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ずっと以前、近所の喫茶店で知り合った同年代の男性と友達になり、僕がいつも喫茶店で勉強してることに興味をもってくれたので、現代思想のことをあれこれ話し合うようになったことがある。それで、デリダの脱構築を紹介し、常識を構成する様々な二項対立が維持できなくなるケースを様々に説明した。
2013-12-28 11:35:06脱構築!その考えは彼にとって新鮮だったらしく、なかなか飲み込めなかったようだけど、後日会ったら、その後、足元の地盤がガラガラ崩れるような気持ちになり、ある日は布団をかぶっておびえていたという。この話を聞いて、けっこう驚いた。
2013-12-28 11:38:13その彼との議論は、それからも頻繁に行われた。あるとき、保守的なジェンダー役割の脱構築みたいな議論になった。彼は、いくつかの論点に同意する一方で、「そんなふうに言ったら、みんな怖がっちゃうよ」と言って渋い表情になる場面があった。
2013-12-28 11:45:52人文系の「反常識」論法は、ショックを与えつつ、しかしそれを消化・昇華できるうまいバランスでやらないと、たんなる言葉の暴力になってしまう。そのことにあまり気をつかいすぎると疲れるし、そもそも相手の受け取り方は色々なわけだけど。
2013-12-28 11:54:39僕は今も、批判理論的な観点からの、既成価値観へのツッコミを、強くアイロニカルに突き放すようにやってしまってよいのか、各人の情動の傾向に合わせながら話すことを第一にすべきなのか、よくわからない。適当にどちらもやっている。どちらか一方に絞るべきであるとは思わない。
2013-12-28 12:11:16元旦に叔母と話していて、ネタとベタという言葉を説明するのに苦労した。結局、よく分かってもらえたとは言い難いように思う。叔母は五十代後半、ネットは検索で使っている。
2014-01-03 19:38:54「ふつうの人」に言うとよく理解されないというか、怖がられるだろう言葉。権力、他者、批判、国家、分析、解釈などなど。国家は「国」、他者は「他人」、分析は「よく考えてみる」などと言い換えながら話し始める。そういう工夫をすることはしばしばある。あ、「しばしば」もアウトですね。
2014-01-03 19:47:37また、「ふつうの人」は、「〜ねばならない」も怖がる。これは人文系でサラリと使ってしまうので、よくよく注意しなければならない。あ、やってしまった。
2014-01-03 19:52:14文脈を共有しない人に抽象的で硬い語を急に投げてもうまくいかないことが多い。説明なしにアルファベットの略語を言うなど、論外。略語を惰性的に口走ってしまうというのはよく見かけるケースで、僕のコミュニケーション感覚としては唖然とする。むろん、わざとビビらせる目的ならそれはそれでよい。
2014-01-03 20:10:20僕は「しばしば〜」をよく使うけど、これは、はっきりoftenの訳語であるつもりで使っている。相手によって「よく〜」に言い換える。外国語を普段から使っていると、外国語に翻訳可能であるような語彙や構文で日本語を使う体勢ができるが、それが日本語使用を「ふつう」でなくすることに注意する。
2014-01-03 20:18:58昨年末の僕の授業では、論述的な文章における「こうした」と「このような」と「こんな」の使い分けについてディスカッションした。一般的に「こんな」はpejorativeなニュアンスがあるから公的な文章では使わないけど、小泉義之は書籍では「こんな」「そんな」を使う。その用法も興味深い。
2014-01-03 20:31:14