伊東乾先生itokensteinの「メディアをいじっている間は、自分が空気読めない、非常にドンくさいものに落ちている、とよく自覚するのが大事と思う。」
Ph.D Prof. Komponist-Dirigent / Raummusik Kollegium Berlin. Habe viele Interesse an der Wissenschaft und am Mitleben dadurch.
伊東 乾(いとう けん)ITO, Ken
東京大学大学院 情報学環・学際情報学府
准教授 学環所属(基幹・流動教員)
http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/professor.php?id=379
伊東 乾(いとう けん、1965年1月27日)は日本の作曲家、指揮者、作家。東京都中野区生まれ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/伊東乾_(作曲家)
20世紀末の急速な情報化で、私たち昔の青少年とは比較にならないほど、現代の若者は多くのコミュニケーション・ツールを手にしている。ではその分、濃密な人間関係形成の力が備わったかと問われれば、「リア充」はむしろ少数で、ネットワーク上に孤立する若い世代が決して少なくない様に思うのだ。
2013-12-16 21:16:54一緒に話しているのに突然スマートホンに目を落とし、メールに熱中する人は国境を越えて決して珍しくない。こんな現象は20世紀には決してなかった。みんなで集まって遊ぶ、といいつつ、同じ部屋でバラバラにゲームしている子供だっていくらでもいる。リアルな生活の場から突然意識が消え飛んでしまう
2013-12-16 21:21:33インターネット、携帯電話、ツイッターやフェイスブック・・・いずれも僕らが10代20代の頃には想像も出来ない代物だ。現在の私たちはいろいろなコミュニケーション・チャネルに囲まれている。さて21世紀のティーンエイジャーは、どうやって初めての恋愛感情を思う人に伝えるのか、伝えないのか?
2013-12-16 21:27:13僕が多感な10代を送った1970-80年代前半には、せいぜいが紙のラブレター位しか書けるものはなかった。携帯電話は家の中でも自室で親に知られずに会話できるのが劇的に違うと思う。昔は家の中に黒のダイヤル電話がひとつあるだけだった。子機などない時代、自宅電話で愛を語るなんて夢のまた夢
2013-12-16 21:30:06そんな恵まれた情報環境にある今のティーンたちが、それらを駆使して本当に愛を語っているか?と問われれば相当たくさん疑問符がつく。携帯電話を使った援交バイトのような新犯罪は生まれてきただろう。でも今の多くの若者が30年60年前に比べ細やかな口説きのテクニックを持ったとは到底思えない。
2013-12-16 21:33:38「会えない時間が 愛育てるのさ 目をつぶればキミがいる」という歌詞も昔はあった。モバイルだユビキタスだという時代、そういう「心の中にイメージを豊かにはぐくむ余裕」時間と空間を、現代を生きる私たちは失っているのではないだろうか? 筒井康隆の小説にもCMのない沈黙レコードの話があった
2013-12-16 21:42:19さっきの「会えない時間が愛育てる」のは郷ひろみの「よろしく哀愁」(1974)ですがhttp://t.co/VbV6a1aW8d当時小学4年のガキだった私にも、何となくその意味する所は察しがつきました。痛感するのはもう少し後になってからでしたが^^;
2013-12-16 21:52:14.@tkskk 僕は根に京阪神の根性がどこか入っていまして、目の前の相手を笑かしてないと気が気でないみたいなとこがあるんですね^^ そういう関西ルーツ的な観点から見ると、最近のネット少年少女は隙だらけというか、反射神経的にKY化が進んでいるような印象が・・・^^;
2013-12-16 21:58:39ネットや携帯など新しい道具が増えたけれど21世紀のティーンは新しい環境の中、そのつど新たに愛の語り方、口説きのテクニックを自分で工夫しなければならないだろう。いや、考えてみれば変化の時代、あらゆる世代がそんな試行錯誤に熱中していたに違いない。傍目で見れば滑稽でも当人は真剣そのもの
