塚原卜伝の戦歴について

塚原卜伝といえば、新当流開祖にして、戦国時代の剣豪の筆頭とも言うべき人物ですが、この人の戦歴として、よく引き合いに出される「卜伝遺訓抄」の後書きは、「当時の記録」として扱うには微妙であるなあというものなので、その辺、ちょいとまとめてみました。
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「卜伝遺訓抄」について
神無月久音 @k_hisane

今更な話だが、卜伝遺訓抄の「真剣の仕合十九ヶ度、軍の場を踏むこと三十七ヶ度、一度も不覚を取らず、疵一ヶ所も被らず、矢疵を被ること六ヶ所の外、一度も敵の兵具にあたることなし。凡そ仕合、軍の場とも、出逢ふ所の敵を討取ること一分の手にかけて二百十二」って、大元はなんだったのかしらん。

2013-12-13 02:51:15
神無月久音 @k_hisane

前述の文は、よく「当時の記録によると」とかいって、卜伝の履歴の引き合いに出されるけど、あの部分は卜伝の弟子の加藤信俊の孫が「言い伝えによると」と前置きした上で、おそらく寛永年代後半以降に書いたものなので少なくとも「当時の記録」ではないよなあと。少なくとも60年は経ってますし。

2013-12-13 03:03:45
神無月久音 @k_hisane

そーいや卜伝のwikiでも、遺訓抄の後書きを書いたのが加藤信俊本人になってるし、「生涯に斬って捨てた剣士の数は、記録に残っているだけでも212人」って、遺訓抄に載ってる人数乗せただけで、裏付けレスですし喃。まあ、wikiだからそんなもんと言えばそれまでですけど。

2013-12-15 03:39:27
神無月久音 @k_hisane

つか、この遺訓抄の序、何故か沢庵和尚が書いてるんですが、一体どういう縁で書くことになったんじゃろか、と不思議に思ったり(まあ、だからこそ、少なくとも寛永年代後半以降だろうと推測できる訳ですが)。案外、これも宗矩が絡んでそうな気がしなくもない。

2013-12-13 03:07:11
神無月久音 @k_hisane

まあ、遺訓抄の本体とも言える卜伝百種自体、卜伝の直筆という訳でもなく、飯篠某が聞き書きしたものを、卜伝が亡くなった年(元亀二年)に転写したものとありますし喃。この辺の世代の人は、あんまり自筆の記録が残ってないのが難儀で砂。何を今更というところですけど。

2013-12-13 03:17:23
我乱堂 @SagamiNoriaki

江戸柳生の研究してた大坪先生だっけ?が、「柳生流は随分と新当流を意識してた」みたいなこと言ってたらしいけど、どういう論拠があったかはしらんが、卜伝遺訓抄に宗矩が噛んでたとしたら、それは随分と面白い話だなあ…

2013-12-13 03:13:27
神無月久音 @k_hisane

.@SagamiNoriaki 月之抄でも、新当流に言及してる箇所が幾つかあったりしますしねー。 全国規模で普及したって意味では、新陰流よりも先達の流派ですから、ある程度意識はしてただろうなとは思うですよ。石舟斎自身も、新当流を学んでたと言いますし。

2013-12-13 03:21:10
神無月久音 @k_hisane

.@SagamiNoriaki ついでに言えば、この加藤信俊の孫(名前不明)がどういう人物かさっぱり不明なのですが、新当流剣士であったのはまず確実としても、宗矩のところで新陰流も学んでたんじゃなかろうか、と妄想したり(雲林院弥四郎みたく)。だとすれば和尚との縁もわかりますし。

2013-12-13 03:27:49
神無月久音 @k_hisane

「卜伝遺訓抄」の中身を整理すると以下の通り。 ①卜伝の歌を飯篠某が聞書したものを加藤信俊が遺した「卜伝百首」(元亀二年冬成立) ②沢庵和尚による序(おそらく寛永年代後半以降成立) ③加藤信俊の孫が書いた後書(②より後) こうしてみると、百首以外は史料としては結構微妙かもで砂。

2013-12-13 03:51:34
神無月久音 @k_hisane

で、それ以外での卜伝の記録ってのが、出典が「甲陽軍艦」だったりするので、なんかこの時点ではい解散って言われそうで困る。一之太刀の事に触れてるのもここだったりするので余計になんとも。足利義輝に剣を教授したってのも、おそらくこれが出典ですし喃。

