フィリピン台風のレポート。三浦英之記者のつぶやき。

"①随分と時間が過ぎてしまったが、フィリピン台風の現場に入っていた。帰国後すぐに別の出張が入り、その後しばらく体調を崩していたので、文章にできなかった。1カ月も前の出来事をリポートする意味がどこまであるかわからないが、備忘を兼ねて書き綴ってみようと思う" https://twitter.com/miura_hideyuki/status/411126403153670144 三浦英之記者の記事。 「震災と同じ。足が震えた」記者が見たフィリピン被災地 2013年11月20日03時57分 続きを読む
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三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

①随分と時間が過ぎてしまったが、フィリピン台風の現場に入っていた。帰国後すぐに別の出張が入り、その後しばらく体調を崩していたので、文章にできなかった。1カ月も前の出来事をリポートする意味がどこまであるかわからないが、備忘を兼ねて書き綴ってみようと思う

2013-12-12 22:32:27
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

②私が現場に入ったのは台風5日後。すでに先発隊が僅かな食料を持ってチャーター機でタクロバンに入っていた。どんな紛争や災害でも、先発隊は何よりも現場に早く到着し、現地の状況をいち早く報道することが求められる。最も情報が必要なときに、全力で現場を駆けまわる、いわば「戦闘機」的な役割だ

2013-12-12 22:42:07
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

③今回私は「2番機」だった。任務は食料や車や拠点を確保し、長期取材に耐えられるだけの足場を確保すること。紛争や災害の取材は短期間では終わらない。分析や角度のついた記事、深い人間物語を書くためには、長期間そこに留まるための装備や設備や拠点がいる。それを確保することが最大の任務だ

2013-12-12 22:48:24
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

④マニラに入ったのは13日。空港は封鎖され、私と同僚は2ルートに別れて現地に向かうことにした。同僚はマニラで車を調達し、燃料と水を満載して丸1日かけてタクロバンに向かう。私はセブ島に飛び、車や食料を確保してフェリーでレイテ島に渡る。どちらかが現場に入れればいい。賭けだった

2013-12-12 22:54:25
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

⑤セブ島で車を手配し、大量の水と食料、燃料を買い込んだ。水と燃料のどちらを多く積むかで悩んだが、燃料にした。水がなくても動けるが、燃料がないと動けない。車が動けなければ、電源が取れず、原稿が送れない。現場を脱出できなくなり、やがて水も食料も底をつく。東日本大震災の教訓だった

2013-12-12 23:01:19
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

⑥レイテ島に向かうフェリーは寿司詰め。こんな時にも比国の当局者は多額の賄賂を要求してくる。車を載せるため、泣く泣く自腹。フェリーが着いたオルモックでは、電気がないため真っ暗闇だった。宿泊場所がないため、壊滅した市庁舎にテントを張って現地助手(女性)と運転手と3人で寝た

2013-12-12 23:06:47
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

⑦翌朝、陸路でタクロバンに向かった。途中、強盗が頻出しているため、賄賂を払って軍用車の後ろにつかせてもらった。数日前には支援物資を積んだ国連トラックが襲われたという。「なんで国連を襲うんだ?」。首をかしげたくなったが、道中見渡すと理由がわかった

2013-12-12 23:10:26
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

⑧見渡す限り、どこも壊滅的な被害を受けている。なのに支援物資を積んだトラックは平然と街道を通り過ぎていく。国連もNGOも知名度の高いタクロバンに支援を届けようとする。「俺たちには水も食料も燃料もない」。それぞれの「政治」に対抗するため、若者たちは武装して輸送車を襲う

2013-12-12 23:15:11
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

⑨タクロバン一帯は水浸しで、遺体が収容されずに横たえられている。動物の死骸かと思った腐敗物は、よく見ると人間の脚だった。胴体から切り話されて、がれきの中に落ちていた。手がつけられない。「あの日」の光景が脳裏を過ぎる。震災翌日、海沿いのガードレールにはいくつもの遺体が張り付いていた

2013-12-12 23:22:19
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

⑩遺体回収の救援隊を追う。遺体は山の上に集られ、係員がDNA採取をしていた。「誰かがやらなければ」。皮膚を切った瞬間に体内から虫が這いずり出てきて、隣で助手が嘔吐した。遺体は巨大な穴に投げ込まれていく。数百体を超えている。「写真を撮っていいですか」。係員は黙って頷いた

2013-12-12 23:26:30
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

⑪先発隊は民家の一室を間借りして、私もそこに拠点を張った。誰もひどい悪臭がする。風呂に入るのはあきらめていたが、夜中大量の蚊に襲われるのがつらい。蚊は遺体の血を吸っているとみられ、伝染病が心配だ。一度テントを張って寝ようとしたが、暑さで耐えきれなくなって外に出た

2013-12-12 23:30:17
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

⑫避難所に足を運んで毎日被災者たちから話を聞いた。いかに逃れたか、家族を何人亡くしたか、今一番何が欲しいか。避難所の体育館は息ができない。数千人の避難者が近くで便をするだけでなく、体育館地下が遺体安置所になっており、その匂いが直接上に上がってくるのだ

2013-12-12 23:35:00
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

⑬避難所の入り口で毎日パンを握っている男の子がいた。セサット・ポンセ君(7)。両親は遺体で見つかったはずなのに、「パパとママは死んでない」と首を振る。「まだ帰ってこないんだ。お腹がすいているだろうから、帰ってきたらこのパンをあげるんだ」。2人でそのコッペパンを食べた

2013-12-12 23:38:26
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

⑭セサットは両親や5歳の妹、2歳の弟と住んでいた。台風の朝、家族全員で屋根の上に登った。屋根が大きく傾いて海の中へ。気がつくと隣人の人に引き上げられ、近くの家の屋上にいた。翌日、両親の遺体が見つかった。身元確認を求められ、「違う」と言うので、叔父の警察官が確認した

2013-12-12 23:42:22
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

⑮叔父は「セサットは遺体の前では目を閉じていた。顔を見ていないと思う」。祖母は「家周辺で遺体が見つかる度に、セサットは『遺体は大きいの、小さいの?』と聞く。責任感の強い子だから、弟妹の遺体は自分が引き取りに行かなければと思っているようだ」。たぶん今も避難所の廊下で待ち続けている

2013-12-12 23:45:12
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

⑯フィリピンには結局10日間いた。精根尽き果てて動けなかったが、仕事を休めず体調を崩した。最後に一つ。日本について。フィリピンでは東日本大震災の時の様子が広く報道されていた。住民同士が助け合い、全国から多数の物資やボランティアが押し寄せたことについて

2013-12-12 23:50:38
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

⑰世界はあの時の日本を忘れていない。今回も「日本人のように」と支援に加わろうとする現地の人々が数多くいた。私たちのしてきたことは間違っていない。もっと誇りを持っていい。ことに災害に限っていれば、これほど信頼されている国は世界にない。それをどう発信し、生かしていくのか

2013-12-12 23:53:49
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

⑱当時執筆した記事 http://t.co/l8JINaQrKe 狭い紙幅ではとても伝えられずツイッターを借りました。もう少し現実を伝えられる力を持ちたい。記者になって14年。「いくつになれば、寂しさや恐怖は消える」(終)

2013-12-13 00:04:00