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早川由紀夫 @HayakawaYukio
「ただちに健康に影響ない」と言って「食べて応援」させて、応援しないひとたちを「風評被害」だとなじったのだから、独立した個性を持つ国民が政府による今回の放射能対策を信用することはむずかしかった。個性を持つ国民がこのリスクを過剰防衛したのは、予防原則に照らして、理にかなっている。
早川由紀夫 @HayakawaYukio
放射能汚染地図は科学によるリスク評価の結果。これは客観的だ。評価は後世の検証に委ねる。「福島米は危険」は主観によるリスク管理だった。結果的には過剰だったが、あのときあの私のリスク管理に誤りはなかったが今朝の私の主張。
早川由紀夫 @HayakawaYukio
「福島米は危険」を私自身が広報せずに、放射能汚染地図だけを世に送り出したらどうなったかには興味がある。リスク管理には一切触れずにリスク評価だけを世に出す選択を取った場合だ。ただし私は、そこに留まることに耐えられなかっただろう。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa
早川さんの福島米の生産・流通への批判は「合理的に達成可能な限り被曝を低く抑える」という被曝防護の原則に適っていた。主食である米の管理が不合理であれば何もかも不合理になる。「食べて応援」の感情的流れが形成されることに対する健全なレジスタンスでもあったと思う。
早川由紀夫 @HayakawaYukio
↑ 福島米作をいったん中断することが「合理的に達成可能」だったかどうかで意見が分かれるのであろう。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa
汚染米の生産を停止し東電・政府による迅速な賠償に方向付けることは、被曝防護にとって合理性があるのみならず社会的な問題解決の方向としても合理性があった。これに対し、津波瓦礫の拒絶には被曝防護の点でも社会的にも合理性がなかった。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa
@HayakawaYukio 現に自主的に米作を停止していた地域や農家があったのですから、不可能なことでは無かったと思います。
早川由紀夫 @HayakawaYukio
@KutaroMichikusa いや、個人レベルの判断ではなく、社会としての判断を問題にしました。子どもの健康よりも経済を優先させる判断は、社会としてありうると考えます。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa
@HayakawaYukio 社会として採用する合理性は世論(多数意見)に拠るところ大ですが、誰かが世論の核となる石を投げなければならなかったと思います。結果として米作停止を社会として採用するほどの世論とはなりませんでした。
早川由紀夫 @HayakawaYukio
@KutaroMichikusa 合理性はあったと思います。倫理的にだけでなく経済的にも。しかし、強大な利権に阻まれて多数意見になれませんでした。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa
@HayakawaYukio 流通産業であるJA、JAや行政(お上)に対し従属的な農家という(日本農業の?)構造が大きかったと思います(TPPでは到底生き残れない)。
早川由紀夫 @HayakawaYukio
福島中通りの米作地帯がチェルノブイリに匹敵する放射能に汚染されたことを、2011年4月に私は誰よりも早く的確に知った。そして自分が知ったことを、私に可能な限りすみやかに詳しく広報した。
早川由紀夫 @HayakawaYukio
2013年になって、チェルノブイリ程度の放射能汚染では米作にたいした不便が生じないことがわかってきつつある(ほんとかどうかはまだわからない)。放射能汚染の程度は初期に的確に把握できた。ただし、その汚染が及ぼすだろう被害の見積もりが過大だった。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa
農家の顧客が消費者ではなくJAなどの流通産業である、という間接構造が強ければ強いほど農家の消費者に対する当事者意識や責任意識は薄まり、批判や忌避が「自分たちの問題」として切実感をもって受け止められにくくなるのではないかな。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa
安心安全を担保するとして近年流行りの「顔の見える生産者」路線も、肝心な時には流通産業の影に隠れることが可能なんだと思う。

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