異文化理解の心理学

九州大学の2008年後期文系コア科目「異文化理解の心理学」を聴講した際に提出したレポート。
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倉沢 繭樹 @mayuqix

index14:異文化理解の心理学(2009年) http://t.co/vZ7pz0nkbr #twnovel

2013-12-07 21:27:19
倉沢 繭樹 @mayuqix

  ①「自分と違った人(考え、文化、習慣、性、等々)を理解することは可能か?――私の経験から」  あれは私が中学生のときだっただろうか。田舎道を自転車で走っていると、向こうから「外人」の家族が歩いてくる。福岡の田舎。白人。アメリカ人なのか、イギリス人なのか、

2013-12-07 19:27:36
倉沢 繭樹 @mayuqix

軽い緊張を感じながら、横を通り過ぎる。「異質なもの」との出会いの経験とは、たとえばこういうことなのだろうか。  大学に進学し、神奈川県の横浜市で独り暮らしをした。横浜駅から程近い居酒屋でアルバイトを始めた。働き始めて気づいたのは、中国人の従業員の多さである。

2013-12-07 19:28:48
倉沢 繭樹 @mayuqix

日本人の先輩から聞いた話では、経営者が「在日」で、中国人を積極的に雇っているということだった。日本人と上手くやれるひとも多い。アルバイトはだいたいみな若いので、「若さ」という共通前提があり、また、彼らの多くはかなり流暢に日本語を話した。

2013-12-07 19:29:56
倉沢 繭樹 @mayuqix

しかし、中には、日本人と反りが合わないひともいる。そういう場合、突如として、彼らが中国人であることが強調され、異質さが鋭く意識化されることになる。自分たちとの行動の違いなどを取り上げ、皮肉ったり、嘲笑気味に語ったりする。私の印象では、その個人の特性がまず注目され、

2013-12-07 19:30:46
倉沢 繭樹 @mayuqix

日本人との異質さが際立っていると判断されると、そこで彼らの出自が問題にされるようだ。逆に言えば、日本人とそれほど違わないと判断された中国人は、「仲間」として迎え入れられ、出自を問われることは少ない。そこには大いに主観が関係しているようだ。

2013-12-07 19:31:32
倉沢 繭樹 @mayuqix

 また、レゲエが流れるカフェ・レストランで働いたときは、黒人と一緒だった。ある日、こんなことがあった。何の連絡もせず、彼が大遅刻をして出勤してきた。事情を説明しようとしても、激怒した日本人の店長は聞こうとせず、私に彼の仕事をするように命じた。

2013-12-07 19:32:20
倉沢 繭樹 @mayuqix

そのときは、とんだとばっちりだと思ったが、よく考えてみれば、釈明をさせる余地ぐらい与えてもいいのでは、と思う。これが、日本人だったら、同じ対応をしただろうか。疑問である。  心理学では、「対応バイアス」という認知の歪みの存在が知られている。

2013-12-07 19:33:16
倉沢 繭樹 @mayuqix

人間の行動の原因は「帰属処理」によって説明されるが、それには大きく分けて「外的状況帰属(外部帰属)」と「内的特性帰属(内部帰属)」がある。たとえば、あるひとが石につまずいて転んだとする。その原因を、そのひとが「おっちょこちょい」だったという性格、

2013-12-07 19:34:22
倉沢 繭樹 @mayuqix

つまり内的特性のせいにすることもできるし、「つまずきやすいところに石があった」という外的状況のせいにもできる。しかし、人間は、外的状況を軽視して、内的特性(性格、能力、信念など)を原因だと考えたがる非常に強い傾向があることがわかっている。これが対応バイアスである。

2013-12-07 19:35:06
倉沢 繭樹 @mayuqix

だが、実際には、人間の行動は私たちが思っている以上に強く状況に影響を受けている。これは、人間の環境適応力の高さだとも言える。しかし、適応不全状態、たとえば「カルチャー・ショック」などの場合、そのひとの振る舞いは、受け入れ先の社会・文化集団からは、まさに異質に見えるかもしれない。

2013-12-07 19:35:54
倉沢 繭樹 @mayuqix

 J・W・ベリー(1997)は、移民の異文化への態度の側面に関して、自文化の維持の程度と移住先社会への接触の程度でふたつの焦点を設けて、その状態を4つに分類している。ひとつの焦点が「自文化のアイデンティティや特色を維持することが重要だと考えるか?」で、

2013-12-07 19:37:14
倉沢 繭樹 @mayuqix

もうひとつが「移住先の社会との関係を維持することが重要だと考えるか?」である。前者焦点1と後者焦点2ともにイエスなら、その状態は「統合」、焦点2がノーなら「分離」。また、焦点1と焦点2ともにノーなら「周辺化」、焦点2がイエスなら「同化」である。

