編集部が選ぶ「みんなに見てほしい」イチオシまとめはこちら
4
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
あー。読解問題2つ解いた。面倒だった。きわめて面倒。なにしろ、面白くない。感動がない。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
感動を呼ぶ読解問題とは、出題者がどんな力を試そうとしているかが明確に分かる問題であり、かつ、その問おうとしている力が、国語力の中核であると言えるものである、そういう問題。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
そういう問題には、めったに出会えない。100設問のうち5,6設問、といった印象。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
当然ながら、文章そのものが一定の分かりやすさを備えていることも条件。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
読解問題の出題者・作問者というのは、その多くが勘違いしているんだ。「受験者の能力をふるいにかけられる設問は、難解複雑な文章からしか作れない」と。とんでもない間違いだ。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
むしろ、平明単純な文章を用いればこそ、能力の差を浮き彫りにする設問を作ることができる。かつて、小学1年生の教科書の文章を読み解く課題を小4から高3までに与えたが、明確に能力差が現れた。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
難解複雑な文章を用いた読解問題というのは、言葉という「形式」を操作する能力の差を、見えなくしてしまう。言葉・文章の意味する「内容」に対する直観的理解を可能にする背景知識や体験量の差が、解答力に影響してしまうからだ。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
中学入試は、すべて小学1年生レベルの文章を題材にすべきだ。高校入試は、小学4年生。大学入試は、中学1年生の文章で十分。それでこそ、能力差が測れる。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
難解複雑な文章を好んで素材にしたがる作問者というのは、要するに、怠けているのだ。受験者の能力差を測ることのできる質の高い問題を作る能力を持たない自己の弱みを、それによって隠蔽している(見る人が見ればすぐバレるけどね)。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
あと、もう1つ。受験者の個性を見たいと思うのなら、自由度をできるだけ下げることだ。これも、多くの教師は勘違いしている。自由度を上げ、自由に書かせれば書かせるほど個性が出る――そう思っているんだが、まったくの逆だ。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
先ほどの横浜雙葉中の「道徳テスト」でも、きっと、似たような没個性的な答案が多々生まれたに違いない。自由に書かせようとすると、子どもの頭は固まってしまう。自由は不自由を呼ぶ。運動会や遠足の後に自由に書かせる800字作文がどれも似てしまうのと同じこと。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
型を与え、自由をとことん制限する。それによってこそ、個性が見えてくる。というより、そうしなければ、個性など見えはしない。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
個性とは、他との違いのことだ。違いというものは、なるべく狭い共通の枠組みを与えた時、初めて浮き彫りになる。サッカー選手と料理人をくらべても、どちらの個性も浮き上がらないが、サッカー選手と野球選手とをくらべれば、それぞれの個性が浮き上がる。球技という枠組みを付与したからこそだ。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
だから、入試読解というのは、できるだけ平易で短い文章を読ませることによって読み方が自由に拡散しないようにしなければならない。設問は、いつも「最善の正解」が存在するように「限定」する。ただしできるだけ記述式で書かせる。それでこそ、能力差・個体差(個性)を浮き彫りにすることができる。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする