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田川滋さんによる「機会主義者」の問題点

明治からこっち、日本は「機会主義者」としてやってきたのかなあと思う。煎じ詰めれば歴史上のほとんどの「悪」は、「機会主義者」的な動機が働いた物だったのかもしれないとも思うけど。 それはともかく、ここではキャラクターとしての「機会主義者」を考える縁とするために、自分のための覚書としてまとめてみました。
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田川滋 @kakitama
お祝い事で、日本のアルプスの方面に行って戻って来ました。とても興味深い哲学を持った施設を見て来ました。気管支炎らしい微熱のまだ残る中、色々な事が頭に浮かびました。”お筆先”のように言葉が浮かぶのは、正に”熱”がドライブになっているのだなあと言葉の意味を実感しています(^^;。
田川滋 @kakitama
人間が考える事は「主観」そのもの。その中の「客観」とは脳内仮定のバーチャル概念でしかない。あとはその正当性をいかにどれほど「確信」出来るかと言う、「信仰」の領域となる。RT @Schopen_bot: そもそも客観というものは、主観の表象として、主観に対応して存在するにすぎない。
田川滋 @kakitama
続)「己が信ずるもののために戦う」とは、そう言う事だろう。「信ずるもの」には物理的客観的な根拠は無い。有り得ない。従って他人に同意を求める事は出来ない。ただ、これまでの”生活”で自分が得たと思った知見を総動員して「信ずるに足る」と思えるかどうか。この一点にかかっている。
田川滋 @kakitama
まだ我ながら面白い様に筆がスベる(^^;。
田川滋 @kakitama
続)”十字軍”も”日本軍”もまず「己が信じるもののため」に戦おうとしただろう。じかし現実に”試される”事により、世界は己を含めてカオスである事を知る。この”世界”をどう生き続けるか。見えた現実の方を糊塗するか。「信ずるもの」の方を改め、バージョンアップするか。(続
田川滋 @kakitama
続)前者は、”すぐよく効く”ので多用される世俗的な知恵だ。「臭いものはフタをする」。一方後者(信条のVerup)は苦痛を伴うので難しい。苦痛で済めばいいが、最悪の場合考える者の精神を”崩壊"させる。verupに失敗して壊れた精神は「ニヒリズム」あるいは「機会主義」となる。(続
田川滋 @kakitama
続)「機会主義」とは「その場の状況に応じて主張をコロコロと変えること」。”日和見”と訳すと軽薄なだけに思えるが、そうではない。「現実を無原則に追認する事で、次の一瞬の現実をより優位にする」最も透徹した生存戦略だ。「信ずるもの」を持つ身には、最も恐ろしい存在だ。(続
田川滋 @kakitama
続)この自分が考える「機会主義者」について、自分の確信と責任をもって、具体的な名前を挙げてもいい。例えば。 ワタミ社長。 橋下大阪市長。 この人達がどう言う言葉を残しているか、 時系列を追って再検証してみる事は、興味深いだろう。 (続
田川滋 @kakitama
続)「機会主義」は、いかなる現実状況にもその次の瞬間に最も早く適応し、「ちょっと先の未来」に最も早く備える事が出来る。心に”信ずるもの”に依る葛藤が見受けられず、感覚的に知覚出来ないらしい「長期」は無視する。生物学的に見れば、「言葉を話す魚や虫の様な行動」に近いかも知れない。(続
田川滋 @kakitama
続)「機会主義」にとって”子どもたちの未来”や”国家百年の計”と言った概念は空言だ。不確定要素が多過ぎて存在を”証明”できず、従って自分の短期的利益に結び付けられないからだ。ただし利用できる場合はある。それを信ずる者に対して、言語の技巧として「用いる」時だ。(続
田川滋 @kakitama
続)「機会主義者」とは、自らは何も「信ずるもの」が無いにも拘らず/むしろそれ故に、機会に即応しあらゆる信条を体に”貼ってははがす"者。それが生存の為の最適化だとは、「信じて」いる。ここに「意思」があるとしたら、それは無知性生物の万年単位の「種の意思」の様なものかも知れない。(続
