンピックのあり方から。うちの会社のおっさん達なんて、アーキテクチャーレビューを、手に取ったことすらないんじゃないか。
2013-12-02 00:02:39
そういうわけで。私ももっと勉強せんといかんと猛反省。松田達さんが見事にまとめられてるのは、予備知識をちゃんとお持ちだからだものね。
2013-12-02 00:04:19
ところで東大シンポでの新国立に関する議論の下り、槇先生の「忘れられるようなものではない」という言葉は、実況では「プロセスが不明なまま計画が決まったこと」が主語だと解釈されてましたが、僕には「あの場所の歴史的経緯は忘れられるようなものではない」と仰っているように聞こえました。
2013-12-02 01:18:26
だとすれば、新国立に関する議論は「(土地価格等に)情報化され、場所性を失いつつある都市」へのアプローチに、多様な観点を回復させることに重きが置かれるべきはずのものですが、現状では、むしろ建築界は一つの観点に染まりすぎていて、非常に居心地の悪いものを感じています。
2013-12-02 01:20:24
それはすべて巨匠の言葉を神託か何かのように聞く態度に起因していると思うのですが、今日もそんな雰囲気に包まれていた会場に対して、巨匠から「自分でしっかり考えろ」とのメッセージが発せられたことが、やはり最大の成果だったのではないかと改めて。
2013-12-02 01:21:17
東大シンポ「これからの建築理論」。後は自分たちで考えろ、という方向性は、当然のことでは。まとめや結論を期待するようなシンポジウムではなく、受け取って発展させるべき様々な言葉が発せられた会だった。個人的には槇さん、磯崎さん、原さんのお互いの距離感を、肌で感じられたことが大きかった。
2013-12-02 01:30:01
にも関わらず、この御三方から発せられる言葉の一つ一つ、どれもが同じ時代に生きていたとしても、決して到達できないような知性と重さを持った言葉の数々だった。いま聞けばある程度理解できるとしても、言葉も聞くのは簡単、つくるのは難しいのだから。だから、僕は巨匠たちからの挑発を感じました。
2013-12-02 01:39:04
あらためて御三方への敬意を感じつつ、一方で、完全にお話を聞く側に徹していた隈さんの、絶妙な司会もまた素晴らしかった。距離のあるはずの話を一気にまとめ、バランスよく関係者それぞれに話を振りつつ、時間の都合で時々巨匠の話もカットして次に回す。とにかく今日は先達から学ぶことが多かった。
2013-12-02 01:49:58
隈さんのいいとこは、ミーハーなとこだと思うんだ。企画がさ、ミーハーじゃない?AAのディレクター連れて来たり、御三家呼んだりね。ミーハーなのって重要なんだよ、組織が繁栄するためには。これからの東大は結構面白くなると思うな。うちの会社もミーハーな私が偉くなったら繁栄するよ笑。
2013-12-02 07:28:03
昨日の東大のシンポは、槇・磯崎・原なきあとの世界をどう生きるかという問いを突きつける場だったとあらためて思った。建築の勉強はこの3人の言葉を追いかけることだった世代特有の感想かもしれないけど。
2013-12-02 09:45:53
理論て体系化とか一般化とか、一見複雑で難解なものに対して法則性を見出したり、主要な要素を抽出し操作可能にすること、つまり複雑性を低減して再現可能にするためのものだと思っているんだけど、いわゆる建築理論とはどういうものなんだろう。社会一般に広く通用、理解され得るものなんだろうか。
2013-12-02 10:00:58
建築は工学の中では極めて再検証が薄い学問だと思っている。光や空気の運動を理論化したものとは別に、どういう空間をつくったら人がどう反応するか、それぞれ検証出来ていないとすると、それは理論とは程遠く延々と仮説を積み上げたものでしかないような。
2013-12-02 10:06:18
なにをもって理論とするのか定義、共有されないと、理論やろうぜ!で、みんな違うことをイメージしていて、導入部分で堂々巡りみたいなことになりはしないか。
2013-12-02 10:16:08
建築論は建築家がやるもんで、建築批評は建築史家がやるもんとまぁ歴史的に見たらそうなってるという話が出ていましたね。要は前者はある種のドクサ(臆見)を孕むもんだしその限りで思い込みで構わないけど、しかし現実に建築と引き比べることが出来る。
2013-12-02 11:07:02
これに対し後者は歴史の潜在的一貫性やそこから外れる差異を際立たせながら、歴史的規則性と対照しつつ自律的な一貫性を提示するんだということですね。個別の建築は論理的妥当性だけで定まるものではないけど、その中に一定の評価の一般性を確保するためにはこうなるのが当然ということ。
2013-12-02 11:08:42
それでそういう当然が今成り立たないという状況はあって、というかそもそも僕みたいに歴史に首突っ込むようなことを言うおかしなやつが出てきて、スイマセンですハイ、っていうか。
2013-12-02 11:09:55
昨日の東大の「これからの建築理論:槇文彦×磯崎新×原広司」は、僕は面白いと思った。冒頭、小渕さんの東大はこれから「つくることで考える+言葉で考える=建築」という図式で行く的な話が前提としてあり、その景気づけがこの大先生3名を招いての座談会という位置づけ。今後が楽しみ。
2013-12-02 13:03:38
槇さん磯崎さん原さんの建築理論についての見識は各人の問題提起の中で明確であったし、原さんはあえて磯崎さんに突っ込んでやる気を見せていた。にもかかわらず、その先は話が掘り下げられていかなかった印象。建築理論云々というならば、その孵化器としてのこの座談会の意義を深慮して欲しかった。
2013-12-02 13:10:25