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北守 @hokusyu82
かぐや姫の物語を見てきました。とりあえず天皇が気持ち悪いセクハラオヤジとして描かれていたのが良かったです。
北守 @hokusyu82
日本のアニメ業界の中で、天皇制という根源的問題に真正面から取り組めるのは高畑勲ぐらいしかいないですからね。後継者がいないのはつくづく残念ですね。
北守 @hokusyu82
ここ数年のアニメにおける「月」の表象について、数作品をあげて比較したら新書一冊できるんじゃないでしょうか。
北守 @hokusyu82
興味深い対談。高畑の最後のコメントは、シュミットのドイブラー論を想起させる。 高畑勲×久石譲…映画と音楽、その“到達点”へ : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://t.co/nDXMg7XJDV
hhasegawa @hhasegawa
『かぐや姫の物語』は、基本的に『竹取物語』のエピソードを忠実に再現するなかで敢えて採用されなかった部分に目を向けるとおもしろいのでは。例えば、天皇が贈られた不死の薬を富士山で燃やす話は削除されており、『王の二つの身体』のうち恒久的団体を体現する政治的身体を否定しているとも読める。
hhasegawa @hhasegawa
(承前)東アジアの律令制国家の使者として図像化される傾向にある『竹取物語』の月人は、『かぐや姫の物語』では明確にインド的仏国土の住人(金髪のアーリア人!)である。月を仏教的な天界とする構図も文学的伝統ではあるが、これを『竹取』に導入すると、必然的に天皇の地上との対比が形成される。
hhasegawa @hhasegawa
(承前)ちなみに、天皇という超越者が君臨する世界の背後に月を象徴とするニヒリズム的世界が存在し、前者は絶えざる侵犯にさらされるが後者はあらゆる侵犯を無効化してしまう、という図式を基盤とする小説が、同じく月を主題化した『豊饒の海』であった。政治的立場を異にする両巨匠の不気味な接近。
hhasegawa @hhasegawa
高畑勲作品では『ハイジ』でのアルプスとフランクフルトのごとき二項対立が疎外論的に用いられるとの指摘があるが、『かぐや姫の物語』では山里・都・月の三項図式であって、山里は都の権力に、都は月の宗教権威に、月は山里の自然生成力に及ばない三すくみ構造が成立し、かつてない奥行を与えている。
hhasegawa @hhasegawa
(承前)なお、『かぐや姫の物語』の山里に顕著なのは、農耕描写がないことと思われる。田畑は存在しても盗み食いの対象でしかなく、竹取翁は律令制の口分田システムから排除された採集民であるという指摘(柳田國男)を踏襲しているわけである。同時に、月と農耕という神話学的連関は切断されている。
北守 @hokusyu82
生成と死を繰り返すという円環は、里山=大地の属性の中に含まれていたと思います。ただ、死せる天体としての月からはそれは切断されており、生と死の円環はErde/大地のみを示すのです。 @hhasegawa
北守 @hokusyu82
「かぐや姫の物語」と「叛逆の物語」は比較されるべきだろう。前者は三項対置https://t.co/GF7NKJfyioであるのに対して、後者は双極性http://t.co/oX3IIgGSeEである。
北守 @hokusyu82
「かぐや姫の物語」では月は"清浄"の世界として、生の世界たる大地と偽の世界たる天皇制国家に相対する。他方で「叛逆の物語」では月は天なる大地であって、それに対する父権制は存在しないことになっている。
北守 @hokusyu82
ただ、図式は違えど両者における中心的テーマが、大地=母権的な潜勢力の偉大さにあることは疑いえないだろう。「かぐや姫の物語」において、生の円環は確かに知らぬ間に侵した罪に対する罰なのであるが、かぐや姫は罪を自ら引き受けることによって、それを肯定する。
北守 @hokusyu82
罪を自ら引き受け、生の円環を肯定することこそ、月の"清浄"なるニヒリズムを脅かす唯一の武器なのである(月における唯一の悲しみとは、痕跡としての地上の歌なのである)。ただ、月の世界に打ち勝つには、その肯定は遅すぎたのだろう。
hhasegawa @hhasegawa
仰るとおり。生死の円環は、農耕としてではなく、もっと原初的で非人為的な動植物の生態として現れているのですよね。「まわれまわれ」と始まるわらべ歌の意義もそこにあるわけで。ただし、月は生成と無縁なニヒリズムの世界とされるので、円環の秩序とは無縁ということになる。 @hokusyu82
hhasegawa @hhasegawa
『かぐや姫の物語』の「天女の歌」の「まつとしきかば今かへりこむ」の出典は古今集の在原行平の歌で、これは後に行平と海女姉妹の悲恋物語のなかに嵌め込まれる(謡曲『松風』)が、映画では松=待つを媒介に『松風』と『羽衣』が接合されている。監督の古典文学への親炙をうかがわせる仕掛けである。
hhasegawa @hhasegawa
『かぐや姫の物語』感想(http://t.co/ciEoA3vQF4)追加。これを見て泣くのは素人という宮崎駿の感想(http://t.co/gW4pNMxiLM)がニュースになることに驚く。どう考えても、反感情移入ないし異化効果を企図した作品に対するごく通常の反応だからである。
hhasegawa @hhasegawa
(承前)高畑勲は『漫画映画の志』(http://t.co/socqvA8CUp)で、ブレヒトと花田清輝の名前を挙げつつ、感情移入を拒むアニメを目標とすると述べている。なお、同書で感情移入型の到達点とされたのが宮崎駿だったが、『風立ちぬ』ではむしろ高畑寄りになっているのではないか。

コメント

漂浪 @hyoulou 2013年12月20日
まとめを更新しました。
漂浪 @hyoulou 2013年12月23日
まとめを更新しました。
山崎茂 @vivelejapon 2015年3月19日
感動しました。よかったです。子供がいきなりかぐや姫にならずに、少女時代(「たけのこ」と呼ばれてた時代)を長く取ったのがよかったのかな。都のお屋敷ではしゃいでる姿は、かぐや姫になる人には見えなかったですから。あれで何というか、我が子の成長を見るような感情移入ができたのでしょう。月に連れ戻される場面は泣いてしまいましたから。
山崎茂 @vivelejapon 2015年3月19日
「穢れた地上」に憧れたのが姫の罪というのなら、まだ居たいと思った時点で刑期が延びる、罰として「穢れた地上」により長く居させられる(長く居れる)と思うんですが、そうではないんでしょうか?
北守 @hokusyu82 2015年3月21日
vivelejapon 罪と罰の関係を定めた法[交換]は、人の意図を超越し不文律なものとして適用されます。知らぬままに罪を犯し地上へ堕とされたかぐや姫は、知らぬままに月への帰還を願い連れ戻されるのです。
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