ぶたさん、ぶべりさん、shin先生による靖国問題鼎談
うーん、いろんな資料読めば読むほど、靖国ってA級戦犯合祀が問題じゃなくて、靖国の成り立ち自体が神道(を使って戦死者・功労者を祀り国粋主義を高める事)の国家利用が目的なのでガッツリ政教分離にぶち当たる気がするなぁ。政教分離は靖国を前提にしてるんではないかとすら思う。(今更
2014-01-02 07:34:37もちろん、国の為に亡くなった方は戦死者であろうと、畳の上で亡くなろうと、家庭を守るお母ちゃんであろうとみんなみんな大事にされるべきだと思っております。戦士した人もご主人が戦死した後に女手一つで子供を育て上げた人もそして戦後の復興を担った世代も含め魂に軽重は無いと思うから。
2014-01-02 07:41:47@J_Tphoto 政教分離は、GHQの神道指令から来るので、その通りです。これが分かりにくいのは当たり前で、日本の主力な死後の世界は3つあり、それを適当にかつ同時に使って、なんら矛盾していると思わないからです。日本語が中国語をそのまま使って、混在しても平気なところと似ている。
2014-01-02 07:57:19@J_Tphoto 日本の死後の世界は、それぞれ優に千年以上の伝統のある、神道(草葉の陰の親しい神)、浄土教(極楽往生)、儒教(ご先祖様の遺骨と、その代替としての位牌)があり、これらは越境しながら相互に矛盾しても全然平気。日本の新興宗教も必ずこの三つの組み合わせになっています。
2014-01-02 08:01:35@J_Tphoto ご指摘の点同感です。戊辰戦争の東北側戦没者が祀られない事にその点は明かです。敵味方や戦闘への参加を問わず、戦争に関わる全ての死者への哀悼を示すことこそが明治以前からの日本の伝統「死ねばすべて仏様」なのだと思うのです。そんな施設なら誰でも何時でも参れるのですが…
2014-01-02 08:02:27.@moriokahiguma そうなんですよね。自分たちの気に食わない人は祀らないと言う意図がはっきり見えるので靖国自体を意思がなくただ英霊を受け入れる施設だと思ったら判断を誤りますよね
2014-01-02 08:06:01@J_Tphoto 遺骨を返してもらったうちは墓地(墓石を見ると上が尖っているから分かる)、無縁仏は千鳥ヶ淵(ちなみに墓は寺が管理しているが、あれは仏教ではない)。極楽往生すればみなホトケサマなので、名前をもった個人の死後を、他人が認めるのは神道の方式しかない。
2014-01-02 08:07:37@buvery @J_Tphoto 日本の政教分離はGHQ以前から意識され、明治期に天皇を中心とした中央集権国家形成の道具として伝統的な神道を換骨奪胎した国家神道を「国教」化しつつ、「国家神道は宗教ではない」といいうロジックで自らは近代国家であると位置づける無理をを行っています。
2014-01-02 08:09:05@moriokahiguma @buvery この辺、先生凄まじく詳しそう…いえ、お顔が幕末明治顏とか、お髭が時代とどうとかそう言う訳では決して決して……
2014-01-02 08:11:32@J_Tphoto @buvery いや、顔はどちらかというと縄文なのですが(笑)。結局、明治維新とは王政復古であるという大いなる矛盾なのです。「近代化を復古を復古的に成し遂げる」ために明治期には天皇を中心とした様々な伝統が「再創造」されます。その中の一つに靖国があるわけです。続
2014-01-02 08:15:37@J_Tphoto @buvery 僕自身の専門ではなく友人の哲学者に言わせると明治期には右翼が招魂社に反対する例もあったそうで、それは魂を街に留めてしまえばふるさとの山に帰れないではないか」というものだったそうです。死者の魂がムラの山へ帰るという考え方は柳田國男も指摘しています
2014-01-02 08:19:15@J_Tphoto @buvery してみると全国から戦地に送られた若者の魂を東京に留めることは、少なくとも民俗学的には日本の伝統ではなく、明治から昭和初期に創りだされた「伝統」なのだろうと僕は考えています。
