日本海軍と徹甲弾~91式徹甲弾に至る道~

また「海軍製鋼技術物語」(堀川一男氏)からの転載です もうみんなこれ買って手元に置いてくれると話が早いんで(
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JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

EXCELセンセの流れで徹甲弾の製造について調べるなど 日露戦争の頃までは海軍の艦砲が使用しているのはすべて輸入した徹甲弾だったのね 仏ファース社から買い入れた鋼材を日本で熱処理した弾頭とファース製弾頭では優劣がなかったが、呉で製鋼した素材から作った弾では合格率はゼロだったと

2013-12-30 00:52:12
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

この話は6インチ弾の場合で、12インチの場合だと輸入材であっても国内焼入れでは射撃試験で弾頭も装甲板も共に破壊してしまった、と これでは輸入するしかないわけだ

2013-12-30 00:54:57
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

日本の徹甲弾製造は三景艦購入の翌年1895年頃から始まり、翌96年には英国に派遣留学中だった技手と職工を仏ファース社へ送り焼入方法を習得させたところからスタートする 97年にファース社より焼鈍済みの鋼材を輸入し国内で焼入の研究が始まり、先の6インチ弾の試験が98年だったと

2013-12-30 01:04:41
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

1904年にはスウェーデンのボフォースにて被帽徹甲弾を習う 05年には国内で6インチ砲弾の一貫製造が可能になるが、依然として12インチ砲弾の射撃試験では「穿孔はしたものの弾体が破断し、特に傾斜射撃では著しく破損した つまり弾側部から底部の靭性が不足していた」と芳しくなかった

2013-12-30 01:09:04
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

この問題に対応すべくボフォース式焼入をファース式に戻すことも考えられたり、09年には被帽の先に弾体と同じ焼入を施した硬鋼を接着する二重構造が編み出されたりした これが後の「三年帽」として有名になる萌芽であったと

2013-12-30 01:15:23
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

1910年に輸入したハドフィールド社製12インチ(30cm)砲弾は同じ12インチの装甲板を貫徹、射撃後の弾体も完全で革命的な威力を発揮したため野田造兵少監と6名の技手職工がハドフィールド社へ実習に赴く ハドフィールドの被帽は極軟鋼を先端中空で作り、ノッチで弾体に組み付けるスタイル

2013-12-30 01:21:08
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

ハドフィールド社が温度測定に使っていたPt-PtRh熱電対や光温度計の技術も共に習い、1912年に帰国 ハドフィールドではベッセマー転炉を使っていたが呉にはなかったので、酸性平炉で溶製し実習どおりに製作したところ輸入品に全く遜色ない徹甲弾が製造できたとある やっと追いついたかな?

2013-12-30 01:24:56
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

1913年(大正2年)に仏シュナイダー社製の坩堝鋼徹甲弾がハドフィールド式に比べ10%も低い撃速でVC(表面浸炭焼入)鋼板を貫徹し大撃角も問題にしない圧倒的な性能に、同社の「焼入の際に弾体を一度深く油槽に浸し一定時間後に浅くする(側面も多少焼入がなされる)」を試してみたり

2013-12-30 01:32:37
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

ハドフィールド式では極軟鋼で作られていた被帽をNi-Cr鋼に変更し、1909年の二重被帽のアイデアから装甲板に当たる箇所を硬く焼入た被帽を全周ネジ切りのシュナイダー式からハドフィールド式のノッチで接合するものを1914年(大正3年)に作ってみたところ性能優秀、これが三年帽となる

2013-12-30 01:36:13
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

こうして作られた徹甲弾はシュナイダー製に劣らないので比叡、霧島の36cm砲に供給されるようになりました、と 1915年にはベッセマー転炉が操業を開始し弾丸鋼の溶製はこちらで行い、翌16年には三年帽式40cm徹甲弾が試作され性能良好、同じ時期には48cm砲の設計が開始されていたと

2013-12-30 01:39:30
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

この48cm砲は46cmのタイポではなく、八八艦隊用に5年式14インチ(36cm)砲として設計されたもの そうですどこかの94式40cm砲と同じで偽装された口径です この頃からやってたんだなあ 1920年(大正9年)12月に試作砲の領収試験を行うも、9発目で砲尾が吹き飛んだ(!)

