池田浩士氏 講演 『象徴天皇制と直訴思想について』 / 天皇誕生日祝賀反対12・23大阪集会―戦争天皇制と直訴の思想を撃つ―

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おはら野国‐大統領はハナ @owaranoT

【天皇誕生日祝賀反対12.23大阪集会 戦争天皇制と直訴の思想を撃つ -講演 象徴天皇制と直訴思想について/講師 池田浩士】 素晴らしい横断幕じゃないか! ボク読めるよ。 http://t.co/fTc5JSm8OU

2013-12-23 21:17:14
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おはら野国‐大統領はハナ @owaranoT

氏が冒頭に切り出したように。天皇は「戦争」と「差別」であった。新憲法における「象徴」は、シンボルの原義メダルの割符が相重なるように、国家の主権者が天皇から国民主権者と変わる中で、和讃する存在へと(悪しき)変化を遂げた。戦争のできる国から戦争をする国へ変貌した。

2013-12-23 21:23:39
おはら野国‐大統領はハナ @owaranoT

【直訴の思想を撃つ】戦前、国家の主権者は在天皇の明治憲法下、田中正造は帝国議会において足尾鉱毒事件をとりあげられないが故に、主権者天皇に提訴した=直訴。国民主権者の現憲法の下で、天皇に提訴するのは、主権者である己と国民を否定することである。そのことのあまりの無自覚は断罪される行為

2013-12-23 21:32:45
urokosmile @urokosmile

池田浩士さん。声に張りがあって、丁寧に平易な言葉で話してくださって、とてもよかった。もっと学生さんとか、若い人に聴いてほしかった。ちょっとメモ代わりに連投します。たくさんになっちゃうかも。すみません。

2013-12-23 20:44:34
urokosmile @urokosmile

①1923年に関東大震災が起き、これを絶好のチャンスとばかりに当時の国家権力は治安強化を行い、中国大陸への侵略を本格的に開始した。そして1941年の12月8日を迎える。ここまでが18年。大正デモクラシーがとどめを刺され、転向者が侵略戦争を支えた歴史。

2013-12-23 20:51:45
urokosmile @urokosmile

②1994年戦後2度目の社会党内閣が発足。そこから現在の安倍内閣までも、また18年。社会を支えてきた信頼できる先輩たちが、ここでもなだれをうって転向してきた。現在は飾り物が剥ぎ取られた状態。極寒の時代の中に生きるわたしたち。禿木になっても、幹と根を決して枯らさないで生きるには。

2013-12-23 20:59:22
urokosmile @urokosmile

③新編国語読本尋常小学校児童用ー1901年ーを資料に(1904年以前のため、国定教科書ではなく、帝国書籍という出版社が出している)明治憲法下にあったためこんな記述が。「コノ幸ハミズカラ得タルモノニアラズシテ、ミナ、天皇陛下ノ御賜ナルコトヲ知ラザルベカラズ。」→

2013-12-23 21:09:28
urokosmile @urokosmile

③→「コノ幸」とは府県に知事が置かれていること、郡市町村に長がいること、議会が開かれていること、世界と交易していること、汽車や電信、電話が発達していること、多くの学校が出来ていることなどなど。「国を治め給ふ御方は、天皇陛下なり。」

2013-12-23 21:13:55
urokosmile @urokosmile

④尋常小学国語読本ー1918年ー文部省は、大正デモクラシーの最中の教科書。建国神話などの記述はないが、さるかに合戦を掲載。武家政治で重要視された仇討ちの物語。暴戻(乱暴で道義にもとる)を庸懲(ならずものを懲らしめる)する話を載せる意図は、中国への侵略を意識しているということ。

2013-12-23 21:29:10
urokosmile @urokosmile

⑤尋常小学国語読本ー1919年ー文部省(同年5月南洋群島を獲得)「・・神のみすゑの天皇陛下われら国民七千萬をわが子のやうにおぼしめされる(略)天皇陛下を神ともあふぎ、おやともしたひてお仕え申す」ここでは「臣民」としてのあり方、心得などがしめされている。

2013-12-23 21:35:05
urokosmile @urokosmile

⑥このように歴史ごとに何が成されようとしてきたのか。天皇がどのようなイメージでわたしたちに刷り込まれようとしてきた(きている)のか。現在は明文化されているように「象徴」であるが、戦争をする・させられるわたしたちと、天皇との関係を考える。わたしたちは戦争を知らずに支えてはいないか。

2013-12-23 21:39:55
urokosmile @urokosmile

⑦「象徴」を表すsymbolとはギリシャ語が語源。メダルなどが割れたとき、割符のようにぴったりと合致する「片割れ」というのが本来の意味。天皇が象徴なら、その片割れとして位置するのは「臣民」としてのわたしたちではないのか?

