泉北高速鉄道の作り方

泉北高速鉄道が設立された経緯を @namihayanote さんが語る
電車 鉄道史 昭和時代
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なみはやノーツ @namihayanote
佐川が配達に来ないので、ここで泉北高速が出来た経緯をお話しよう。ちょっと面白いよ
なみはやノーツ @namihayanote
高度経済成長期、住宅問題は逼迫していた。大阪も、昭和30年代前半から、香里団地ほか、多数のニュータウンが建設された。大阪府南部にも、大阪府が主体となって、大規模な泉北ニュータウンの建設が決定。決定された年度は忘れたけど、千里ニュータウンよりも遅かった
なみはやノーツ @namihayanote
あまりにも規模が大きいもんだから(広さは千里ニュータウンよりも大きかった(はず))、域内の交通輸送がバスでは足らないことは明らかで、何らかの鉄軌道の輸送機関が必要になったわけ。で、大阪府はどうしたか……
なみはやノーツ @namihayanote
まずは国鉄に相談してみた。府:「今度、泉北のだだっぴろい土地を開発してニュータウン作りますねん。で、上野芝から泉北1号線言う道路作りますから、その真ん中に国鉄通してもらえへんやろか?」昭和40年頃のお話
なみはやノーツ @namihayanote
国:「こっちは赤字83線廃止問題とかごちゃごちゃしとんねん!地域の交通問題はウチらの仕事ちゃう。よそ当たっとくれ」 当時の国鉄は、新幹線の建設費が膨大に膨れ上がって、開通時の昭和39年から赤字転落。物価高騰の折、収支バランスが崩れてもめていた時でした。
なみはやノーツ @namihayanote
まだ労組問題が表面化していない時期でしたが、幹線を担当するという意識が強かった時代、国鉄は地域開発に特化する鉄道は引けない(東京はどうなんだという話はまた別ね)ことを理由に、断固拒否( ゚∀゚ω=====ヽ(´Д`;)イラネエヨ!! 暗礁に乗り上げます
なみはやノーツ @namihayanote
だから、泉北1号線は、上野芝からかなり広い道路が泉北ニュータウンへ延びていますよね。あれは、国鉄の鉄道用地として計画されていたからなのですよ。まあ、未成線といえば未成線ですけどね。国鉄が拒否ったあと、あそこにモノレールとかいう案もあったようですがね
なみはやノーツ @namihayanote
国に拒否られたあと、大阪府はどうしたか、、、、、、、、大阪市に相談したw
なみはやノーツ @namihayanote
府:「今度、泉北のだだっぴろい土地を開発してニュータウン作りますねん。で、おたくの地下鉄1号線(御堂筋線、この頃はまだ愛称は付いていなかった)、なんか車庫用地が足らへんらしいですなあ、うちとこの泉北ニュータウンに鉄道通してもろたら、車庫用地はいくらでも融通しますけどなあ」
なみはやノーツ @namihayanote
市:「いや、我孫子に用地は先行取得したところに車両工場は作りましたから、今のところは大丈夫です。。。。。。。。てかねー!大阪万博がもう目の前に控えてますんやで!こっちは市内に40キロもの地下鉄掘らなあきませんねん!そんなことより、万博までの江坂から先!はよ何とかしてくだはれ!」
なみはやノーツ @namihayanote
そうです。大阪市は、万博を目前として市内の地下鉄建設に総力を挙げているとき、御堂筋線の車両工場も、我孫子検車区建設で、一応解決済み。しかも、泉北ニュータウンへ地下鉄を通すとなると、まず、中百舌鳥までの通さないといけないが、、、、、その道すら完成していなかった
なみはやノーツ @namihayanote
市:「泉北ニュータウンへ地下鉄を通すのなら、まずは中百舌鳥までの道路を作ってください。それから、我孫子から先は大阪市外になりますので、別会社を大阪府で用意してください。で、開通は 「 1 0 年 く ら い 先 に な り ま す か ら 」
なみはやノーツ @namihayanote
実は、すでにニュータウンの入居は始まっており、鉄道が開通するのを10年も待っていられなかった。しかも、大阪市は、市外乗り出し区間は別会社とするという「北大阪急行」の例を作ってしまったために、ここでも暗礁に乗り上げた(実際はこのとき既に鉄道は府が作ることを見越していたようですが)
なみはやノーツ @namihayanote
大阪府は最終手段、南海に泣きついた。府:「泉北のだだっぴろい(略)」 南海:「なんか、儲からなさそうなんで……嫌」 府:「 ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!!!!」
なみはやノーツ @namihayanote
実は、南海はその時そんなにお金持ちじゃなかった。(今もそうかも(ぉぃ)。自社の土地開発で精一杯、新型車両は買えても、設備の貧弱さ、つまり輸送力を増強しないと乗客を捌ききれないという事情があったようで、巨大なニュータウン建設にしり込みしていたというのが現状のようです
なみはやノーツ @namihayanote
まあ、色々あったようですが、最終的には南海が折れて、ニュータウン内の新線は大阪府が責任を持って作ってください。南海はなんばまでの各駅のホーム延長、大型車両入線可能にしますから、府の車両をなんばまで乗り入れさせてください。みたいな感じで決着したようです
なみはやノーツ @namihayanote
えー、泉北高速のお話で、一部訂正箇所があります。まず、大阪府が国鉄に新線建設を要請していた時期が異なります。ニュータウンの計画が公表されたのが昭和36年。マスタープランが昭和39年に策定されたようですので、その間に国鉄には話が行っているはず。数年のズレがあります
なみはやノーツ @namihayanote
というわけですので、大阪市に地下鉄を延伸してくれと頼んだのも同様、昭和36~39年までの間ということになります。どちらにせよ、国鉄は地方開発のための新線建設はしない方針であったし、地下鉄も万博開催前で、建設に余裕がなかったのは同じです
なみはやノーツ @namihayanote
もうひとつ、南海が取った行動ですが、当時南海は大事故と立て続けに起こし、新線建設など無理っぽい状況もあったとの指摘を受けております。この点も加筆しておきます。
なみはやノーツ @namihayanote
予断ですが、なので、泉が丘がカーブに駅を設置したり(見通し悪いんだから、大阪市交は絶対避けるべきだと主張したけど、大阪府はここに駅を作ることを予定していたから断固拒否した)、中百舌鳥の手前のため池をトンネルでくぐったりするのは、苦肉の策だったんですよねー
なみはやノーツ @namihayanote
南海の大事故の件、ちとこちらで検索していましたが、南海三大事故と呼ばれているらしく、樽井の踏切事故、天下茶屋の信号冒涜など、昭和42~43年のお話ですな。時期的に合わないので、これによる新線建設の尻込みはない。ということになる

コメント

甘党猫が通りますよ @Future_Men 2013年12月18日
大阪市・大阪府の鉄道の昔話を聞くと、なんかいつもグダグダになっている気がします。全国どこでもそうなのかも知れませんが、数が多いだけいろんなエピソードがあるみたいですね。
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