2013-12-30 01:47:11
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

これは多層構造の砲身の内側から2番目に来る2A鋼筒に3箇所あったコーナーゴースト(硫化物や燐が局所的に多く柔らかい欠陥部位)が1Aへの焼嵌の際に亀裂となり破裂したものと判明 そこで2Aに鋼線を巻き外側へ4Aと4B鋼筒を嵌めて射撃したところ問題がなかったので、装甲板耐久試験に使った

2013-12-30 01:52:16
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

つまり1920年の時点で日本海軍は46cm超の巨砲の製造技術に手が掛かっていた訳です 正確には、この後1924年(大正13年)に仏シュナイダー社から導入する自己緊縮法(オートフレッタージ法)があって94式40cmが出来ますけれど、「大正年間に試作していたので問題はなかった」とある

2013-12-30 01:58:03
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

話が砲弾から逸れました お風呂出てきたら話を戻しましょう

2013-12-30 01:56:16
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

さて徹甲弾のお話、1918年には熱間穿孔法が採用され材質と歩止まりが向上し、19年には塩基性電気炉が導入されて弾丸、砲身、装甲板のスクラップだけで弾丸材の溶製が可能になるなど周辺技術が整ってきて、ここからいよいよという感じ

2013-12-30 02:31:38
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

この時期になると砲の射程向上に伴う撃角の増大が問題になってきており、そこで弾体直径より2インチ薄い装甲板に対し撃角30度でも弾体が破壊せず貫ける砲弾の研究が進むようになる

2013-12-30 02:36:56
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

大撃角では装甲で弾体が捻られるために破壊が発生するので靭性を高める必要がある、靭性は焼入焼戻処理で高められるが、この焼戻で弾頭部の焼入まで軟化してしまっては困る、そして弾丸材はNi-Cr鋼なので焼戻時に脆性化するのを避けねばならず、だからと言って急冷すれば焼割れが発生する

2013-12-30 02:41:33
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

1922年にハドフィールド社から輸入した14インチ砲弾は12インチ装甲板を30度傾斜で完全な形状を保ったまま貫徹したのでこれを参考に新たな焼入方式(NK)を開発する 硬度を落としたくない弾頭部のみを水中に入れ冷やしたまま、側面以下をガスバーナーを備えた竪型円筒加熱炉で焼戻す方式

2013-12-30 02:48:04
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

1923年にこの方式を用いて試作した36cm弾は12インチVC装甲板に対して撃角30度、撃速521m/sで貫徹するも弾底が屈曲、底螺(炸薬を封入するネジ)が逸出したので更に対策を行い、これを元に作られた40cm砲弾で14インチVCを射撃したところ満足できる性能となった

2013-12-30 02:51:45
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

1924年にハドフィールド社と鉄鋼弾製造権、技師派遣および年100万円の砲弾粗材購入の契約が取り決められているのはなんだろう 被帽の固定がハドフィールド式ノッチ方式だったのがライセンスにひっかかったのかしらん?同年に砲弾材の成分が新しく制定されてるので、その配合も権利だったのかな

2013-12-30 02:56:13
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

1925年には被帽の熱処理も改められ、それまでは被帽の頭部のみ焼入していたので弾体と組み合わせるには若干柔らかすぎるきらいがあり、全体を加熱した後底部だけ空冷、頭部だけ焼入を行い、最後に底部だけ焼戻すという手間をかけるようになった

2013-12-30 03:03:24
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

1927年(昭和2年)には被帽と弾体の接合に使うハンダの成分がBi-Sn-Pbに変わる 28年に弾体頭部を平らにしたものが作られ、当初は6号弾と呼ばれていたこれが改名され88式徹甲弾となる この88式徹甲弾の射程を向上するため底部をボートテイル状に絞ったのが91式徹甲弾なわけね

2013-12-30 03:08:46
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

底部を絞ったのみでなく頭部の風帽も鋭角の長いものになったために弾長が長くなり、以前の弾薬庫では高さがつっかえるので搭載するために弾薬庫と揚弾機の改装が必要になるわけだ この後の1式徹甲弾は風帽と被帽の接合を強固にし、風防の空洞に着弾識別の染料を封入したとあるので性能は同一かな?

2013-12-30 03:14:22
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

勘違いしてはいけないのは、あくまで「この仕様で作った砲弾」が91式徹甲弾となるわけであって、別に46cm以外でも91式徹甲弾はあるんですよ、ということ 実際15.5cm、20cm、36cm、40cm、46cmの91式徹甲弾が制定されています 15.5と20cmは被帽が違いますが

2013-12-30 03:18:33
JagdChiha 〄 次元不可能性撹拌機 @Jagdchiha

というわけで91式徹甲弾に至る道を「海軍製鋼技術物語」から拾ってみました 94式40cm砲の製造については前に(http://t.co/NX18rmKtKo)話しましたけど、91式徹甲弾についてはここ(http://t.co/fJbJNo3sGZ)に載ってますので今回は省略します

2013-12-30 03:26:58