2014-01-02 08:20:59@J_Tphoto 神道方式は非常に象徴的なので、名前を紙に書いているだけです。アーリントン墓地は実際に遺体をいれた棺桶を埋めているので、常に場所の確保が問題になりますが、靖国では問題にならない。250万柱を納められるのもこのため。
2014-01-02 08:25:33@moriokahiguma @J_Tphoto これは、国民国家というシステムを日本が採用せざるを得なくなった時、既存の文脈から創造するしかなかったからでしょう。今でさえ、新興宗教は全てこの3パターンの組み合わせなのだから。逆にこの手の感性は日本では相当しぶといものがある。
2014-01-02 08:29:07@buvery @J_Tphoto 3パターンの組み合わせはまさに明治以前の伝統である神仏習合が明治国家・国家神道による神仏分離令を経ても民衆側ではくならなかった好例なのだろうと思うのです。現在、有名な神社仏閣で明治以前の境内に寺と神社が併存した姿に戻そうという動きもあるそうです
2014-01-02 08:34:23@J_Tphoto @buvery このあたりは祖霊信仰や葉山信仰というキーワードから考えると見えやすいです。明治以前、神道・仏教・儒教というものが混合しながら、それ以前からの土着信仰と結びついて日本的な死後観があったのだと思います。続
2014-01-02 08:41:25@moriokahiguma @J_Tphoto 明治期の日本は、存続を賭けて西洋化(富国強兵文明開化)を手持ちの駒でこなそうとしたのでしょう。廃仏毀釈は、西欧の一神教と国家神道を対応物に見立てたからではないでしょうか。
2014-01-02 08:43:00@J_Tphoto @buvery 明治以前、村人は死ぬとしばらくは個性をもった死霊として裏山と家を盆正月に行き来し、生前の穢れがとれると共同体のこれまでの死者と一体化し「祖霊」となり山の神・田の神等々として共同体を守り続けるというのが日本のムラの信仰の典型かと思います。続
2014-01-02 08:44:37@J_Tphoto @buvery この祖霊信仰を国家鎮護の神へと転化し、かつ国家側から見た名誉の戦死者のみをエリートとして祭り上げ、死に赴かせる装置が靖国なのだと思うのです。国家は必要なものですが至高のものではないということこそ民衆の側が覚えておくべきことなのではないでしょうか
2014-01-02 08:48:03@moriokahiguma @J_Tphoto 日本の死後世界は、この3つの根源から成り立つもので、上からの靖国と同時に下からの靖国があるのだと思います。国家批判が根元に浸透しない理由にこの下からの靖国を軽視しているところがあると思う。
2014-01-02 08:55:43@buvery @J_Tphoto 御意です。こうした対応物を造った明治の元勲達はそのフィクション性に十分自覚的だったろうと思うのです。ただその後、そのフィクションが人間を逆に支配し、神国日本を信じさせ、精神論での戦争へ突き進んで行きました。虚構を虚構と自覚することこそが大事かと
2014-01-02 08:57:23@buvery @J_Tphoto これまた御意です。民衆の信仰である祖霊信仰を取り込んで成立しているが故に論理的問題点の指摘だけでは心に落ちません。近代化による地域共同体のが弱体化もあり現代人は国家という幻想の共同体しか意識できづらいが故に国家鎮護と共同体守護の区別がつきません
2014-01-02 09:01:46@buvery @J_Tphoto 承前ご指摘通り「下からの靖国」はとても大切です。戦前はパトリオティズムをナショナリズムに置き換える装置として靖国を使いました。戦前懐古としてのナショナリズムの強化でなく、分権的パトリオティズムの強化で「下からの靖国」を包めないものかと夢想します
2014-01-02 09:07:03