- moltoke_Rumia1p
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旧軍の軍政を追いかける時のネックは、その登場人物の多さと、今とはだいぶかけ離れてしまった天皇感と総力戦とソ連と共産革命への危機感と、明治憲法とを多少なりとも理解しないと各々の行動とその影響を読み取るのが難しいところですね
2013-12-04 09:18:36統制派は比較的理解しやすいですよね、WW1の総力戦を目の当たりにして、総力戦体制を身につけなければ日本は取り残されてしまうとの危機感を持った永田鉄山を中心として起きたグループで、総力戦に耐えられる力を持つために組織として政治への影響力を持つことを目指し
2013-12-04 09:24:42さらに財閥や産業界へも働きかけ、戦争に必要な機材の自国調達と工業力の増大によって余剰生産が増え兵力への割り振りを増やせるのでさらなる工業化と国力増大を目標としていた。
2013-12-04 09:28:44しかし、優秀なゼネラリストであり中心的人物であった永田鉄山を亡くし2・26事件以後は舵取り役を無くし日本を巻き込み迷走を起こすこととなる。(永田鉄山は満州事変の拡大に一役買ってるようなので、善玉と言える人物でもなさそうですが陸軍では珍しく俯瞰的な視点を持てたという感じかな?
2013-12-04 09:34:12皇道派がとてもわかりにくいんですよね、、、統制派が1930年代に実務を取り仕切っていた、会社で言うと部長クラスとか中堅層を中心とした派閥だったのに対して
2013-12-04 09:36:54皇道派は1930年代荒木や真崎を中心とした陸軍首脳部と中堅層を抜いた青年将校達を中心とした派閥で、皇道派の中心となった陸軍上層グループは自身の日露戦争やシベリア出兵などの経験から、ソ連への強い危機感と緩衝地帯への満州を重要視しており、
2013-12-04 09:43:18また、WW1後の不景気と政党政治の汚職の大量発生による腐敗によって国民と政治の乖離を憂い、日露戦争のような官民一体となった国体を理想像とし天皇の権威による日露戦争のような国体を目指したい。(真崎個人の野心とかも絡んでるようですが...
2013-12-04 09:48:44一方青年将校たちは悲惨な状態だった農村出身と距離が非常に近く(部下が両手を無くして中国戦線から帰ったら妹は遊郭に売られてたとか)農村では汚職まみれだった政党政治への不信感が強く政治家も農村への声を拾うこともなく政治的な活動の場を持っていなかった。
2013-12-04 09:54:15そして、青年将校たちは国民学校、陸軍幼年学校、陸軍士官学校と明治憲法の建前の部分であった天皇の神聖を盲信しており、本音の部分だった天皇の権威を利用し日本国民という意識を作り上げ国家運営ができるようにまとめ上げる機関としての役割に気づくことが出来なかった。
2013-12-04 10:00:24それにより、青年将校たちは天皇陛下の神聖が機能せず、国家が乱れているのは天皇に取り行っている政治家たちが天皇を操っていると考え、それを排除すれば自動的に国家は良くなると考えていて、そのために捨て石になることに重点をおいていた
2013-12-04 10:17:22そのため、青年将校たちは昭和維新として2・26事件で政府首脳の排除を行ってもその後どのような体制を作るかについては非常に希薄であって、2・26事件を起こしても天皇の御聖断を仰ぐとしており、天皇を絶対視するあまり天皇を利用して体制を作るのは天皇への反逆となるともかんがえていた。
2013-12-04 10:24:27それが通常の諸外国での革命との大きな違いとなっていて2・26事件の失敗ともなっている。
2013-12-04 10:24:56本来であればこれらの橋渡しをし現実的な案に持って行く実務を取り仕切った陸軍の中堅層が入るべきですが、元を正すとこれに先立ち皇道派の露骨な皇道派の優先人事の反発から2・26の時点では中堅層は概ね統制派が掌握しており、不可能だった。
2013-12-04 10:27:26皇道派の青年将校達は結果だけで見れば稚拙とも言える考えだたわけですが、では彼らの思想が本当に未熟だったかというとそうでもなく、彼らの思想的指導者となった北一輝は
2013-12-04 14:36:19男女平等・男女政治参画・華族制度廃止(当然、貴族院も廃止)・所得累進課税の強調あるいは私有財産制限・大資本国有化(財閥解体)・皇室財産削減など(Wikipediaの昭和維新からのコピペ)と社会民主主義っぽい理念を掲げているんですよね
2013-12-04 14:38:17これらは概ねGHQによって体制されるわけで、北一輝の出自が辛亥革命に参加した革命家だった所が大きく作用していると言われています。
2013-12-04 14:41:08では何故青年将校たちは具体的な終着点を持たない2・26事件のようなクーデターを起こしたかというと、2・26事件の主犯格は中国への転属が決まっており、事を起こすにはあのタイミング以外になかったこと、統制派の盛り返しによって皇道派の影響力が弱体化していたことがよく上げられます。
2013-12-04 14:43:13というのが戦前の産業やらを調べていたら永田鉄山にぶち当たったり2・26事件ゆかりの地巡りをしようと思って、ちょくちょく調べて行った戦前の昭和の陸軍の現状認識なんですが、ここから先が骨ですねぇ...
2013-12-04 14:49:25例えば、2・26事件の青年将校は皇道派と呼ばれていて、事実2・26事件前には真崎ら皇道派の中心人物と会談をおこなったり資金提供を受けてたりして、断片的な資料から2・26事件の計画も黒幕的な動きをしていたのが判明してますが
2013-12-04 14:51:56では北一輝の思想は青年将校には影響を与えたけど、真崎らには影響があったのか?さらに言えば機会さえあればと政権を狙っていたらしい真崎にはそもそも日本に対する何らかのビジョンがあったのかとかさっぱりわからないんですよね、、、
2013-12-04 14:53:40特に皇道派の重鎮たちは悪玉として取り上げられることが多くて、彼らの思想的なものやらがよくわかりません。北一輝が当時としては特出していたので霞んでしまうのも大きいでしょうけど...
2013-12-04 14:55:06こなたまさんが言ってることも最もだとも思うのですが、同時に共産革命ではある意味執着地点がはっきりしてるので、青年将校らが北一輝の意向をしっかりと組んでいたら、同じような気もするのですけどそうではなさそうですし同じかな?というのも違和感としてあってあういう表現に
2013-12-04 14:58:02もっとも革命ってインテリだけがやろうとするんじゃなくておっちょこちょいな人も結構やろうとしますからね...あと御聖断があるタイは今ならいいですけど、システムとしては大きな欠陥と言えそうで難儀ですよね...全然根付かないんですし
2013-12-04 14:59:32