2013-12-07 19:38:05
倉沢 繭樹 @mayuqix

 外国からの労働者や留学生は移民ではないかもしれないが、ある程度この研究が適用できると思う。彼ら外国人は、受け入れ先国の社会・文化に対して、自らのアイデンティティや価値観を調整しようと苦闘する。いずれ母国に帰るという前提なら、自文化を捨て去るという選択は考えられないだろうから、

2013-12-07 19:39:14
倉沢 繭樹 @mayuqix

おそらく彼らは統合と分離の間で揺れることになるのだろう。そのとき、彼らが見せる言動が、対応バイアスにより内部帰属で判断されてしまうと、思わぬ誤解や偏見を生むかもしれない。だが、考えてみれば、彼らの視点に立てば、日本こそが「異文化」なのだ。

2013-12-07 19:40:10
倉沢 繭樹 @mayuqix

そういった外的状況に左右、または翻弄されているのではという可能性を頭の隅に置いて、彼らとつき合うべきかもしれない。  これまでの「外人」たちとのつき合いを思い出してみると、私の好奇心のせいか、私が「変人」だからか、嫌な思い出や不快な思い出は少ない。

2013-12-07 19:41:24
倉沢 繭樹 @mayuqix

それは、私がなるべく彼らを理解しようとしていたからかもしれない。理解とは、自分の認知的枠組み(スキーマ)に対象を置き、論理的に解釈することである。その意味で、理解できないことなどないとも言える。理解に苦しむ、とか、理解し難いというのは、

2013-12-07 19:42:14
倉沢 繭樹 @mayuqix

そこに感情的判断が強く働いているということなのだ。別の言い方をすれば、理解できないのではなく、理解したくないということだろう。そこに自民族中心主義(エスノセントリズム)やショーヴィニズム(優位思想)の臭いを嗅ぎ取ることができるかもしれない。

2013-12-07 19:43:15
倉沢 繭樹 @mayuqix

ますます「国際化」する社会で、なるべく軋轢を生まないために、やはり彼ら「外人」の置かれた状況を理解する努力が必要だろう。彼らから見れば、私たち日本人が「外人」なのだ。

2013-12-07 19:43:48
倉沢 繭樹 @mayuqix

  引用・参考文献 丸山圭三郎(1990)『言葉・狂気・エロス』講談社現代新書。大橋英寿編著(2004)『フィールド社会心理学』放送大学教育振興会。高野陽太郎、波多野誼余夫編著(2006)『認知心理学概論』放送大学教育振興会。

2013-12-07 19:46:09
倉沢 繭樹 @mayuqix

  ②「ゲイ・レズビアンのカミングアウトとアイデンティティ」  「あなたは異性愛者ですか?」という質問ほど、ひとをたじろがせるものはない。あまりに当然すぎて、考えたこともない問題だからだ。ひとは、自分とは違った性のあり様に、どうしてたじろいだり戸惑ったりするのだろうか。

2013-12-07 19:48:22
倉沢 繭樹 @mayuqix

伏見(1991、1997)は、それはセクシュアリティがパーソナリティの基層に位置するからだ、と言う。異質なセクシュアリティとの出会いは、ゆえに人格を揺さぶる。異性愛者のアイデンティティは、自立的に強固なものとして存立していない。それは「~でないこと」によって自己規定される

2013-12-07 19:49:22
倉沢 繭樹 @mayuqix

「本質」である。多様な「性」という現象の中で、「男」と「女」の間に営まれる「正常な」性愛以外を認めないという態度の中で守られるものだ。異性愛者とは「『性』という領域の持つ可塑性ゆえ現実に存在するさまざまな性的偏差と、自己との間に線引きし続けることによって維持される、

2013-12-07 19:50:55
倉沢 繭樹 @mayuqix

不安定で、排他的なアイデンティティなのである」(伏見、1997)。  同性愛者(ホモセクシュアル)に対する異性愛者(ヘテロセクシュアル)のタブー視は、たとえばこんなかたちの「神話」を作り出す。  「テレビ番組や小学校の教科書、映画、雑誌、民話に、そして運動場や

2013-12-07 19:53:51
倉沢 繭樹 @mayuqix

スーパーマーケットでの日常生活の至るところにその神話は登場する。それは幸せなヘテロセクシュアル像であり、私たちが社会でどのように成長発達していくべきかを示す指針となっている」(ハート、2002)。  この神話が語る文化的な生活様式の中の重要な要素は、次のようなことだ。

2013-12-07 19:55:27