2013-12-16 23:25:20.@matsuko001 携帯いじってるあいだは、完全に意識がそちらにとられて、周りを一切気遣えていない、という基本的な事実に気がつくと 話が早いとおもうんです^^
2013-12-17 00:43:18この頃はいい年したおっさんが手にスマホ、そこから伸びたイヤホンを両耳に入れたままプラプラ歩いてるのを見る。家のそばの踏み切りで、周りの交通の迷惑いっさい考えず道の真ん中を歩く、そういう「ヴァーチャルリアリティ病」を毎日目にする。KYという以上に危険。勝手に怪我するだけならまだしも
2013-12-17 00:46:05残念ながら人間がいちどきに注意できる範囲には限界があって、歩きながらヘッドホンステレオ聴きながらスマホいじってたら、周りにダンプカーが来ようが乳母車が来ようがまったく判らないわけで、中井の踏み切りでおばあさんにぶつかりかけたスマホ親父を見たときは思わず声がでました。
2013-12-17 00:48:23メディアをいじっている間は、自分が空気読めない、非常にドンくさいものに落ちている、とよく自覚するのが大事と思う。私自身も子供時代、歩きながら本読んでて電柱にぶつかったりする常習犯だったので、人事でなくそれを思う。内側に集中するとき、しばしば人は思いやりの欠けた自己中になっている。
2013-12-17 00:51:13で、このごろのネットや携帯に過剰適応した中で、リアルな世界に五感を張り巡らせて、一人の相手を熱心に口説く・・・ただ押し付けがましいストーカみたいのでなく、ちゃーんと口説き落とす・・・のがとても苦手な人が結構いるんじゃないかな、という、さっき書いたお話に戻ってくるわけです。
2013-12-17 00:53:29.@Izumitaku 携帯というものが普及していない世界の人から見たら、相手がいないのに延々しゃべってるのは、統合失調的な症状に見えるかもしれません。実質それと同じことを恥じ気もなくやらかし続ける人が増えていることに、社会全体の分裂・乖離症状が見える気がします。ちょっとおかしい
2013-12-17 00:55:23これも言うと嫌われるかもしれないけど、昔の子供は空き地で缶けりとか、リアルな現実の中であらゆる禁じ手なしで遊んだわけですよね。ゲームみたいにあらかじめウソの世界が保障されているわけではない。だから色々気も配ったし現実のスリルというのもあった。それが大きく不足するのは如何なものか?
2013-12-17 00:57:40筑摩のご担当Nさんと今日お話していて「あいまいな時間・場所ガなくなったよね」という話題になった。目的の定まらない空き地、何をしろといわれない余白の時間。そこであれこれ労作して、子供なりに悪いことを一杯考えてガキは力強く大きくなるのだと、古い頭かもしれないけれど昔のガキの僕は思う。
2013-12-17 00:59:14逆に言えば、あいまいさの中で許される範囲があったわけですよね、昔は。それがほとんどない時間空間の中で育つとすると、すべてがゆるされていない、余地がない窒息的な状況になりはしないか。俺らの頃には家と学校の間にいくらでも秘密基地になるあいまいな場所があった。いまそんなのどこにあるか?
2013-12-17 01:00:48もし、そういう「目的不明のあいまいな場所」がたくさんある場所で育ったなら、それはとても幸せな事だと思う。中途半端な都市化などくそ食らえであって、特定の目的がない=子供が自分で目的から考えて遊べる余地のある時間と空間が、その子らしい生き生きとした人となりをはぐくんでゆくのだと思う。
2013-12-17 01:02:32酒鬼薔薇聖斗事件の直後近くまで行くことがあり須磨ニュータウンを歩いてみた。名谷駅から友が丘中学まで全部ウソっぽく人為的に作られた空間で「あいまい」な遊びがないのに改めて気がついた。その点直ぐそばにある「タンク山」は手付かずの場所に見え、過度の管理が少年犯罪を生んだ様な感覚を覚えた
2013-12-17 01:09:47例えば、昔の子供には「お医者さんごっこ」なる言葉が通用したけれど、今の都会の子供に同様の事ってあるのだろうか? よい意味でも、いろんな意味でも、昔の子たちとはちょっと違う経験になりそうな気がする。なんというか、お公家さん的というか、生の衝動も野の草の強さではない方向に流れる様な
2013-12-17 01:15:30世の中にはメールや電話がないと人の気持ちが判らないと本気で思っている人も出てきているのかもしれない。すごいことだ^^
2013-12-17 02:22:08