【読書メモ】桑折学のすすめ

「桑折学のすすめ」という本を読みながら信夫郡と伊達郡について勉強しています。その読書メモです。
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nao @nao0037

福島県桑折町の果樹園では桃の花が美しく咲いています。手のかかる摘花の作業が終わった段階のようです。 http://t.co/u0brp6LuPP

2013-04-22 07:53:15
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nao @nao0037

メモ。桑折学のすすめ。実は何度読んでも途中でくじけてしまうすごいボリュームのこれを、今週こそは読んでいきます。 http://t.co/FfaZH9qZIk

2013-12-02 01:29:56
nao @nao0037

メモ。桑折学のすすめ。今から1万年前は福島盆地に海が広がっていたことが、桑折層と呼ばれる地層の化石から分かっている。また桑折温泉近くには1万6千年前の火山噴出物がみられる。半田山に金銀鉱脈があるのは、その火山活動の熱水の影響だと言われている。

2013-12-02 08:15:28
nao @nao0037

メモ。桑折学のすすめ。訂正。今から1千万年前は福島盆地に海が広がっていたことが、桑折層と呼ばれる地層の化石から分かっている。また桑折温泉近くには1千6百万年前の火山噴出物がみられる。半田山に金銀鉱脈があるのは、その火山活動の熱水の影響だと言われている。

2013-12-02 12:36:54
nao @nao0037

メモ。桑折学のすすめ。桑折には旧石器時代の遺跡(平林・古矢館)があって、福島県で最も古い獲物解体用の石器が発見されている。それが約3万年前のものらしい。この頃にはきっと今と同じような福島盆地=信達平野が広がっていて、狩りの暮らしがあったんだろうな、と想像中。。

2013-12-02 12:41:12
nao @nao0037

メモ。桑折学のすすめ。1千万年以上も昔の地形はともかく、現在の桑折は福島盆地にある。西には奥羽山脈、東には阿武隈高地、そして中心を阿武隈川が流れている。阿武隈川が何度も氾濫して蛇行したことで、河岸段丘が形成されている。さらに、阿武隈川に注ぐ支流による扇状地が複数ある。

2013-12-02 12:56:49
nao @nao0037

メモ。桑折学のすすめ。古代から、南北を結ぶ交通路はどれも桑折を通っていた。古くは律令時代の東山道。後の奥州街道、羽州街道もそうだし、東北本線も、東北自動車道も。どれも西側の半田山などの山地をまくようにして同じような場所を通っているらしい。地形的な必然ということかな。

2013-12-02 19:26:37
nao @nao0037

メモ。桑折学のすすめ。平安時代の桑折は奥州藤原氏と飯坂の佐藤氏の領地。鎌倉時代になると、源頼朝から奥州合戦での戦功を認められ伊達郡の地を与えられた常陸入道念西が、伊佐あるいは中村に変わって伊達を名乗る。そして伊達家による伊達郡統治が17代続いた。それは伊達政宗の代で終わった。

2013-12-02 20:55:09
nao @nao0037

メモ。桑折学のすすめ。伊達家は15代の時代に本拠地を伊達郡から米沢に移し、さらに17代の時代には仙台に移っている。その17代が政宗。政宗は仙台から伊達郡を治めていたが、豊臣秀吉の許可なく会津と戦をしたことで、現在の福島県にあった広大な領土を取り上げられた。奥州仕置き_φ(・_・

2013-12-02 21:09:41
nao @nao0037

メモ。桑折学のすすめ。伊達家のあと伊達郡を支配したのは蒲生氏郷。しかし、わずか7年後には会津の上杉景勝の領地となる。さらに、その3年後に上杉景勝は徳川家康に会津を取り上げられ、信夫郡と伊達郡を含む米沢に領地を限定されてしまう。複雑。江戸時代の初期、桑折は上杉家が統治している。

2013-12-02 21:32:57
nao @nao0037

メモ。桑折学のすすめ。減封された上杉米沢藩は財政が苦しく、それを解決しようと信達地域で新田の開発をすすめたようだ。このとき農業用水として阿武隈川の水を引く「西根堰」が完成した。そして西根堰は現在も農地をうるおしている。そうか、ときどき福島県北で聞く「にしねぜき」ってこれかあ!

