「江戸しぐさ」と『逝きし世の面影』
「江戸しぐさ」と『逝きし世の面影』的なるもの

『逝きし世の面影』は、ちゃんと読んだことはないのでいつか取り組まねばとは思っているけれど、同書自体は巧みな理論武装がしてあるにしても、現実に十万部の読まれ方の相当部分は、結局のところ「江戸しぐさ万歳」的なところへ落ちていってしまっているのではないか、と懸念する。
2013-11-23 16:35:38
実際、『逝きし世の面影』はNPO法人江戸しぐさ名誉代表・越川禮子女史の講演や、「江戸しぐさ」を教材にした授業例にも出てきます。 http://t.co/b8QcP5snR2 http://t.co/AEY6DvlN3t @bokukoui
2013-11-23 16:51:49
@gishigaku ご教示ありがとうございます。歴史がどのように "消費" されるのか、ということも研究しなければ、歴史学の研究成果を世に広めることもできないと痛感しています。どんな学問でもそれはそうなんですが、歴史は特にその性格が強いと感じます。
2013-11-23 17:03:04
現副総理の首相時代の演説(http://t.co/QMEMB1Yx5o)に「日本人は貧しいのによく笑い微笑む国民だった、と幕末の外国人が記録している」というおそらく『逝きし世の面影』から引かれた内容があったくらい、もともとその界隈と親和性が高かったのですよね。 @bokukoui
2013-11-24 06:13:05原題「われら失いし世界」と同名のイギリス史研究書

しばらく前にツイッターで『逝きし世の面影』につき、読みもしないのに批判めいたことを呟いたところ、@hhasegawa さんにご注目いただけたので、少し補足しておきたい。さらに今、ある事情で数年ぶりに(!)「メイド」についてあれこれ考えていたが、両者が繋がっていたのに気づいたので。
2013-11-30 17:22:20
(承前)小生が「メイド」について関心を持ったとき、まずこういうことはイギリスの社会史の本を読めば載っているだろうと思って図書館で探した。そこで、イギリス社会史の古典であるピーター・ラスレット『われら失いし世界』の訳書を見つけて読んだのである。(続く)
2013-11-30 17:26:14
(承前)ラスレットの本は、実はヴィクトリア朝ではなく、18世紀までのアンシャン=レジームな時代の研究だったが、「ライフサイクルの一環としてのサーヴァント」という概念が説明されていて、そのほかとても面白い本だった。(続く)
2013-11-30 17:27:51
(承前)で、同書のタイトル『われら失いし世界』The world we have lost とは、産業革命以前の世界は同じ国でもまったく異なった世界であるとの認識から、産業革命以前を「失った世界」と表現したものだった。この表現は、歴史研究の業界用語として定着したようである(続く)
2013-11-30 17:30:24
(承前)で、問題は、『逝きし世の面影』は当初、雑誌に「われら失いし世界」というまんまのタイトルで連載されていたのである。そしてこのまま単行本になりかけたのを、英国史研究で著名な川北稔先生が指摘して、このタイトルになったのだ。http://t.co/7OGjKhsN5O (続く)
2013-11-30 17:33:48「失いし世界」は特殊日本的なのか?

(承前)話を戻すと、産業革命以前をさす普遍的な歴史用語となりつつあった「われら失いし世界」を、いわば「日本が近代化で亡くした特異な文明」のタイトルとして使うことに、小生はきわめて不快な印象を受けたのである。失いし世界も逝きし世も、世界中であったことなのではないか?(続く)
2013-11-30 17:40:07
(承前)いわばそれは、近代の持つ重みを矮小化するようなものではないか? と、読みもしないで勝手に決め付けていたのだから、十年余り前の小生が生意気な若造だったことは反省している。しかし、先のツイッターで伺われた状況からすれば、生意気なりに意味のある考えだったのでは、とも思うのである
2013-11-30 17:43:03余談

まったく余談であるが、川北稔先生は英国史だが、日本近代史では川田稔先生という一文字違いの方がおられる。小生は学部時代、レジュメの参考文献で「川田稔」と書くべきところを「川北稔」と全部間違えて不審がられたことがある(笑 ) 「川上稔」と間違えなかっただけ良かったのか、どうなのか。
2013-11-30 17:37:20