●南西諸島に残る記憶【グスクの風景】
南西諸島の「グスク」というのは漢字で「城」と書いたりする。首里城とか座喜味城とか今帰仁城とか。で、だ。この「グスク」は内地でいう「城」なのか?というと実は間違いであり時間軸的に正しくもありということになるのが最近の結論のように思う。 #okinawa
2010-10-17 04:55:27本当はかなりの文章量を必要とするのためツィートでは賄えないのでBlogにでもまとめておくべきだが、とりあえずはしょって「グスク」についてつぶやくことにする。
2010-10-17 04:58:34昔々の人の気持ちになってください。美しい山が見えます。岬の先に立ち岩があります。この場所は大事だから入っちゃいけないよとおばあさんからいわれます。ここはご先祖様を敬う場所だから大事にしろとおじいさんからいわれます。とにかくわからんけどなんだか大事な場所があります。 #gusuku
2010-10-17 05:01:53大人になりました。おばあさん、おじいさんが大事なところだといっていたので、土盛りをしたり、石で囲んでもっとはっきりわかるようにしようと思いました。これを南西諸島では「スク」といいます。まあ内地で今なら禁則地でしょうか。 #gusuku
2010-10-17 05:29:48でも「スク」だとご先祖様はカミサマやアマミク様に失礼なので「スク」=「囲う」の前に「グ」=「御」をつけて「グスク」ということにしました。つまり基本的に「グスク」はウガミの場所なのです。 #gusuku
2010-10-17 05:31:34その「グスク」の場所は集落の共有地なので大事にされてきましたがある時期、よそからやってきた力の強い人だったり、集落の中から裕福になった人が「グスク」の近くにおうちを建てました。そのうち、大事な「グスク」もいつのまにかそういう人たちの敷地の中に入ってしまいました。 #gusuku
2010-10-17 05:34:53そういう力の強い人たちはおうちのまわりに土塁や石垣を作りはじめました。となりの集落のXXXが気に入らないのでやっつけるぞー、ということで集落の人も駆り出されました。そして戦争に勝つともっと勝ちたいぞ。そう思った力の強い人は、おうちのまわりをもっと堅固にしました。 #gusuku
2010-10-17 05:37:48力の強い人が作ったおうちはいつのまにか内地でいう「お城」のようになっていました。その敷地にはもともとの「グスク」があったのですけれど、すでにその「お城」のようなものが「グスク」と呼ばれるようになっていました。 #gusuku
2010-10-17 05:39:30その内地の城のような勇壮なグスクの姿をみた内地からやってきた商人や宗教関係者などが「グスク」に「城」という字をあてました。ここから誤解は肥大化します。 #gusuku
2010-10-17 05:41:16その誤解は今も続いているように思えます。グスクは「城」でもあるが「城」ではないのです。たとえば、中城にある熱田マーシリーグスクは大きな岩です。そしてたいていのいわゆる城というイメージのグスクにはウガン所があってもともとはそこがグスクと呼ばれていたのです。 #gusuku
2010-10-17 05:43:51この「グスク」的風景は実は内地のあなたの身近にたくさんあります。沖縄的にいう「グスク」が内地では神社やお寺なのです。内地の神社は基本的に拝む対象だったもの(岩等)を拝むために建てられらたのです。つまり内地の神社や寺は南西諸島的にいえば全部グスクなのです。 #gusuku
2010-10-17 05:48:52現在、沖縄のグスクといえば首里城や今帰仁城など、あたかも姫路城や松本城へ行くような感覚でみなさん訪れますが、根本的に成り立ちが違うのです。首里城や、今帰仁城などのグスクは基本的に遥拝施設であり、これは内地の神社やお寺さんなのです。 #gusuku
2010-10-17 05:51:50複雑なことをいうとヤンバルや徳之島北部、奄美大島に多いグスクですが、これらは石垣よりも土盛りした山城といった風情のものがあります。これは内地でいう戦闘のための山城であった場合があり精査が必要です。内地の最たる山城は中山城や八王子城ということになります。 #gusuku
2010-10-17 05:55:25逆に言えば沖縄の「グスク」は本来の意味通りウガンジョを包括して戦闘用の城になったものや、単なる岩であったり、形態はさまざま。ただし全部グスクです。グスクと名前がついていなくてもグスクの場所は多々あります。ちなみに沖縄県のグスクは340か所ほどらしいです。 #gusuku
2010-10-17 05:57:33奄美大島だと80ぐらい、徳之島だ一応知られているので10数か所。おいらが確認している「グスク」だけで70か80くらいはあるように見受けられる。 #gusuku
2010-10-17 05:58:47「グスク」についてちょっとおわかりになっていただけましたか?だから按司が居城した城もグスクでいいのですが、グスクはそれだけではないということだったりしていたりするのでした。 #gusuku
2010-10-17 06:03:03ここでポイントなのです。そのグスクやグスクの中に内包されたグスクの拝んでる方角に何かありませんか?大きな岩、木だったり、山(できれば山頂よりちょっと下の鞍場)だったり、冬至の朝日が上る方角だったり。もしそうならたぶんそこは遥拝所です。
2010-10-17 06:05:28この遥拝所を集落の中にもってきた場所を内地では「鎮守の杜」というわけです。鎮守の杜には社があったりしますがお社にはあまり意味がありません。その裏とか近くに大きな石があったりしませんか?そこが本来の遥拝所です。 #gusuku
2010-10-17 06:07:11内地においてその遥拝所に修験道が入ると岩屋観音という名前になったり、神社の本殿が建てられたりいろいろです。つまりある意味で南西諸島のグスクというものは日本列島の原初(原初をどこまで遡るかは問題ですが)の信仰形態を表している可能性が高いのです。 #gusuku
2010-10-17 06:09:36この大事な場所(パワースポットとか最近では言い切ってしまうようですがカタカナ英語では現れせない歴史があるのです)。たとえば東京ですと増上寺と東京タワーのあたりがそれにあたります。もともとあのあたりは貝塚でした。そして古墳ができました。増上寺ができました。東京タワーができました。
2010-10-17 06:13:07ついでにいうと東京タワーのそばにはフリーメーソンの日本本部ができました。つまり場所は太古からの先人の意識を積分した力を持っていてそういった場所はそういったことに使われるようにしてしまうのが人間なのです。
2010-10-17 06:14:26南西諸島においてウガン所やグスクを探す私の手段を開陳しましょう。今となってはなんの役にも立ちませんがw。まず公民館や学校などその周辺を捜します。公的施設は近代においては共有地に建てやすい。つまりシマ=集落にとって大事な場所だった可能性が高い。 #gusuku
2010-10-17 06:17:06その公共施設にここはという場所を見つけたらその周辺を見渡します。そうするとそれらしい山の姿や岩や島が見えます。そこが本来の大事な場所。 #gusuku
2010-10-17 06:18:47戦闘城となるともっと簡単です。携帯電話やデジタル放送用のアンテナの場所を探しましよう。そこです。そこが「グスク」です。幸か不幸か日本の携帯電話がほぼ直進性の高い3G、同時にデジタルTV放送になったということはその鉄塔が立った場所がかつてのグスクです。 #gusuku
2010-10-17 06:21:51直進性が高い=見晴らしが良い。ということ。つまり敵を早期に発見できる可能性が高いということ。つまりそのために戦闘用グスクを創り、アマ(天)のご加護を祈願して拝み場所を作る。そういう形態のグスクも多々あります。 #gusuku
2010-10-17 06:23:31