2013-12-03 20:33:26
nao @nao0037

メモ。桑折学のすすめ。僕の思い込みで西根堰は阿武隈川の水を引いたとメモしたけど訂正。なんと摺上川。飯坂と湯野の間を流れる、あの十綱橋のある摺上川らしい。そっちから伊達郡の方向にだなんて、おおおっ。どういう水路なんだろう。ものすごく興味津々。

2013-12-03 20:49:32
nao @nao0037

メモ。桑折学のすすめ。この本では上杉米沢藩が西根堰を完成させたように短く書かれているけど、桑折町のホームページによると少し違う。まず、地元の役人だった佐藤新右ェ門が米沢藩から許可をとりつけて実現に漕ぎ出した。1618年。頭首工は、今の十綱橋のあたり。つまり飯坂温泉駅のすぐ近く。

2013-12-03 21:39:43
nao @nao0037

メモ。桑折学のすすめ。西根堰はふたつある。どちらも摺上川に取水口をもつ。ええっと、佐藤新右衛門が手がけて先にできたのが下堰(したぜき)。全長は約13キロで、江戸時代の33村をうるおした。灌漑面積は約300ヘクタール。1618年。(参考:飯坂温泉オフィシャルサイト)

2013-12-04 08:14:48
nao @nao0037

メモ。桑折学のすすめ。西根堰の下堰は、飯坂・湯野から水をとり、徳江村で阿武隈川支流に注ぐものだった。ええっと徳江村は現在は国見町。うはっ!湯野から梁川のあたりまで延々と水を流したんだ。まさに信達平野の開拓。桑折町の話には全然おさまってない。(参考:桑折町ホームページ)

2013-12-04 08:54:35
nao @nao0037

メモ。信達平野の西根堰。先月のツーリングで桑折から飯坂の医王寺に向かう途中、湯野の西根神社というところに寄ったんだった。時間がなくて何の神社か良く分からなかったけれど、そういえば名前が西根。。そうか西根堰と関係があったのか^^; http://t.co/xHwbBY0yWq

2013-12-04 12:45:51
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nao @nao0037

メモ。信達平野の西根堰。先月立ち寄った湯野の西根神社の案内板に、佐藤新右衛門は佐藤基治の十八世の孫とある。そうか、大鳥城の佐藤家が奥州合戦のときに途絶えていないことが、ここでわかるのか。そして古河善兵衛という人物が登場φ(._.) http://t.co/rBnb0eCJqi

2013-12-04 19:01:50
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nao @nao0037

メモ。信達平野の西根堰のこと。湯野の西根神社の案内板には、祭神功績とあって、米沢藩家臣で福島奉行だった古河善兵衛のことが書かれている。ここは、古河善兵衛という人物を祀っている神社だったのか。びっくり。 http://t.co/WMs4IIaydf

2013-12-04 21:32:32
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nao @nao0037

メモ。信達平野の西根堰については、古河善兵衛が下堰も上堰も先頭に立って作ったように書かれている場合と、初めの下堰を佐藤新右衛門が私財を投じて作り、数年後に上堰を古河善兵衛がやはり私財を投じて佐藤を脇役として作った、と書かれている場合があるようだ。後者のほうが史実に近そうだ。

2013-12-04 21:37:57
nao @nao0037

メモ。信達平野の西根堰。下堰の完成から6年後には、より高い土地にも広く水を流すために、古河善兵衛によって上堰(うわぜき)が着工された。全長28キロ。大変な工事だった。9ヶ月で実現された下堰の10倍近くかかったらしい。(参考:飯坂温泉オフィシャルサイト)

2013-12-04 22:39:25
nao @nao0037

メモ。信達平野の西根堰。その上堰は取水口を十綱橋の近くに構え、下堰に並行して桑折町方向に進み、国見町の藤田を越え、伊達市梁川町に入って五十沢郵便局の付近で阿武隈川に注いでいるようだ。下堰よりずっと長いのと、意外なほど遠回りしているのとで、びっくりだ。(参考:桑折町ホームページ)

2013-12-05 00:18:28
nao @nao0037

メモ。信達平野の西根堰のこと。この写真は先月桑折町から飯坂に向かう途中で撮ったもので、睦合小学校の近く。僕がすごく好きな景色。どうやらこの位置で見て、すぐ左を下堰が、すぐ右を上堰が流れているようだ。全然知らなかった。 http://t.co/9d4V9TINIq

2013-12-05 00:37:49
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nao @nao0037

メモ。桑折学のすすめ。西根堰ができたころ、桑折を含む福島一帯は米沢藩の一角だったわけだけど、その米沢の上杉氏が西根堰に藩の金をつぎ込んだかというと違ったようではあるんだけど、桑折は賑わったようだ。奥州・羽州街道の宿場として整備され、半田銀山が再開発され、養蚕技術も改良された。

2013-12-05 07:19:59
nao @nao0037

メモ。僕が今読んでいる「桑折学のすすめ」というのはこれです♪→ http://t.co/FfaZH9qZIk

2013-12-05 07:25:37
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