[京都新聞]装束司の語る装束あれこれ

2014年1月5日、京都新聞に掲載された装束司黒田幸也氏のインタビュー内容と、それに近い画像をまとめました。
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平 資盛 @sukemori_t

京都新聞日曜ジュニア版の「ソフィアがやってきた」、小学校にその道のプロが講師としていろいろな話をするコーナーです。今日は装束師の黒田幸也さん。以下、記事の中から抜粋しますね。

2014-01-05 19:37:23
平 資盛 @sukemori_t

「私の店は京都御所の南向にあり江戸時代前期から装束業を続けています。京都には多くの伝統文化が残っていますが、その中に装束文化というものがあります。装束とはどんなものか皆さんに知ってもらいたいと思ってやって来ました。むかしはどんな服装だったのか少し歴史をたどってみましょう」

2014-01-05 19:37:32
平 資盛 @sukemori_t

「古墳時代の服装は埴輪から想像できます。飛鳥時代にはその人の地位が冠の色でわかる『冠位十二階』が定められました。高松塚古墳壁画から大まかな服装がわかります。奈良時代『衣服令』が定められ、TPOによりどういう服装をするか決められました。この時代は大陸の影響を受けていました」

2014-01-05 19:37:45
平 資盛 @sukemori_t

「ところが平安時代になると国風文化が盛んになり、女性は十二単、男性は束帯というものが最もフォーマルなものに。」 「よく『衣冠束帯』と一緒にしていわれます。これは江戸時代から出てきたようですが、衣冠は正装である束帯を略した服装で、この二つは本来別のもの」

2014-01-05 19:38:00
平 資盛 @sukemori_t

「色目も柄も厳しい決まりがあり『混同してはイカン(衣冠)』と、二つは違うものであることを覚えておいて下さい」 「次の鎌倉時代は公家の世から武家の世となり、戦も多く雅から簡素で活動しやすい装束へ。この時代に装束の着付けを行う『衣紋道』が生まれ、今でも二つの流派が残っています」

2014-01-05 19:38:10
平 資盛 @sukemori_t

「室町を経て江戸時代になると裃や羽織などが登場し、『和服』の基礎が確立します。テレビで見る時代劇の服装は大概がこの時代のもの。そして、明治。『文明開化』の時代でヨーロッパの文化が入ってきます。和服に対して『洋服』の概念が生まれ、ここから自由な服装が発展していきました」

2014-01-05 19:38:19
平 資盛 @sukemori_t

「装束の1500年で大きな改革が2つありました。明治時代と、奈良時代から平安時代の改革です。遣唐使を廃止し国風文化という日本独特の文化が発達し、日本固有の装束、柔らかかった衣装から、ピンとした硬い装束に変わります。その代表が束帯や十二単で、私達装束司が一番大事にしている衣装です」

2014-01-05 19:38:30
平 資盛 @sukemori_t

「装束司を簡単に言うと、古い時代の衣装などを作って売る商売で、その後衣紋、つまり着付けまでします。実は私は年頃になった時別の仕事をしたいと思いました。しかし『この仕事を自分がしないで誰がやる』という一種の思い込みで家の仕事を継ぎました。思い込みというのは大事ですね」

2014-01-05 19:38:43
平 資盛 @sukemori_t

「小はお守り、おみくじ、いろいろな装束から、大は牛車、御所車まで、神祇関係のすべての仕事を神祇工芸の職人さんと補完し合いながら続けています」

2014-01-05 19:38:55
平 資盛 @sukemori_t

「男性装束のできるまで(スライド説明)。まず、織屋さんで織ってもらった反物を注文の色に染め、『張り』といって糊をつけピンとさせます。これが平安時代の特色。続いて仕立てに入り、裁断します。」

2014-01-05 19:39:05
平 資盛 @sukemori_t

「単物は必ず裁断した後ほつけ(ほつれ)ができないよう、『捻り』(ひねり)といって、布の橋にお餅をつけてこよりを作る要領で丸めます。捻りがあるのが本物の装束の証です。この後縫製し、襟をつけ、雄蜻蛉(おとんぼ)、雌蜻蛉(めとんぼ)という襟どめをつけて完成です。」

2014-01-05 19:39:16

橋☓ 端○

平 資盛 @sukemori_t

ということで、記事中にあったものの中で、風俗博物館で確認できるものをご紹介。 「捻り」について説明していただきました。テレビドラマではミシンがけになっていることもある部分です。かなり指先の力がいる仕事だそうですよ。 http://t.co/bCliBFeQ2J

2014-01-05 19:39:33
平 資盛 @sukemori_t

Q「装束に作るのにかかる時間は?」 A「企画から入れて大体3ヶ月というのが目安。仕立てだけなら1ヶ月位」 Q「価格は?」 A「十二単は数百万くらい。男性用は数が多いこともあり高くない」

2014-01-05 19:39:46
平 資盛 @sukemori_t

Q「脱ぐときはどうやって」 A「衣紋者が脱がせます。十二単は脱がすのは簡単です。もぬけの殻という言葉があるようにすぱっと脱げます。むかし、御簾の後ろに置けば人がいるように見えたそうです」

2014-01-05 19:39:59

下鴨神社「蛍火の茶会」での十二単着付け

平 資盛 @sukemori_t

十二単の着付けは、一本の紐で留めた上から重ねて、下の紐を抜き、また上を重ねて止めて下の紐を抜き、と、最後は一本の紐だけで結んでいます。 http://t.co/UZRg1XU5bq http://t.co/r0cAkBIiVX http://t.co/1OyIqC4JCp

2014-01-05 19:40:43
平 資盛 @sukemori_t

「御簾の後ろに置いて人がいるように見せた」ところです。 (展示替え後は確認しておりませんので、これが残っているかどうかはわかりません<風俗博物館) http://t.co/OjPoGz0Nck http://t.co/p6LaLvBMmb

2014-01-05 19:41:07
平 資盛 @sukemori_t

「十二単を脱がす」云々ですがwwわざわざ衣紋者を呼ばなくても、紐を抜けば簡単に脱がせられます。というか、野暮でしょ、そんなの(・∀・)←

2014-01-05 19:40:27
平 資盛 @sukemori_t

「あれ~~~!!お代官様~~~~!!」みたいなぐるぐるまわるんじゃなくて、サッとね(*´▽`*)

2014-01-05 19:40:53
平 資盛 @sukemori_t

Q「文様の種類は?」 A「数百種類はあると思います。千年以上も変わらず生き続けているものが多い。それだけ洗練されているということです。」 Q「装束司の資格は?」 A「特に資格はなく、教科書もない。家内は先代達が作った装束を解いて技術を勉強しました。むかしの装束が教科書代わり」

2014-01-05 19:41:31
平 資盛 @sukemori_t

一昨年の下鴨神社「蛍火の茶会」での十二単着付けと越天楽の画像アルバム(154枚あります) https://t.co/IAdsDG0oSh

2014-01-05 19:41:52
平 資盛 @sukemori_t

衣紋道の2つの流派といえば、高倉流と山科流。 こちらは葵祭の時の画像ですが、葵の葉をつけた巻纓冠(けんえいのかんむり)、纓の先を内側に巻き込み、黒漆の挾木で押さえています。 これは一巻半なので高倉流でしょうか。 http://t.co/zZCZMl5r1w

2014-01-05 19:42:11
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