田川滋 @kakitama
続)「自らには何も信ずるものが無い」と表明するニヒリズムは、むしろそれを自ら表明する「信義」を持っている。「機会主義」にこの信義は無い。自らの核心を確信を持って(│・・)チラッ)隠し、迷彩を施す。(続
田川滋 @kakitama
続)漫画等で描かれる「善と悪との戦い」とは、内心に感じる「不正」や「不安」と言った概念に"悪"という一つの形を与えて、親切にも悪を名乗らせ、それを”乗り越えるべきもの”として表現する、一種の「神話」だ。その核心は”内面の葛藤”にある。しかし、この方法では描けない”悪”がある。(続
田川滋 @kakitama
続)それが「機会主義」と言う”大悪”だ。人類はまだ”葛藤”を用いずに一般的なドラマを作る方法を殆ど発明していない。しかし「機会主義」は自身が”葛藤を利用”するメタ的存在であり、葛藤の網を簡単にすり抜ける。”ドラマにならない”のだ。(続
田川滋 @kakitama
続)ドラマに登場する「機会主義者」が明確に人倫に外れる行為に踏み出すと言う"誠実さ"を見せてくれればそれはドラマになり得る。例えば手塚治虫「バンパイヤ」のロック。「ヴェニスの商人」。しかし彼らの目的が「人を殺す」事で無い些事だったら。「人を殺す」部分しかドラマになっていないのだ。
田川滋 @kakitama
続)通常のドラマ作りでは「機会主義者」の姿は、いつの間にか正義の側についていたり、有利になった正義の側の後ろで”やっちまえー”等と尻馬に乗る「お調子者」としてその尻尾を描く事しか出来ない。これはむしろ読む者に「機会主義者である事の許しを与えている」とも言える。(続
田川滋 @kakitama
続)「未来少年コナン」で、宮崎駿監が「悪人ってのはああ言う人では」と指していたのは、インダストリア市民の「ルカ」。何をしていた人だったか、覚えていますか。「機会主義者」とは多く、我々自身の事。お金を出した漫画を買った人の「悪を直接問う」。それは商売としては、ちょっと出来ない。(続
田川滋 @kakitama
続)『空飛ぶゆうれい船』で、主人公達は「ボアを育てていたのは僕たち自身だった」と気づく。そして現れた悪の本体「ボア」とは、ただの”巨大な貝”だった。一体何のことなのか。今はなんとなく、連想が浮かぶ。「反」ではなく「無」。無知性。無道徳。悪の本体とは頭に”無”が付くものの事だ。(続
田川滋 @kakitama
続)『空飛ぶゆうれい船』の悪の本体「ボア」である巨大な二枚貝は、残された主人公たち、即ち人類の全力の反撃によってその姿を海底から顕わにし、いったんその管で息を継ぎ、再び海底に、今度は恐らく少し深く、姿を隠す。姿を消した先とは、あの「虚無の深淵」なのかも知れない。(了

コメント

ゆうき まさみ @masyuuki 2013年12月23日
田川滋さんによる「機会主義者」の問題点をまとめて、公開しました。
かがみトノサマ古墳時代(CV黒沢ともよ) @kagamimasashi 2013年12月23日
機会主義者と現実主義者とどう違うのだろう?
吟剣詩舞人 @ginkenshibu 2013年12月23日
機会主義者の定義や考察はともかく、「空飛ぶゆうれい船」のラストの解釈に激しい違和感が。そんな暗示してたっけ?妄想入ってないか?
inatak @inatak 2013年12月24日
ルカを思い出すのに少し時間がかかった。 あれをお前だと突きつけますか。 じぶんは、インダストリア地下の下級市民ですらないのか。
メー @haruhiz 2013年12月24日
ルカってサリットをクレーンで潰して(確証なし)「事故だった」という人。機械主義者には自分の歴史はない。一貫した人格を持たなくてはならないという信念がないので、自分で殺したのに本気で「事故だった」と思い込むサイコパス系の能力者みたいなことができる。
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