『朝日新聞』2013年12月3日朝刊(記者有論)について
- karitoshi2011
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0 『朝日新聞』2013年12月3日(記者有論)安定ヨウ素剤 服用判断、現場に委ねて 麻田真衣(水戸総局) http://t.co/pKALRbTJv7 この記事は『プロメテウスの罠』第38部「医師、前線へ」を取材、執筆した記者による。 以下、紹介し、感想等を付し、まとめる。
2013-12-03 19:36:451 連載「プロメテウスの罠(わな)」の取材で、原発事故直後、安定ヨウ素剤を服用させるべきかどうか、判断にかかわった医療関係者を訪ね歩いた。 ヨウ素剤は甲状腺がんを防ぐ効果がある。だが、実際に服用できたのは、一部の住民だけだった。
2013-12-03 19:37:172 避難住民にヨウ素剤を配布した福島県薬剤師会長の桜井英夫さん(73)は、当時を苦しげな表情で振り返った。
2013-12-03 19:37:553 震災翌日の2011年3月12日午後、桜井さんが営む川俣町の薬局に、双葉町職員の看護師と保健師が訪れた。避難してきた双葉町民への配布を依頼するためだった。
2013-12-03 19:38:235しかし国や県はヨウ素剤の服用を指示しなかった。専門家はまれに吐き気が出るなどの副作用を強調し、配布の動きを止めようとした。新聞やテレビでもそうした専門家の言葉が流れ、配布を非難する「空気」が出来上がった。桜井さんは「ずっと犯罪者になったような気持ちで過ごしていました」と明かした
2013-12-03 19:39:337-1 被曝(ひばく)患者の受け入れの準備を進めていた福島県立医大は、配布の詳細な計画を決めながら実行しなかった。
2013-12-03 19:40:307-2 震災1週間後、助言のため同大を訪れた山下俊一・長崎大教授が、SPEEDI(放射能拡散予測システム)の計算図など、判断に必要な情報が乏しい中、「不必要」と述べたことが影響したのだった。
2013-12-03 19:41:008 現在、多くの自治体で原子力事故時のマニュアルが見直されている。この教訓を今後にどう生かすべきか。
2013-12-03 19:41:269 取材した中で感じたのは、事故直後、国や都道府県に必要な情報が集まらないおそれがある中、現場の人が判断に加わる仕組み、もっといえば現場に判断を委ねる仕組みをつくる必要性だ。
2013-12-03 19:41:4910-1 難しい面もあるだろう。だが、「現場力」を上げることはできる。電力会社には事故のリスク情報を徹底的に開示させ、自治体職員や実際の配布に立ち会う医師や薬剤師らに、より実践的な事故訓練を行う。
2013-12-03 19:42:1810-2 そこで、ヨウ素剤の備蓄法、服用指示の仕方や服用場所を検討してもらう。そのうえで、裁量幅の拡大を考えてはどうだろうか。
2013-12-03 19:43:0011 桜井さんは今も40歳以下の町民分のヨウ素剤をシロップ状にし、薬局に備蓄している。再び配るべき時が来たら迷わず配布するつもりだ。 (以上 紹介終り 以下、感想等)
2013-12-03 19:43:4812 まずは補足。 福島県薬剤師会会長桜井さんが薬局を営んでいる川俣町は、浪江町から国道114号を西に進んで、福島市に至る途中の町である。 川俣町の山木屋地区は、飯舘村などと同時に計画的避難区域に指定され、住民は全員避難した。私の記憶では、避難は飯舘村よりも早く、徹底していた。
2013-12-03 19:47:0613 補足続。 川俣町の山木屋地区以外は、国による避難指示を結局受けていない。町の中心部は、原発事故発生前と同じに生活している。 川俣町は日本のフォルクローレ(南米音楽)の聖地と言われ、年に一度「コスキン・エン・ハポン」というイベントが開催されている。
2013-12-03 19:51:4114 補足続。 川俣町の主な産業は、農業。 シャモの飼育をブランド化し、「川俣シャモ」として売り出し、東京の有名店等にも継続して納入している。 竹串での焼き鳥世界一を、山口県の自治体と競ってきた。(これ以上長い竹が見つからないので、現在は金属串に変更して、ギネスを目指している)
2013-12-03 19:55:1915 補足続。 特産品としては、大豆を使った納豆や豆腐もあった。1丁400円以上する豆腐も国道114号沿いの道の駅で売っていた。(現在は確認してください)
2013-12-03 19:57:3016 補足続。 計画的避難区域に指定された山木屋地区は、標高が高く冬は気温も下がるので、一部の田をスケートリンクにしていた。「リンク」の横にはプレハブのクラブハウスがあり、営業開始は毎年地方のニュースになった。
2013-12-03 20:04:5817 補足続 川俣町山木屋地区と言えば、牧畜や酪農が盛んな地域でもあった。 浪江町津島地区との境界付近にあった「山木屋グリーン牧場」は、国道114号に面して、駐車場や売店兼休憩所が整備されていた。売店では、自社製のチーズ、バター、アイス、フローズンヨーグルトなどが販売されていた。
2013-12-03 20:14:4318 補足続。 少々、感傷に傾くのを承知で書かせてもらうが、「山木屋グリーン牧場」は、私が勤務先の双葉高校から実家の伊達市への往復の際や、結婚後子どもをつれて妻の実家に向かう時の休憩所として、様々な思い出がある場所だ。 売店外のウッドデッキ。売店下の池。周りの牛や山羊、ウサギ。
2013-12-03 20:17:5719 補足続。 川俣町山木屋地区は、本来ならば、浪江町津島地区や飯舘村と同様、複雑な事情を持った被災地としてもっと注目・言及されてしかるべき場所だと、私は考えている。
2013-12-03 20:22:0120 感想・考察等に入る。 川俣町が、原発事故の被害を積極的に訴えることは最初から難しかった。行政上「中通り」に入るなかで「計画的避難区域」に指定されたのは、田村市都路町と、川俣町山木屋地区だけ。「福島市や郡山市がある中通りは問題ない」という宣伝の下では、複雑な状況に置かれた。
2013-12-03 20:28:2421 川俣町には、2011年3月12日には、町のキャパシティを上回る避難者を受け入れ始めることになった。町役場も住民も、避難民を温かく迎えようと奔走していた。原発事故の影響が自らの町の中心部にまで及ぶことを想定していた住民はごくごく一部だった。
2013-12-03 20:31:0222 川俣町は、公共施設や事業所に、2011年3月11日から始まる大地震で、大きなダメージを受けていた。町の体育館は窓ガラスが割れて避難所には使えなかった。自動車部品工場など、大規模な施設を抱える製造業者は、施設の損傷で生産活動を中止せざるを得なくなっていた。
2013-12-03 20:33:30