2013-12-23 21:44:18
urokosmile @urokosmile

⑧福澤諭吉の天皇制論「帝室論」と「尊王論」の刊行経緯。1882年5・13「帝室論」御届(届ければ検閲なしで出版できた)。1888年10・23「尊王論」出版。1911年2・3「帝室論・尊王論」発行。この日は10年前諭吉が亡くなった日であるが、9日前大逆事件が起きている。→

2013-12-23 21:50:57
urokosmile @urokosmile

⑨→大逆事件は皇室の尊厳を脅かすものとして非常に打撃を与えるものだったため、刊行にもこの事件が意識されていたはず。さらに「帝室論」収載の「日本臣民の覚悟」が1942年1・10(前年の太平洋戦争開戦の直後)発行される。

2013-12-23 21:57:01
urokosmile @urokosmile

⑩「日本臣民の覚悟」で諭吉は、天皇は政治や政党に利用されない、日本人民の精神をまとめてひとつにする、勧賞(功績のある人を誉める)する存在であるべきと書いている。これは戦後明文化される前にいちはやく「統合の象徴」としての天皇を思い描いていたということではないか。

2013-12-23 22:05:10
urokosmile @urokosmile

⑪「勧懲賞罰」のうち、天皇がするのは勧賞のみと諭吉は主張した。いいことをした人が報われなければならないというのだが、勧賞は叙勲につながる。これは国民が皆等しく平等な天皇の子であるという建前と矛盾してはいないか。ここで差別が発生している。

2013-12-23 22:25:31
urokosmile @urokosmile

⑫わたしたちはどう生きていくのか?山本太郎の「天皇への直訴」、石牟礼道子の「美智子への手紙」を考えるとき、わたしは彼らを批判、断罪する。田中正造の時代は、天皇が唯一の主権者だった。ひきかえ現在は誰が一番の主権者なのか。彼らは自分達がどういう時代に生きているかわかっているのか。

2013-12-23 22:35:07
urokosmile @urokosmile

⑬天皇が政治的に大きな力を持っていることを彼らは容認、追認したという点でわたしは批判する。さきほどの尋常小学校の教科書の時代に逆戻りしているではないか。また、彼らは根源的な差別構造にのって行動した。そうしたことに全く無自覚に。

2013-12-23 22:41:12
urokosmile @urokosmile

⑭園遊会をとってみても、あれはたとえばワイマール憲法に書かれた国民相互の平等とはかけ離れたところにある。自分の社会的地位に無自覚である。テロとは呼べない。園遊会に参加できるという特権を持っているのだから。

2013-12-23 22:47:01
urokosmile @urokosmile

⑮石牟礼道子にしても、美智子の隣席に並べる立場に自分がいるということに無自覚すぎるのではないか。彼女のことを悪く言いたくないし、とてもつらいが言う。特権的であり、ロイヤルファミリーに自分も連なっていることの意味をもっと彼女は考えるべきだった。

2013-12-23 22:53:19
urokosmile @urokosmile

⑯親としての天皇のもとにこれからもわたしたちは生きるのか?一度目は悲劇として、二度目は喜劇として、というが、天皇の戦争責任を総括していない、新しい関係を作れていない現在は、喜劇などではなく取り返しのつかない悲劇なのではないのか。象徴をわたしたちが支えているのではないか。

2013-12-23 23:01:54
urokosmile @urokosmile

⑰コミュニストたちは、「スターリンがこのことを知っていたら粛清を止めてくださるのになあ」と言ったという。隠れた王様は今は力をうばわれているが、そのうちあらわれてわたしたちを救ってくださるだろうという期待。これは現在の天皇制を支える人間にもつながる考え方ではないか。

2013-12-23 23:13:20
urokosmile @urokosmile

⑱「お優しい皇室」にこれからもわたしたちの生き方をゆだねて生きるのか。本当にそれでいいのか考えるときである。(おわり)

2013-12-23 23:20:30
鷲尾 拓 @prolegomena1783

本日の池田浩士さんの講演の内容を思い切り圧縮して表現すると、象徴天皇制という、実は強力に政治的に市民の中に内面化された権力機構に、どうやって市民は対抗していくべきなのか、ということだったと思う。

2013-12-23 22:27:52