ICC「都市ソラリス」展 @10aka_
- qwertyu1357
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ICC「都市ソラリス」展、土曜にお邪魔したのだけれど、加治屋健司氏による磯崎新氏の空中都市とボワ&クラウスのアンフォルム論とを接合する試み、とても刺激的だった。私が前から3Dプリンタの水平スライスの建築デザインへの影響について妄想していたこともあって。以下自分整理用。(→
2013-12-24 23:27:54両者は完成形の想定の否定や非固定的視点等の点で共通するが、後者の主要概念のひとつ、「水平性」について。それは芸術家の観念を形として固定せんとする絵画の「垂直性」の否定、重力に屈した物質の散乱、猥雑な床面。これを空中都市に重ねるにあたり、横暴ながらこの用語を字義通り受け取ってみる。
2013-12-24 23:28:49空中に伸びあがるその都市の想像図は、一見水平どころかむしろ(その足元を水平に覆う既存の都市との対比と相俟って)極めて垂直的・ドラマチックな姿を誇示しているようにさえ見える。同じ席で日埜直彦氏も「面から空間へ」という表現で空中都市を評していた事実も。これをどう理解するか?(→
2013-12-24 23:30:23ではアンフォルム論が実際に「水平性」という用語に託していたイメージはというと、例えばポロックのドリップ絵画。都市設計者の地図が広がる机の下、土足で踏みにじられマテリアルをぶち撒けられた床面の、あらゆる含蓄を逃れ遠近法のイリュージョンを拒む猥雑さ。(→
2013-12-24 23:31:38地表は、確かに自然状態ではエントロピーの法則に屈して水平的猥雑さへと落ち込む運命にある。しかしそれを地図に表象した途端、それは机上、設計者の観念を固着させんとする諸手の内へと納まって、垂直的なイメージへと昇華される。(→
2013-12-24 23:33:23ところでポロックのドリップ絵画を踏まえ、1964年の日本ではハイレッド・センターが「ドロッピング・イヴェント」と称して屋上から地上に向かって日用品を放り投げた。そして更にそれを踏まえ、2011年に「新・方法」は「アップローディング・イヴェント」なる活動を遂行した。(→
2013-12-24 23:35:27ここで注目したいのは、このイヴェントが明示的にドロッピング・イヴェントを参照した活動でありながら、その「画材」が放り込まれるのはもはや床面や地表といった水平面ではなく、ウェブ空間であり、そこには「空間」の名が許されている点である。 (→
2013-12-24 23:37:42かつて観念を脱し重力に屈した物質の行き着く先であった地平面は、しかし法規と街区とに隅々まで覆われた現代、もはやその猥雑の象徴たるリアリティを失ってはいまいか。そして新たな無秩序の舞台として座標軸の圏外たる空間が立ち現れた現代、空中都市はアンフォルムとして強度を再認されよう。 (→
2013-12-24 23:40:07ただしここで最後の連想。梅沢和木氏の画面。初期作品の無軸空間的猥雑さに満ちたそのオールオーバーの画面はしかし、近年その内部に地表と空とを背景としてしつらえて、何やら再び形を、垂直性を、獲得しつつはあるまいか。新たな空間に新たな平面を架け渡すことができるというのか。(→
2013-12-24 23:44:31関東大震災後の水平に考現学を生む今和次郎? 戦後の水平に復興を宣言する太陽の塔? ウェブ空間の水平に再び「床」を敷設する梅ラボ? それではあの床は、水平は。アンフォルムの運命やいかに? でも私、布団は床に敷きたい。
2013-12-24 23:46:54梅沢和木の絵画が、欲望された記号の「不可避的なゴミ化」を扱っているようにも「不可避的な情報化」を扱っているようにも見えるという両義性の問題は、たとえば『ツナミの塔』が平面的(フラットベッド的)にも立体的(イリュージョン的)にも見ることができるという問題とパラレルなのではないか。
2013-12-27 18:58:59