2013-12-13 03:55:06
小可 猫空茶藝館エアコミケ新刊『遥かなる近代』第5号頒布 @xiaoke_As

@k_hisane 壁|ω・`) 『卜伝遺訓抄』は史料的には微妙な感じですねぃ…『甲陽軍艦』のほうも、それが編纂された時代、作者(編者)とその周囲で卜伝がどのように評価され、どういう存在であったかは窺えそうですが、それと実像との距離は知り難い感じも。

2013-12-13 04:08:34
神無月久音 @k_hisane

.@xiaoke_As 卜伝はその名声や流派の広まりに比べると、一次史料がかなり少ない人物なのが厄介ですね。甲陽軍艦もかなり派手な内容になってるので結構微妙だなーという印象が…。しかも面倒なことに本朝武芸小伝にも「甲陽軍艦によると云々」と書いてある箇所があってなんともはや。

2013-12-13 04:14:24
神無月久音 @k_hisane

当方が足利義輝が剣豪だとする説について懐疑的になったのも、一次史料が皆無で、一番信頼性の高い宗矩の手紙ですら間接的でしかないという点ですし喃。剣豪と呼ばれる程なら、もう少し残るだろと。 【「剣豪将軍」足利義輝は本当に剣豪だったのか?】 http://t.co/df8gNcjaxp

2013-12-15 04:00:17
小可 猫空茶藝館エアコミケ新刊『遥かなる近代』第5号頒布 @xiaoke_As

@k_hisane 壁|ω・`) 卜伝に関する史料や『甲陽軍鑑』は、他の史料との照合によって信頼性を担保することが困難な記述が多いですね。まぁ、後者の方は、ぼちぼちと研究が進んだ結果、一時期のようにまるっきし「小説」みたいな扱いはされなくなってきたようですが。

2013-12-13 04:20:55
神無月久音 @k_hisane

.@xiaoke_As ですね。まあ、遺訓抄の後書きや甲陽軍艦の記述を全部除外しても、卜伝が戦国を代表する剣豪の一人であろうというのは他の史料で確認可能なので、そういう意味では、最低限の保障はあるかなと。

2013-12-13 04:53:29
小可 猫空茶藝館エアコミケ新刊『遥かなる近代』第5号頒布 @xiaoke_As

@k_hisane 壁|ω・`) ええ。卜伝が著名な剣術家であったこと自体を全面的に否定するには至らず。

2013-12-13 04:59:14
新陰流との関連について
みんみんぜみ @inuchochin

.@k_hisane @SagamiNoriaki 新当流って新陰流に似てますからね(逆だ) 信綱がそもそも新当流やっていたでしょうから、当然でしょうけど。三学円の太刀の打太刀には新当流を想定してるものがあるという話もありますし

2013-12-13 06:10:02
武心インデックス @g369

@inuchochin @k_hisane @SagamiNoriaki 恐らくは当初はもっと差別化が成功していたのでしょうが、各々にフィードバックを重ねた結果、独自性が薄れた部分は少なくないのだと思います。

2013-12-13 06:57:43
武心インデックス @g369

どこにも独自性を謳う技法はあって、でも言うほど独特に感じない事が多々ある。それは「所詮同じ人間だから突き詰めると何れも同じになる」という事よりも、互いにフィードバックを重ねて画一化する部分、重複する技法が増えてきたという事なのではないかと思う。

2013-12-13 06:59:54
武心インデックス @g369

ブラウザがそれぞれに良い部分を取り入れて差が不明瞭になったりするようなもので。OSでもいいけど。

2013-12-13 07:00:30
武心インデックス @g369

だから当初は独自性が非常に際立ったというのは実際あったのだろうと思う。同一ウィンドウで別タブにして開くなんて!なんてナウいだべー!ってな感じで。今だと当たり前だが。

2013-12-13 07:04:02
みんみんぜみ @inuchochin

.@g369 @k_hisane @SagamiNoriaki 松岡家(松岡兵庫家)新当流だと柳生の五箇の習いと同じものがあります。伝書の時系列的には松岡が柳生から取り入れたとは思いますが、まあ逆の可能性も無いわけじゃないです。懸待表裏云々も元の考えが新当流にあったみたいですし

2013-12-13 08:55:49
神無月久音 @k_hisane

石舟斎宛ての影目録の時点で「上古の流有り。中古念流、新当流、亦陰流有り」とありますしね。 @inuchochin 新当流って新陰流に似てますからね(逆だ) 信綱がそもそも新当流やっていたでしょうから、当然でしょうけど。@SagamiNoriaki

2013-12-13 10:23:42
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