- SeisyoSeisyotan
- 6173
- 0
- 0
- 10
クリスマスの夜、イエスをお腹に宿したマリアとヨセフ夫婦は宿屋が満室になっていてどこにも泊まれなかった。聖書紙芝居などでよく見る光景です。 「トントントン、泊めてください」。 「ごめんなさい、うちはもう満室です」。 http://t.co/qnRqKKs5yj
2013-12-23 01:12:50でも聖書には「宿屋が満室であった」とは一言も書いてありません。 「彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。 宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」(ルカ2:6-7)
2013-12-23 01:14:37満室かどうかにかかわらず「彼らの泊まる場所がなかった」のです。なぜか?それは旧約聖書、律法(ユダヤ教の法)の規定に照らしてみる時、 彼らが泊まれなかった別の側面が見えてきます。
2013-12-23 01:16:00旧約聖書レビ記12章には、産婦は7日間汚れたものとされ、出血の汚れが清くなるまでに必要とされた33日間、 家の中に留まらなければなりませんでした。女の子を出産した場合、更に倍の期間、家から出るられません。出産は喜びですが、同時に女性にとっては汚れの期間とされたのです。
2013-12-23 01:17:28宿屋はそんな人に部屋を提供していたら商売になりません。 他のお客さんは汚れを避けて、その宿屋には泊まらないわけですから。 いま住民登録の帰省客が大勢ごった返している、絶好の書き入れ時に、 出産直前の女性を泊めて、 部屋を汚したくはないと考えるのは当然でしょう。
2013-12-23 01:19:27例え部屋は空いていても、泊めたくない理由がそこにありました。 「トントントン、泊めてください」。 「帰った、帰った!(いつ宿屋を汚すかわからない)あなたたちなんか泊めるわけにはいかないよ!」 マリアとヨセフ、そして幼子イエスは、そのように締め出されてしまったのです。
2013-12-23 01:20:22これは過去の物語ではなく、現代にも起こりえる風景です。元ハンセン病患者の人びと、放射能汚染地域から引越した人びと。偏見に満ちた差別を受けて、締め出されてしまう人々の姿は、宿屋に泊まれなかった聖家族の姿と重なり合うものです。
2013-12-23 01:23:03マリアとヨセフそして幼子イエスには単に部屋がなかったのではありません。 彼らには、自分の居場所がなかったのです。 「あなたはここに居るべきではない」。 そうやって、はじき出され、追い出された存在です。自分の居場所を奪われてしまった人たちです。
2013-12-23 01:25:02福音書を読んだことがある方は想像してみてください。大人になったイエスが出会った人たちには居場所があったでしょうか。 もしこのクリスマスの夜、 彼らがベツレヘムに来ていたら宿屋に泊めてもらえたでしょうか?
2013-12-23 01:26:10悪霊に取り付かれて墓場で鎖につながれていた男。 38年間出血が止まらず、汚れた病とされて家から出ることも許されなかった女性。 罪深い女とされ売春を職業としていた女性、 徴税人でユダヤ人の敵と憎まれていたザアカイ。 イエスが出会った人たちは宿屋に泊まれそうもない人ばかりです。
2013-12-23 01:27:32居場所が失われた人生を生きなければならない人たちにとって、イエスもまた同じように追い出され、はじきだされて家畜小屋の 飼い葉桶に産まれ落ちたことは、どれだけ大きな慰めだったことでしょう。
2013-12-23 01:29:57この飼い葉桶こそ、神の国の豊かさ示しています。 本人にはどうしようもできない理由で、はじき出されてしまった人々が 誰彼となく招かれて受け止めてもらえる場所。 それがイエスが生涯をかけて伝えた神の国であり、クリスマスのこの飼い葉桶の意味です。
2013-12-23 01:32:13イエスは飼い葉桶から生まれ育ちました。 そして大人になり、同じように宿屋から締め出されるような人々と、真っ先に友になり、 神の国はあなたたちのためにあると伝えます。 やがて十字架へと追いやられて、殺されてまで 小さく貧しくされた人びとに寄り添い続けました。
2013-12-23 01:34:12居場所を失い痛みを抱えた人々が、そんなイエスに出会う中で ”こんなわたしが生きていて良いのだ。” ”わたしと共に生きてくれる人がいるのだ”と、人生を回復していきます。その原点はクリスマスの飼い葉桶にあったことをお伝えして、聖書たんのお話しはひとまず終わり。続きはまたいつか♪
2013-12-23 01:35:48